第23話 閑話:アステルからのプレゼントその1「アステルの来所」

 強い風も収まり、ピンクダイヤモンドを輝かせた光は、カーテン越しに優しく和らいでいた。


 そんな穏やかな午後、私とポレットはアステル殿下を迎える準備をしていた。

 私は本の整理やテーブルを拭き、ポレットは紅茶を用意したりお菓子を並べている。

 こうして待つ時間も、彼に会える期待で満たされていた。そしてそれ以上に気合いも入っている。初めての『探偵事務所のお客様』をお迎えするのですもの。ちゃんとしておきたいわ!


 だが、そんなときでも思いも寄らぬ事件というのは起こるものである。


 それは突然、窓から飛び込んできた。


「っきゃあああああああ! そっち行きましたよ所長! 所長おおおおおおおおお!!!!!!」


「大丈夫よポレット! まかせて!」


 箒をかまえて私が見上げるのは、一羽の翡翠色の鳩だった。

 開け放っていた窓から入ってきたのだ。


「こっち見てます、見てるすまるす! ひぃぃぃぃぃぃぃ」


「大丈夫よポレット。大丈夫。落ち着いて。あれは伝書鳩よ。手紙を運んできてくれたんだわ」


 あの鳥、足に金環と筒をつけている。それもそのはずで、あれは特別な訓練をつんだ鳩なのだ。それも翡翠鳩と呼ばれる、羽根が翡翠色をした美しい鳩である。


 翡翠鳩を所有できるのはかなり裕福な者に限られるから、誰か地位のある方が――、おそらくは貴族が私にメッセージを伝えるために放ったのだ。


 ……なのだが。


「っきゃあぁぁあああああ! 見ないで! 見ないでぇぇぇえええええええ!」


 目を押さえ、ずざざざざざざっ! と後ろ向きにダッシュで逃げるポレット。……このポレット、鳥が大嫌いなのだそうだ。


「そんなに怖がらなくっても大丈夫だってば。相手はただの鳥なのよ?」


「あいつ! いかにもこっちの目をえぐってくる目つきしてるじゃないですか! あのクチバシで! それで殺される! 目を抉って殺される!!! お嬢様も気をつけて下さい!!!」


「……ごめん、ポレット」


 これは私が悪かった。


 伝書鳩に使われる翡翠鳩は、品のある翼とポッポーという可愛らしい鳴き声と、そして頭が良いことを別とすればなんてことはない普通の鳥で、ポレットのいうように人の目を抉るような危険な鳥ではない。エメラルド色の瞳だってきょとんとした可愛いものだし、クチバシだって銀色でとても綺麗である。


 でもまぁ、なにをどういわれようが嫌いなものは嫌いなのだろう。

 伝書鳩をここまで嫌うメイドさんって職務的にどうなの? とは思うけれど、ポレットにとって鳥は怖いものなのだ。そこに理由なんか必要ない。


 だが、問題はあった。

 ポレットがパニックになって騒いでしまったものだから、翡翠鳩が警戒して降りてこないのだ。

 これでは翡翠鳩が持ってきた手紙を読むことができない。


 翡翠鳩は部屋の高いところから私たちをじっと観察している。この部屋の高いところというのは、つまり本棚の上のことだ。


「はぁ。とりあえず移動させないとね……」


 いつ、あの鳥が私の素晴らしい蔵書たち――つまりは本棚にぎっしり詰め込んだ『水晶探偵アメトリンシリーズ』にイタズラをしないともかぎらない。糞を落とされたらたまったものではない、ということだ。


 ちょっと暴力的ではあるけれど、箒で追い立てるしかないわ。

 そう思って翡翠鳩に向かって箒を持ち上げたとき、私の後ろで縮こまっていたそのままの体勢で叫び声を上げた。


「お嬢様、箒じゃ勝てません! 包丁持ってきます! それでひと思いにやっちゃいましょう!!!」


「しとめない、しとめない。いい? 翡翠鳩は相手の財産なのよ。故意にしとめたら弁償しないといけないわ」


 なんて喋っていたら身の危険でも察知したのか。

 突然、鳥がバサリと翼を広げこちらに向かって飛んできた!


「ぎゃあぁあああああっ!!!」


 ポレットが悲鳴を上げながら頭を抑えてしゃがみ込む。


「くっ、こっちに来ないで……!」


 私は思わず手にしていた箒を振り回して追い払おうとした。だが――。


「うゃあぁっ!?」


 男性の悲鳴と共に、思いがけない手応えが手元に返ってきた。

 その声に驚いて振り返ると――。


「で、殿下!?」


 そこには背の高い男性――アステル殿下がいて、私が振り回した箒を顔面で受け止めていたのだった。


 なんたること……!


 さすがに私の血の気が引いた。


「いっててて……」


「すみません、お怪我はありませんか!?」


「ああ、大丈夫。当たり所がよかったみたいだ。だからそんなに謝らなくていいよ」


 殿下は私の慌てぶりに苦笑しながら、顔に掛かった黒髪を書き上げる。幸い柔らかい穂先が当たっただけで怪我はないようだが、もし穂先が目に入っていたらと思うと、ゾッとする。彼の穏やかな微笑が変えて申し訳なさを募らせた。


「それにしても、歓迎の仕方がずいぶんと独特だね」


「……本当に申し訳ありません、殿下」


 恐縮して返す私に、彼は黄金の瞳で悪戯っぽくウインクする。


「冗談だよ、冗談。ポレットが大変ってことは見て分かるからさ」


「すみませんっ! あたし、どうにも鳥が苦手で!!!」


 ポレットは怯えて目を押さえたまま千々k舞っている。

 すると殿下はそんな彼女を落ち着かせるように穏やかに微笑んだ。


「……この屋敷には他に使用人はいるかい?」


「いえ、ここにいるのは私とポレット、それに殿下だけですわ」


「ポレットの他に使用人を雇わなかったの?」


「はい、大所帯にするのもどうかと思いまして……」


 侍従の選定は私に一任してくれたこともあって、殿下が紹介してくれたポレットと二人で生活していこうと決めていた。

 この屋敷では、自分のことはできるだけ自分でしようと考えていたからだ。


 しかし、殿下は思いのほか真剣な眼差しを私に向けてきた。


「若い女性が二人だけで住んでいるのは、さすがに不用心だな。いつ危険が迫ってくるか分からないんだし」


 アステル殿下のいう危険とは、おそらくルース殿下からの復讐とか、ルミナ様からの接触とか、そういう武闘派なことだろう。


 ポレットはよく気が利く働き者で、家事などはとてもよくしてくれるのだが、確かにそういう事態になったときには力不足である。


「そうですわね……、探偵事務所の新しい生活に夢中で、少し考えが甘かったかもしれませんわね」


 そう呟くと、彼は軽く頷いてにっこりと笑った。


「よし。ではあとで僕から護衛を派遣しよう」


「ご配慮、痛み入ります。なにからなにまで……」


 私は軽く頭を下げた。

 殿下の頼もしさに胸が温かった。こうして彼が当たり前のように私を守ってくれるのが、本当に嬉しい。


「いいんだよ、君は僕の婚約者なんだから。むしろもっと頼ってほしいくらいだよ」


 彼の視線には、私を大切に思う気持ちが隠れもせずに満ちている。


「それにね、実は君に紹介したい男がいてさ。剣の腕は僕以上だから用心棒としてはこの上ないくらい適任だし、面白い特技もある。君の捜査の役にも立つよ」


 殿下の楽しそうな言葉に、私は興味を引かれた。


「それってどんな方なのですか?」


「今はまだ内緒だ。でも、きっと気に入るよ」


 意味ありげに微笑むと、彼は再び翡翠鳩を見上げた。


「今はそれどころではないからね」


 翡翠鳩は本棚の上からこちらを見下ろしている。


「それにしても、こんな調子で大丈夫かいポレット? 鳥が怖くてメイド仕事なんて勤まるかな」


「とっ、鶏肉は好きですから! 憎い鳥を食べてやるんです! 食い尽くしてやる!! この世から鳥という鳥を消すために私は胃袋で戦います! やってやるぞおぉおおおお!」


「おお? 威勢がいいな?」


 殿下が感心するほど覇気満々のいさましい言葉を放つポレット。けど言っている意味がよく分からない。


 それに、またバサッと翼を広げた翡翠鳩が本棚から本棚に移動すると……。


「っきゃあああああっっっ!!!!」


 ポレットは頭を抱えて完全にうずくまってしまったのだった。


「このままでは手紙を受け取れませんわね。それにもし蔵書を汚されでもしたら……。別に私はその程度ではパニックになりませんが、ショックはショックですわ」


「食い尽くしてやる!!」


 頭を抱えながら虚空を見つめ目を血走らせるポレットを、アステル殿下がどうどうと落ち着かせる。


「分かった分かった、君は鳥より強いよ、ポレット」


「すみません殿下。こんなときにお越しいただいて。普段はとてもいい子なんですけど……」


 申し訳なくて謝ると、殿下は黄金の瞳にニヤリと悪戯っぽい光を宿した。


「いや、かえって良かったかもしれないよ」


 と、そんな意外な言葉を口にしたのだった。



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