第8話 真犯人は開きなおるもの
「そ、そういえば俺も実際に傷を見てはいない……」
ルミナ様にしがみつかれたまま、ルース殿下が不気味そうにルミナ様を見下ろした。
そうだろうとは思っていたけど何も見ないで信じていたのね、ルース殿下。よくいえば単純でお人好し、悪くいえば自分の信じたいことなら無条件で信じてしまう彼らしいわね。
「ルミナよ。その包帯の中身、改めさせてもらえはしまいか? いや、もちろん俺はルミナを信じるが……一応、ほら、念のために」
「……う…………」
ルミナ様の様子がおかしい。
笑顔のままピンクの目が見開かれた目は泳ぎに泳ぎ、震えが全身に伝わっている。
だが次の瞬間、その震えがピタッと止まった。彼女の唇の張り付いた笑みが、冷たく歪む。
「……あは………………」
こ、これは。
「あはははははははは!」
突如、彼女は抱きついていた殿下を強く突き放すと、仰け反って高らかに笑い出したではないか。
「何事だ!?」
ルース殿下が突然のことによろけながら叫び返している。
「あははははは! あーおかしい!!」
笑いながら、ルミナ様は手首の包帯に手をかけた。
するすると解かれる包帯は、一気に白い手首が露出し――。
晒されたその白い手首には、傷の一つもなかった。
「ルミナ、お前……、傷などないではないか!」
殿下の顔から血の気が引いている。周囲の貴族たちのざわめきが、強風におあられた木々のように一拍遅れてわーっと強くなった。
「ふん。やるじゃないか探偵令嬢。よくもアタシの計画をおじゃんにしてくれたね」
ルミナ様は可愛らしいお顔を醜くゆがめて私を憎々しげに睨んでくる。
ピンク髪ピンク目はそのままなのに、別人かというくらいに人相が変わっていた。
「あと少しでボンクラ王子の婚約者の座に収まれるってところでさ!」
人相どころか口調まで変わってしまっている。
「え、ちょ、待て。これはどういうことなのだ!」
殿下があわあわと泡をくっている前で、私は冷静に扇を広げて口元を隠していた。
もちろん、にやつくのを隠すためだ。
「自爆ですわね、ルミナ様の場合。トリックに返却期限日という数字を使ったのが間違いだったのですよ。数字は嘘をつかない……。その数字をもてあそんだあなたは数字によって敗れたのです」
「え、衛兵! 衛兵!」
ルース殿下が血の気の引いた顔で衛兵を呼ぶ。
「この女を捕まえよ!」
「はっ。かしこまりました!」
見守っていた客たちをかき分けて慌ててやってきた衛兵が、なんの遠慮もなくルミナ様の腕をとった。
「やめろ、触るんじゃないよ!」
「大人しくしろ!」
ルミナ様は衛兵の白い手を嫌悪感を込めて振り払おうとするが、私はそれを見ながら引っかかりを覚えた。
「……?」
なんだか、何かが変な感じがする。
思わず衛兵の顔をマジマジと見つめる。
刀傷のある、よく日に焼けた顔をしていた。それに髪は手入れの行き届いていないバサバサした茶色の髪――いかにも荒っぽい衛兵らしい風貌である。手袋をしていない白い手でルミナ様の後ろ手を捕らえている。
とくに変なところはないように思えるけど。
なにが引っかかるのだろう?
「あっ、ルミナ!」
衛兵に抵抗しつつも腕を拘束され連行されていくルミナ様に、ルース殿下が慌てて声をかけた。
「待て。首飾りを返せ!」
「は? こんな時になにいってんだい殿下?」
そのピンクの目は、すでに捨て鉢だった。ルース殿下はキッと彼女を睨み付ける。
「こんな時だからこそだ! その首飾り……ピンクダイヤモンドの――、ああ、そうか。それを見つけたのもお前であったな……!」
ピンクダイヤモンドの首飾り?
ああ、ルミナ様がしている、あの妙に豪華なあれのことね。――周囲に無色のダイヤモンドを散りばめた大粒の美しいピンク色が、ルミナ様の露出したデコルテでロウソクの光を受けてキラキラと輝いている。
「王家の宝を見たいというお前の願いを叶えるため宝物庫探検ツアーを開催したときのことだったな、宝物庫の奥深くであの金庫を見つけたのは」
思い出すように、それでも視線をルミナ様からは逸らさず――ルース殿下は呟きはじめた。
「お前は迷うことなく手持ちの聴診器を宛ててカチカチやって金庫を開けた。そこに入っていたのがその来歴不明のその首飾りであった……」
え、ちょっと待ってよ。普通の男爵令嬢は聴診器を当てて金庫のダイヤルをカチカチ回したりはしなくてよ。まずその時点で怪しみなさいな!
「見つけたのはお前だし、お前の気を引くためと思い請われるがままお前に贈ったが……。思い返してみれば、お前はあのとき王家の宝物庫で堂々と金庫破りをしたのだな……!」
思い返す前に気づいてください、殿下。
それに来歴不明の首飾りって、そんな物を浮気女にプレゼントするんじゃないわよ。
もし家宝ともいえるほど価値のあるものだったらどうするのよ。ていうか、花束を贈るみたいにカジュアルにピンクダイヤモンドを浮気女にプレゼントしないでよ、ピンクダイヤモンドって普通のダイヤモンドよりも高価なのよ?
もうっ、ツッコミが追いつかないわ!
「お前がそのような女だと分かった以上、その首飾りは返してもらうぞ。それは我が王家のものなのだからな!」
「……あら、そうかい」
ニヤァッ、とルミナ様は口角を上げ、ピンクの瞳にあざけりを浮かべた。
「でもな、これはもうアタシんだ。取り返そうったってそうはいかないよ! と言いたいところだ・け・ど・も……」
わざとらしく言葉を句切りながら、やれやれ、という感じで首を振るルミナ様。
「こういう状況だからねぇ。抵抗したってどうせ分捕られるに決まってるし、有効活用といこうじゃないか。取り引きだよ、王子殿下」
「なんだと、取り引き?」
「そうだよ。この首飾りは大人しく返してあげる。そのかわり、アタシのこと見逃してくれないかねぇ」
「なっ……!」
ルース殿下が目を見開く。そりゃそうよね、いきなりこんな虫のいいことをいわれても困っちゃうわよね。
というか首飾りはあとでなんの見返りもなく取り返すことができるんだから、取り引き材料になどなるわけがないでしょうに。
「お願いしますの、殿下ぁ……」
ルミナ様の口調が変わった。
人相も、夢見るようなトロンとしたものに戻っている。
さっきまでの凶悪人相が嘘みたいだ。
「ルミナ、痛いのも苦しいのもいやなんです。この首飾りもお返します。もう二度と殿下の前には現れないとお約束いたしますからぁ……」
哀れっぽく目を潤ませるルミナ様。
「う、うむ……」
ルース殿下の表情が揺れた。
……ちょっとちょっと、嘘でしょ? 見るからに心がぐらついているじゃないの。
やっぱり殿下ってこういう女の子っぽいアプローチに弱いのね……。まったく、ずいぶんチョロい王子様だこと。
「シ、シルヴィア。どうしたらいい?」
「は? 何故そこで私に話を振るのですか」
「お前は探偵令嬢だし」
私は扇を軽く動かしながら、冷静に首を振ってみせた。
「なんでも探偵に頼るのはおよしください。殿下ご自身がお決めなさいませ」
こんなことで『お前がこういったからこうしたんだ』なんて責任を転嫁させたくないしね。
でもまさか、取り引きに応じたりしないわよね。
いくらなんでも、そんな、まさかね……?
「う、うむ。そうだな……」
殿下は顎に手を当てて考え込んでしまう。その青い瞳には、迷いの色があった。衛兵に後ろ腕をとられているルミナ様は、いかにも哀れっぽい仕草で甘えるように殿下を見つめている。
会場にいる貴族たちが、ひそひそと殿下の決断を予想しはじめた。
「いくらなんでもな」「まさか、ですわよねぇ」「いや、殿下ならやりかねないぞ――」
……ちょっと、頼むわよ殿下。『まさか』なんて起こさないでよ?
しかし、ルース殿下の決断を我々が知る瞬間は永遠に来ることはなかった。
それどころではなくなってしまったのだ。
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