赤いキツネと緑とアニキ(と黒いブタとカレー)
いもタルト
第1話
苗字が赤井のくせして、子供に「きつね」なんて名前をつけるくらいだから、きっちゃんの両親は相当なワルだ。
名は体を表すというが、いわゆるキラキラネームなんてものは、親の知能指数を如実に表している。
だからといって、ありきたりな名前ならいいかというと、物事はそう単純ではない。
かくいう私も、緑と名付けられた。
それがどうした、平凡な名前じゃないか、と言われそうだが、平凡ゆえに平凡になり切れない人間がその名を背負わされたとしたら、平凡になれない苦しみが一生続くわけで。
これゆえに、人に名前を付けるという大罪を犯した全ての両親は、未来永劫地獄の劫火に焼かれる資格があると思う。
罪名は「名付け」。名付けた罪で逮捕します。はい、人を呪うより罪が重いです。
きっと、だから人は永遠に輪廻を繰り返すのだろう。
仏陀は解脱への道を説いたが、私に言わせれば解脱なんかちょろい。名前を付けなければいいだけの話だ。
私は子供が生まれても、絶対に自分の子供に名前を付けたりなんかしない。
だいたい、緑は好きじゃない。
だから、きっちゃんが喋らなくなったのは、全然不思議じゃない。
「きつね」と名付けられた瞬間、遅かれ早かれ言葉を失う宿命を背負わされたのだ。
個性を伸ばす教育バンザイ。可能性に満ちた社会バンザイ。自由な世界バンザイ。
生後まもなく、きっちゃんは限定的な存在として規定されたのである。
私は神です。あなたを無限な存在として作りました。
でも、あなたは「きつね」です。
自由になりたければ、キリストをあなたの主としなさい。
うん。ザビエルが正しい。
名前がある限り、人間は自由の刑に処せられることはない。サルトル君、残念!
「きっちゃん、ご飯できたよ」
カレーが出来上がって、私は小さな同居人を呼んだ。
きっちゃんの両親は小さな一人娘に大きな呪いを残して、どこかに消えてしまった。それが約半年前。
彼らは私の母親の妹夫婦にあたる。幼い頃に何度か会ったような記憶はあるけど、正直よく覚えていない。
しばらく没交渉にしていて、母の葬式のときに急にふらりと現れて、きっちゃんを置いていった。
一人手で私を育ててくれた母も、あまりおばさんのことは触れたくないみたいだったから、彼らに対する情報は私の中にはほとんどない。
こんなに大きな子供がいたんだ、ということもそのとき初めて知った。
ちなみに私を緑と名付けた私の父親は、私が小学生のときに母と離婚しており、別の場所で家庭を築いている。もう久しいこと会ってはいない。
そんなこんなできっちゃんと2人取り残されたとき、いったい私にどうすればいいのよ、と思ったけど、きっちゃんは私が作ったカレーを全部食べてくれた。
だから私が育てる、っていうのは大袈裟だけど、一応従姉妹でもあるんだし、一緒に暮らすことにした。
小学校3年生にしては、でかいのか小さいのかわからない。私はきっちゃん以外の小3のサンプルを知らない。
固い表情のまま、きっちゃんは食卓につく。きっちゃんはほとんど表情を変えない。けど、時々緩むのを知っている。
一度、私の帰りが遅くなったとき、安堵した表情を見せてくれたことがあるから。
そのとき、きっちゃんは大量に増殖した黒いブタに囲まれていたが、顔を上げて私を見ると、唇の端を少し緩ませた。
ブタの数が減って、いつもと同じくらいになった。
お腹が空いたら食べてもいいよと、非常食用に買い貯めてあったポテチの袋は一つも減っていなかった。
私はカレーしか作らない。今日もカレー、明日もカレー。明後日も明々後日も、その次の日も、ずっとずっとカレー。
カレールウは使わずに、ちゃんとスパイスから作る。
私の買い物カゴには、いつもトマトと玉ねぎが入っている。
その日の気分に合わせて、ナスや枝豆を入れたりもする。
何を入れても、カレーはカレーになるから好きだ。
私がどんなに限定を加えようとしても、カレーは相変わらずカレーとして踏ん反り返っている。
スパイスの分量は適当だから、いつもちょっとずつ違う味になる。
でもいつもカレーになる。
私はカレー作りが好きだけど、プロのカレー屋さんにはなれない。
いつもレシピ通りに同じ味に作るなんて、私には無理だ。私には名前が付いたカレーは作れない。
私はきっとプロの人よりカレー作りを愛している。でもプロにはなれない。それは不公平だ。
私がカレーしか作らないから、きっちゃんはカレーしか食べてない。でも大丈夫だろう。インド人はみんなそうなのだから。
でもいくらカレーを食べても、緑もきつねもインド人にはなれない。
もしもカレーより寿司が好きだというインド人がいたら、私はそいつの首を絞めてやる。
「ういーっす」
もう一人入ってきた。
この人はアニキ。といっても実の兄ではない。従兄弟のお兄さんでもない。私のおじさんだ。
母の年の離れた弟で、きっちゃんのお母さんはこの人の姉にあたる。
私とは一回りの違い。でもおじさんと呼んだことは一度もない。
この人が自分のことはアニキと呼べと言ったから、私は今までずうっとアニキと呼んでいる。
母もこの人のことを子供の頃のニックネームで呼んでいたから、本名は知らない。
母が死んだときに戸籍謄本を見たけど、緑という名前が書いてあるのを見て、なんだか例えようのない不安にかられて、他のところまで見る余裕はなかった。
緑。緑。
緑という誰かが私の代わりに日本国というシステムの歯車の一部になっている。
じゃあこの私は誰なんだろう、そう思った。
そこに書いてある緑という文字が自分のことを指しているのだとは、どうしても思えなかったのだ。
一方で、アニキは自分で自分に名前を付けた。
戸籍上は叔父さんなのかもしれないけど、アニキはアニキでいい。私より年上なのは間違いないのだから。
本名だって、なんらかの名前で戸籍に登録されているのだと思うけど、そんなもの知る必要はない。
もし知ってしまったとしたらゾッとする。
例えば、「タカヒロ」とかいう名前だったと知ったら、その瞬間アニキはアニキでなくなる。
もはや単なるアニキではなく、アニキ且つタカヒロになってしまう。それは考えるだけでも恐ろしい。
ナスを入れてもカレーはカレーのままだが、タカヒロをくっつけたら、アニキはアニキでなくなってしまう。
アニキは訳あって両親の家を勘当され、訳あって独身だ。
だから時々、夕飯時になると私の家に来ることがある。特に母が死んでからは、わりかししょっちゅう来る。
今じゃ、アニキにもスパイスの匂いがついてしまったんじゃないかというくらい、頻繁に来る。
食卓にいるのは私たちの他に、何体かの黒いブタだ。
いや、見た目はブタじゃないけど、アニキがこいつらのことをブタというからブタになっている。名付け親はアニキだ。
もし別の人が名付け親だったら、彼ら(彼女ら?)は、別の存在として規定されていたはずだ。
ブタは黒くて丸くて、きっちゃんより頭一つ分背が低い。いつもどこかしらにいて、増えたり減ったりする。
正確な数はわからない。初めて見たのは、父が家を出ていってしまったときだっただろうか?気がついたときには、もうブタはいた。
母が死んだときに倍くらいに増えて、きっちゃんと暮らすようになって、更に倍になった。
「ブタにカレーだな」
とアニキはいつも言う。
おそらく豚に真珠に掛けているのだろうけど、どうして口に出す前に、これは言ってもウケないから言うのはやめておこうと思わないのだろうかと不思議になるが、それを期待している私もいる。
きっちゃんはアニキの方を見ることなく、黙々とカレーを食べ続けている。
今頃、他のまともな家庭でも夕食時なのかなと思う。
きっと日本のどこかでは、両親が揃っていて、子どもがいて、食卓にブタのいない家庭があるのだと思う。私にもそういう時期があった。
でも今の私には、きっちゃんとアニキがいれば十分だ。他の人は他の人で、どこかで天婦羅でも食べていればいい。
「ここで皆さんに重大発表があります」
とアニキはもったいぶって言った。
「なに、なに?」
カレーを紙のお皿に盛り付けながら、私は興味を惹かれたような顔をアニキに向けた。
私は陶器のお皿は嫌いだ。食品のような柔らかいものを、固い陶器に盛るのはおかしい。だからお皿もコップも紙のを使う。陶器には落雁でも乗せておけばいいのだ。
「えーっと、僕は車を買いました」
「えー!アニキ、いつも金欠だって言ってたじゃない」
いつも俺としか言わないのに、僕だって。なんかアニキっぽくない。いや、そこじゃないか。
この人にお金があるのかないのかわからないけど、いつもヨレヨレのTシャツにパーカー、汚れたデニム。第一、顔がお金持ちっぽくない。
「それだよ。ジャーン!皆さんにお見せします。万馬券様です!」
小さな紙切れを見せられた。そんなもの見ても意味がわからないけど、とにかく競馬で大穴を当てたのだろう。
「ふうん。それで、何買ったの?」
「これだよ。中古のフィアット・ムルティプラ」
そう言ってアニキはスマホの画面を見せようとした。私と黒いブタが押し合いへし合いで、小さな画面を覗き込もうとする。
醜いカエルの子みたいな、ボテッとしたブサイクな顔が見えた。
「やだ、昔のイタリア車じゃない。壊れたりしない?」
「フェラーリじゃないんだから。それに俺は自動車整備工だぞ。仮に故障しても自分で直す」
「えっ、アニキって自動車整備工だったの?」
「なんだ、知ってただろ?」
「ギャンブルで生きてるんだと思ってた」
「あのなぁ。漫画と現実は違うんだぜ」
私は軽くショックを受けた。そうだったんだ。アニキって自動車整備工だったんだ。
アニキという概念に新たな属性がくっついてしまった。
やばい。もうアニキを今までのようには見れない。黒いブタがまた増えた。
「それなら、もっとカッコいい車にしたら良かったんじゃない?デロリアンみたいなやつ」
「日本のガスストップに核燃料はない。それに俺は過去にも未来にも興味はない。今度の日曜日に、みんなで海に行こう」
「んー。なんか海より沼って感じ。なんでこれにしたの?」
「それは乗ればわかる」
次の日曜日まで、私のやることは普段と変わらない。
適当に大学に行き、帰ってきてはカレーを作り、きっちゃんに勉強を教える。
きっちゃんは部屋から出ない。学校には行かない。
私がきっちゃんの世界の神であり秩序だ。
三角形の内角の和は180度だ。それは不変だ。相対性理論なんてくそくらえだ。
地面は平らで、太陽は東から昇って西へと沈む。星は動いている。大地は不動だ。
地球が太陽の周りを回っているだなんて、実感がわかない。
私には天動説の方がしっくりくる。最近アメリカで地球平面説を信じる人が増えているというけど、その気持ちはわかる。
夜空を見上げればペガサスが駆けている。それが本当はペガサスの姿をしてないだなんて、なんて残酷な真実だろう。都会では見えないけど、きっと天の川も流れている。
アニキは変わってしまった。アニキ及び自動車整備工になってしまった。
私は今日もカレーを作る。存在の不確かさに抗うかのように。カレーを作っているとき、私は無になる。ブタも目に入らない。
「変な顔。グロテスク」
当日。
カレーを保温容器に詰めて、ペットボトルの水と一緒にリュックに詰める。紙皿と紙コップも忘れない。
セーターとジーンズの上にモッズコートをはおり、ニットキャップもかぶる。スキニーなんて体を締め付けるものは着たくない。
きっちゃんにはオーバーオールの上からフリースのコートを着せる。もっとファッションセンスのある神だったら、と思わざるを得ない。
クラクションを合図に外に出ると、写真で見るより数倍ブサイクな顔があった。
「乗ってれば見えないさ。カニと同じだ。カニだってグロテスクだけど、中身だけ見てればわからない」
よくわからない理屈だけど、もし私がカニを常食とする生き物だったら、それ以降カニが食べられなくなりそう。存在するとは意識することなのだ。
運転席にアニキ。ちゃんと右ハンドルだ。助手席に私。その真ん中にきっちゃん。
後部座席には黒いブタたちがわんさか入り、ぎゅうぎゅう詰めになる。この子たちも連れてってあげなくては。
走り出す。意外とスムーズ。
横並びの私たち。ここには上下関係はない。ムルティプラは3席2列シートだ。席が3つ横に並んでいる。
なるほど、これならきっちゃんだけ後ろとか、アニキだけ前とかない。
だからこの車を選んだのか。少しアニキを見直した。
自動車整備工でもいいかも、と思った。後ろの席が少し空いた。
住宅街の狭い路地を抜け、ナンバリングされた広い国道に出る。ここにも名前が付いている。
数字であっても名前は名前だ。
名付けられた瞬間、それは機能を与えられ、自由を失う。
本来、道は全て繋がっている。
私の家の前の道路も、国道も変わりはないはずなのに、名付けられることによって差別が生まれる。
神は世界を創造した後、アダムをして全てのものに名前を付けさせた。
でも、「光あれ」と言ったその光だけは、神が名付ける前から光という名前があった。
ならば緑もきつねも、光で良くはないか?
親が余計なことをしなければ、きっと私たちは共に光であった。
名付けられたせいで、地上の存在になってしまったのだ。
ムルティプラの窓に、無数の名前を持ったものたちが現れては、高速で過ぎ去っていく。
光の速さで飛ぶ宇宙船の中では、時間の流れが違う。
私たちは光だ。きっとムルティプラの中は、外の世界と時間の流れが違う。でなければ、このブサイクな顔の説明がつかない。
外の人たちからは、私たちはどんな風に見えるだろう。
地球観光に来た宇宙人の家族。アニキがお父さんで私がお母さん。きっちゃんは一人娘。役割を演じるのが家族なら、本物でなくともいい。
地球時間で3時間以上が過ぎたとき、ようやく海に着いた。
風なんか普段いつも吹いているが、意識することはない。
でも海に来ると風に敏感になる。車の音が減って、波の音が増える。
近づいては遠ざかる車の音は不快なだけだが、寄せては返す波の音は心地いい。
リズムはそう大して変わらないのに、この違いはなんだ。
「結局、俺たちも自然の一部なんだよ」
深く息を吸い込んで、アニキが意味深なことを言ったかと思うと、突然走り出した。
海を見ると条件反射的に走れてしまう人が羨ましいが、私はアニキよりも文明寄りである。
「ご飯にしよっか」
砂浜にレジャーシートを敷こうかと思ったけど、細かい砂が飛んでくる。
私ときっちゃんは、宇宙船の中でカレーを食べ始めた。
外にどんな有害な放射線が降り注いでいようと、この醜いカエルの中にいれば安全だ。
「なんだよ。俺も食べさせてくれよ」
海岸を走って楽しいのは、10代のごく一部の期間だけなのだ。
アニキも私もとっくの昔に通り過ぎているし、きっちゃんはまだこれからだ。
カエルの中がスパイスの香りでいっぱいになる。
家の台所の匂いと同じ。この香りがあれば、どこだって私の居場所になる。
またカレーかよ、なんて、テレビの中の登場人物が言うような陳腐なセリフを吐く人はここにはいないから安心感がある。
「なあ、海に来たところで俺から提案なんだけど」
「なあに?」
「俺たち、みんな一人ぼっちだよな。家族という点に関しては」
私たちはみんな壊れた家族の出身だ。
私は両親が離婚し、母も逝ってしまって一人。
きっちゃんは両親に捨てられた。とても重い原罪を背負わされて。
アニキはというと、アニキはゲイだ。
それが元で両親、つまり私の祖父母の家を出た。
古い考えの祖父母にとっては、アニキは普通の男性でなくてはいけなかった。
文字通りの名前ではないけど、それが彼らがアニキに付けた『名前』だ。
だからみんな家族がいない。
でも、家族なんて何になるのだろう。
強制的に名前を付けられて、強制的に役割を与えられて、演じているだけ。
家族ごっこをしているだけだ。
家族なんてのは、自分に勝手に名前を付けた人たちだ。父親とはしばらく会っていないけど、今更会いたいとは思わない。それはきっちゃんだってそうだろう。
「でも、俺たちは家族のように繋がっていると思う」
「そうだね」
それは正しい。ある意味正しい。家族というのが、お互いに表面だけを見せ合うものだとすれば、私たちはまるで家族のようだ。
私はきっちゃんの声を聞いたことがない。アニキの本名を知らない。自動車整備工だということも最近知った。
きっちゃんは、私が大学生で、緑で、カレーしか作らないということ以外の情報は持っていないと思う。
アニキだって年頃の女の子のことをそんなに知っているとは思わない。
でも私たちは一緒にカレーを食べる。同じスパイスの匂いがする。こうして1列に並んで海に来たりもする。
だとしたら、家族よりも繋がりが深いのではないだろうか。
「俺たちのことを一括りに言い表わす言葉として親族というものがあるが、それもどうもしっくりこない」
「うん」
「そこで、だ。俺はいいものを見つけた。俺たちは、義兄弟にふさわしいと思う」
「義兄弟?」
あの時代劇に出てくる、盃を交わすやつか。
「ああ。俺たち3人で、義兄弟の契りを交わそう」
「お酒持ってきてないよ」
「運転してきたんだぜ。カレーがあるじゃん。カレーで契るのさ」
「どうやるの?」
「ええと、健やかなるときも病めるときも、汝はこの女を義兄弟として誓いますか、いや、やっぱり違うな。それじゃない。こうだ。俺が義兄弟に乾杯、と言ったら、カレーを一さじ食べるんだ。いいか?義兄弟に乾杯!」
アニキと私は、カレーを一さじすくって食べた。それを見ていたきっちゃんも、マネして食べた。
「よし。これで俺たちは義兄弟だぜ。じゃあ、俺、もうひとっ走りしてくる」
アニキは宇宙船の外へと飛び出していった。
私ときっちゃんも、砂浜に降りる。
これは人類にとっては小さな一歩だが、私たちにとっては、大きな第一歩である。黒いブタたちも、私たちに続いて砂浜に降りた。
「うぷぷ。この車、外から見ると、ほんっとにブサイクよね」
きっちゃんの顔が少しほころんだように見えた。
若干9歳にして、この子は自分を周りの環境から切り離す術を身に付けている。恐るべき超越論的9歳児である。
この子はこうして、ずっと宇宙から地上を眺めて生きていくのだろうか。
それとも、どこかで止まり木を見つけて、身を寄せることができるのだろうか。
きっちゃんは美人ではない。でもブサイクでもない。モデルにも、お笑い芸人にもなれないだろう。
でも一般人になるには、決定的に何かが欠けている。一般人の資格のようなものが。
いつかきっちゃんが私のカレーを食べなくなるまで、私はカレーを作り続ける。たとえそれがどこにも通じていない道だとしても。
私はどうするのだろう?まだ2年は学生でいられる。でも、その後は?カレー作りしか取り柄がないのに、カレー屋さんにはなれないなんて。
よすがのない宇宙空間に、私たちを乗せたムルティプラが漂っているイメージが浮かんだ。なんて中途半端。
「いやー、走れねえ」
波打ち際に手を浸していると、ゼイゼイ言いながらアニキが戻ってきた。
「お帰り」
「僕にはまだ帰れるところがあるんだ」
「なにそれ」
「いいよ、知らないなら」
アニキは少し決まり悪そうだった。
「それより楽しんでいるかね?妹たちよ」
「私たち、妹なんだ」
「そりゃそうだろ。俺がアニキなんだから。華麗なるカレー三兄弟だ」
また名前が付いた。私は緑であり、カレーしか作らない人であり、妹になった。きっちゃんから見たら、姉でもある。世界の秩序を教える神でもある。
「そろそろ帰るぞ」
「まだ来たばっかじゃない」
「帰りだって3時間以上かかるんだ。今から出ないと夕飯に間に合わない」
帰り道。私たちは周りのドライバーの、奇特なものを見るような視線を浴びながら帰った。
こんなカエルのおばけみたいな車は珍しいのだ。名前は増えるよどこまでも。私たちは宇宙船カエル号の乗組員だ。
きっちゃんは寝てしまった。後ろのブタたちは大人しくしている。
「俺さ」
「うん」
私もちょっと眠い。でも寝てしまったら、運転してくれているアニキに失礼だ。
「地球を動かしたかったんだよ」
「アルキメデスの梃子?」
「うん」
アルキメデスは、我に支点を与えよ。さすれば地球を動かしてみせる、と言ったとされる。
不確かな世の中において、変わることのない絶対的な支点。それがあれば、どんなに大きなことでもできる。
私はそれは信仰ではないかと思う。風が吹けば崩れる砂山に絶対的な支柱を立てるには、信仰によるしかないのではなかろうか?
健やかなるときも病めるときも、私はこの人を伴侶と認めます。人は誓うとき、そこに支点ができる。
「俺の両親は、俺がゲイだということを認めてくれなかった。だから俺は家を出た。でも、ずっと根無し草みたいな感じがしてた。浮草だ。家族から切り離されるということは、先祖代々続いてきた縦の糸が切れるみたいなもんなんだ」
それはわかる。私もなんかそんな感じがしてた。おそらくきっちゃんも。
「ずっと支点が欲しかった。この世界のどこかに。でもそれはいくら探しても見つからない。だから俺は横の糸を張ることにした」
今日、私は新たな名前を手に入れた。また一つ複雑になった。
悟りとは、不確実な世界に、ただ一点の揺るがないポイントを見つけることではないと思う。
逆に、世の中とは、複雑に絡み合った状態が正常なのだということを受け入れることが悟りではないのか。
「浮草でも3つ集まれば流されなくなる」
そうか。無数の縦糸と横糸を張れば、浮草は座標が定まる。アニキは浮草だ。私も浮草だ。きっちゃんも浮草だ。
だけど、私たち3人は浮草じゃない。義兄弟という名前が付いている。
「ねえ、夕飯作るの疲れちゃった。途中でハンバーガー買って帰らない?」
「お、そうか?俺はカレーのつもりだったんだが、まあ、昼に食べたからいっか」
「うん。ハンバーガーの味も知ってみたい」
私は緑であり、大学生であり、カレーを作る人であり、妹で、姉で、神だ。ハンバーガーを探究する人でもある。
縦糸と横糸が増えていくたび、一つ一つの編目は小さくなり、意味を軽くしていく。
まだ糸が足りなくて揺れ動くけど、全部張り終わったら、きっと一枚のタペストリーができているはずだ。
前の座席には、太い横糸が一本通っている。
後ろには誰も乗っていない。
赤いキツネと緑とアニキ(と黒いブタとカレー) いもタルト @warabizenzai
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
参加中のコンテスト・自主企画
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます