第10話 俺の天使2(ルース視点)

 俺の天使ルミナと出会ったのは、今から三月ほど前のことだった。

 お忍びで城下町に出たとき、チンピラに絡まれている美少女を見かけた。


 美少女が男たちに狼藉されているのなんて見ていられなくて、体が勝手に動いた。剣を抜くと、俺は華麗に立ち回って彼女を助けたのだ。

 その美少女は名乗りもせずに去っていたのだが――後日、運命の再会を果たした。


 とある夜会で、壁の花になっている美少女を見て、俺は驚きのあまり飲んでいたシャンパンを吹き出してしまった。

 チンピラから助けてやった少女だったのだ。

 男爵令嬢ルミナ・ランバーズ……それが彼女の名前だった。

 それからルミナとは、何度も会う仲になった。


 彼女と会う度に、俺の心に変化が生まれていった。

 シルヴィアのような気品や鋭いまでの美しさはなかったが、ルミナは可愛くて従順で、なにより胸が大きかった。俺が求める安らぎがそこにはあった。


 だがそれでも、ルミナのことは妹のように思っていた。

 ……いや、そう思い込もうとしていた。仮にも俺にはシルヴィアという王が決められた婚約者がいるのだから。


 だがある茶会の折、ルミナにそっと打ち明けられたのだ。

 自分には誰にも言えない秘密がある、と。


 上目遣いで、頬を赤らめて……。


『ルミナは、ルース殿下のことをお慕い申し上げております』と。


 そのときの衝撃といったらなかった。


 ルミナは、この俺のことが好きだと言ってくれた。


 恥ずかしいだろうに、それをハッキリと伝えてくれた。


 我が婚約者たる氷の探偵令嬢シルヴィアは、一度たりとも俺にそんなことを言ってくれはしないというのに。

 なんといじらしく可愛らしい乙女なのだろう!


 だが、その想いには応えることができない、と彼女に告げるほかなかった。俺は王家の義務に縛られた身。王命による婚約を破る気には、まだなれなかったのだ。


 そんな可愛いルミナがシルヴィアにいじめられていると知ったのも、茶会でルミナが打ち明けてくれたからであった。


 ルミナは、最近になって買爵ばいしゃくし貴族位を得たランバーズ男爵家の令嬢である。令嬢になって間もないという数奇な運命の持ち主なのだ。


 ルミナは、伯爵令嬢であるシルヴィアと仲良くなろうと努力していた。


 大好きなルース殿下のご婚約者ですもの、私も仲良くなりたいんです……と。ルミナはそんな健気なことを言っていた。

 恋敵であるシルヴィアをそんなふうに慕うだなんて、なんと心清き乙女だろうか。


 なのにシルヴィアは、ルミナを無視したのだ。


 挨拶にいったが、その訪問はすべて居留守を使われて追い返された。

 ならば、と手紙や贈り物を渡そうとしたのだが、それもすべて未開封で送り返されきたという。


 シルヴィアは、俺と仲のいいルミナに嫉妬しているのだ。


 あいつも馬鹿な女だ。俺の婚約者はシルヴィアに違いないのだから、余裕を持ってルミナを妹分として受け入れてやればよかったものを。女同士仲良してほしいものである。


 しかし俺の願いも虚しく、シルヴィアの拒絶はエスカレートしていった。

 ルミナのもとにズタズタに引き裂かれたピンクのドレスが送りつけられたのだ。送り主はもちろんシルヴィアだ。


 これ以上婚約者であるルース殿下に近づくな。さもなくばお前もこうなるぞ――という脅しをしてきたのだ。


 ルミナの語るシルヴィアは、俺の知っているシルヴィアではなかった。

 シルヴィアがこんなことをするなんて、なにかがおかしい――そう思いもしたが、やはりな、と納得している自分もいた。


 確かに冷静で感情を表に出さない女だが、それ故に内側でドロドロがドロドロしている可能性が大だ。

 あの探偵小説への情熱をみれば分かるではないか。内面には情念がドロドロと渦巻いているのだ。


 なんとかしなければならない。

 このままでは、ルミナの身が危うい。

 そう思っていた矢先のことだった。

 ルミナがシルヴィアに襲われた。


 事件の現場は城の大階段。

 ナイフを持ったシルヴィアがルミナを襲ったということだった。


 最近、俺はシルヴィアとめったに会わなくなっていた。そのシルヴィアが何故俺がいる城にいたのか不思議だったが、王宮図書館の本の返却期限日で王宮に来ていたのだとルミナが教えてくれたので納得した。


 つまり、シルヴィアは本を返すときについでに城に立ち寄ったということである。

 その時たまたま、俺に会いにきたルミナと鉢合わせてしまったのだ。


 なんたる偶然。なんたる不運。

 そんな、ステーキを食べる合間に付け合わせに人参でも食べておくかくらいの気安さで人を刺さないでほしいものである。


 目撃者はおらず、ただルミナだけがその凶事に耐えたのだった。


 悲鳴を聞いた俺は大階段に駆けつけた。

 そこにはすでにシルヴィアの姿はなく、階段の途中でうずくまって震えるか弱い天使がいた。


 俺の顔を見るなり、ルミナは泣きじゃくって抱き着いてきた。優しくだが雄々しくどっしりと受け止めると、こんどは安心して腰が抜けたようにへたり込んでしまった。


 俺もつられてへたり込みそうになる。


 ルミナが無事で、本当によかった。

 だが手首を切りつけられたそうで、痛そうに押さえている。


 すぐに城の医務室へと運び、手当を受けさせた。

 幸いなことに、ルミナの命に別状はなかった。


 その件で、俺は吹っ切れた。

 シルヴィアなどという凶悪な女などのために、自分を偽るのが馬鹿らしくなったのだ。

 もう迷いはない。

 俺はルミナが好きだ。


 そのことを伝えると、医務室でルミナはパッと泣き顔を輝かせ……。


『ルミナ、殿下のこと一生お慕い申し上げます!』


 涙を空気に散らせながら、俺に抱きついてきた。


 彼女を抱き返しながら、想いを受け入れてよかったと――心底、感動した。


 そして、同時に思うのだ。

 俺が仲良くしているだけでルミナを殺そうとするシルヴィアなど、もう婚約者でもなんでもない。


 シルヴィアとの婚約は破棄する。

 王命がなんだ、こんな危険な女を婚約者にしておけるものか。父王にはあとできちんと説明しよう。

 大丈夫、こうなった次第をちゃんと説明すれば、よくぞ婚約破棄の決断を下したと俺を褒めることこそあれど、貶すことなどないはずだ。

 こんな卑しい精神の人間を、王族として迎え入れるわけにはいかないからだ。



  ◆ ◆ ◆ ◆



 タイミング良く、俺が主催する夜会が直近にあって本当によかった。

 この場で婚約破棄を突きつけ、この女の罪を暴き立ててやる。

 俺は天使を守る騎士になったのだ。


 だが、眼の前に言いる女――氷の探偵令嬢シルヴィア・ディミトゥールは手強い。


 早く、その氷のような美貌を醜くゆがて許しを請わせてやりたい。いままで自分がルミナに対して行ってきた悪逆非道の行いを、今ここに懺悔させるのだ。


 そして反省しきったところに、ルミナとの真実の愛を堂々と突きつけてやろう。


 探偵小説ばかり読む異色の令嬢よ。お前は真実の愛の前に敗れたのだ、と。


 そういえば、このこととはまったく関係ないが――。

 なにやら予告状が来ていたな。


『ルース・ハルツハイム様

  貴殿が主催せし夜会にて、我が愛しき宝石を返していただきに参上つかまつる

          怪盗皇子 ブラックスピネル』


 まあ、どこぞの若い貴族がジョークで送ってきたのだろう。

 こういうジョークが好きな貴族は多いものだ。


 いつも冗談をいって令嬢を引っかけている友が何人か思い浮かぶ。

 きっと、そんな友のうちの誰かがこんな手紙を寄越したのだ。センスが悪くて面白くもなんともないが。


 怪盗皇子ブラックスピネルなどというスカした名前も、いかにも遊び人の貴族が付けそうではないか。


 ルミナを抱きしめた俺が、シルヴィアに鉄槌を下す俺の勇姿――。考えただけで武者震いがしてくるではないか。




 ――だが。


 それがまさか本物の予告状だっただなんて、誰が予想し得ただろうか?



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