『育て屋』カイナの魔物牧場

永久保セツナ

第1話 永遠の命を与えられた少年

「――目覚めなさい、カイナ」


 命令するような女性の声に、カイナと呼ばれた少年はそっと目を開けた。


 何もかもが白い、純白の空間。

 光を反射しているのか、光を放っているのかも分からないほど眩しい。

 その空間の中心にある、これまた真っ白な玉座に、長いウェーブの金髪を垂らした女性が座っていた。

 その服装は古代ギリシャの人々が着ていたような服にも見えるし、マリリン・モンローが着ていた衣装のようにも見える。

 とにかく何もかもが白い。

 対してカイナは高校の学ランを着ていて、その黒尽くめの格好は明らかにこの空間の異分子だ。


 女性のサファイアのような青く美しい目が、カイナをじっと見つめていた。

 当のカイナはどうかと言えば、見知らぬ場所と知らない相手に戸惑っている。


「あの……ここはどこですか? あなたは?」


「私は女神メルト。ここはまあ、冥界みたいなものかしら。それとも天国かしらね? まあ、どちらにしろ、通常は生きている人間が来られるところではないわ」


 メルトと名乗る女神の言葉に、カイナは嫌な予感がしていた。


「あの……僕は死んだんですか?」


「死んだ、という表現は正しくないかもね。私はただ、あなたを選んでこの神域に連れてきただけだから」


 要は、神隠しだ。


「何のために、僕をここに?」


「私の管轄している世界で、あなたが必要だからよ」


 女神メルトいわく、彼女が管理している世界が危機を迎え、別の世界からイレギュラーとなる人物を召喚してその滅亡の危機を乗り越えようとしているのだという。


「イレギュラーって、どういうことですか?」


「言葉の通りよ。本来その世界に存在していない人間を召喚することで、世界が滅亡する運命を回避しやすくなるの」


 彼女が言うことには、別に勇者になったりしなくても、その世界に存在するだけである程度は滅亡の危険性が下がる役割を持つらしい。

 そんなイレギュラーを、これまで何人も召喚してきたというのだ。

 さぞかし、現代日本では行方不明者が多くなっているに違いない。


「あなた、異世界に興味はある?」


「ないと言えば嘘になりますね。命の危険さえなければの話ですけど」


「ああ、なるほどね。わかったわ」


 女神はポンと手を叩くと、ゆったりと玉座から立ち上がり、カイナに歩み寄った。

 そして、彼の頭に手を当てる。

 すると、カイナの体は一瞬、ほのかに発光した。


「何をしたんですか?」


「命の危険がなければよいのでしょう? だから、あなたに『永遠の命』を授けます」


「は?」


「それじゃ、頑張ってね」


 女神メルトの言葉に、「ちょ、待っ――」と声を上げたカイナであったが、時すでに遅し。


 彼は、異世界アストラに放り出されてしまったのであった。


 ――『はじまりの街』スタルト。

 ここは、勇者候補として女神に選ばれたイレギュラーが最初に飛ばされてくる土地である。

 カイナも例に漏れず、神域からこのスタルトに転送された。


 ただ、カイナ自身がここを『スタルト』と認識できているかは怪しい。

 何しろ、異世界の文字が読めないのだ。


「見たことない文字だな……なんて書いてあるんだろ」


 彼は外壁に囲まれた街の入口に設置されている看板に書かれた文字を指でなぞった。


 すると、街の出入り口らしき門が開き、そこの住人らしき人間たちが現れる。

 ――人間、なのだろうか。

 普通の人間に見えるものも、もちろんいるのだが、その中に成人男性の半分ほどしか背丈のない男や、見た目は人間だが耳の尖った男などがいる。

 中には狼男のような獣人まで混ざっていた。


「これが、異世界……」


 カイナがつぶやくと、街の住人たちが彼に気付いたらしく、駆け寄ってきてあっという間に取り囲まれる。

 男たちは口々に何やら喚いたり、カイナに向かって話しかけたりしているが、何を言っているのか全く聞き取れない。


「え、ええっと……アイ、スピーク、ジャパニーズ、オンリー」


 たどたどしい英語で話しかけてみるが、もちろん通じない。

 住人たちはカイナの手を引いて街の中に連れ込んだ。


 ――どうやら、街の中に入れてくれるということは、この人たちに敵意はなさそうだ。

 カイナはされるがまま、住人に手を引かれて街の中を通り抜けていく。


 案内された場所は頑丈そうな石造りの施設だった。

 壁は穴がくり抜かれ、はめ込まれたガラス越しに黒板が見える。

 ……学校か何か、なんだろうか。


 教室のひとつに連れて行かれ、その部屋の中に入る。

 小学生くらいの子どもたちの前で、黒板の傍に立ち、チョークで例の読めない文字を書いている男がいる。

 カイナを連れてきた住人たちが声を掛けると、男が振り向いた。

 その男は、アマガエルの頭をしていたのだ。

 カエル男がカイナの姿を確認すると、戸惑った様子を見せる彼に話しかける。


「もしや、異世界からいらっしゃったイレギュラーですか?」


「えっ」


 この世界に来て、初めて言葉が通じる人間に出会ったので、カイナは驚いて言葉に詰まってしまった。


「ああ、驚かせてしまいましたね。すみません。皆さん、いつもこうやってビックリされます」


 カエル男は吸盤と水かきのついた手を頭にやって、申し訳無さそうにしている。


「私の名はケロン。賢人とか賢者とか呼ばれていますが、まあそれはどうでもいいでしょう。私はこの『はじまりの街』スタルトで、こうして女神から遣わされたイレギュラーに最初に異世界の言葉を教えている者です」


 ここで、カイナは初めて、この街の名前が『スタルト』であることを知った。


「よろしければ、君のお名前を伺っても?」


「あ、ええっと、僕はカイナって言います」


「カイナくん、これからよろしくお願いしますね」


 ケロンに握手を求められて、彼の手を握ると、指先の吸盤がペタペタとカイナの手にくっついた。


「ああ、失礼。こればかりはどうにもなりませんね」


 ケロンは恥ずかしそうに笑って、すぐに手を引っ込める。


「まずはこの世界――アストラの言葉を勉強していただきましょう。なに、この街の住人と実際に会話をすれば案外すぐにマスターできますよ」


 英語を学ぶなら日本で座学を習うよりも、アメリカに飛び込んで現地の言葉を場当たりで覚えたほうが早い。そういう理屈なのだろう。

 カイナは元の世界に戻る方法も現状分からない。ならば、まずはこの世界のことを学んでから、じっくり探そう。

 彼は腹を決めて、ケロン教室の子供達に混ざり、授業を受けることにしたのであった。


〈続く〉

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