囁く書

@sabure2

囁く書

 香(こう)は本が好きだった。幼稚園の時から、「香ちゃんは本ばっかり読んでるんですよ。」と保育士さんに言われていたらしい。

 小学校では県立図書館のカードを作って本を読み漁り、中学受験をして中高一貫の女子校に入学した香は、中学で図書室の本を大部分読み終えてしまった。もちろん県立図書館にはまだ読んでない本が沢山あるのだが、県外の大学を受験することも考えている香は今しかできないこととして、街の古本屋巡りを趣味としていた。


(今日は何処に行こう。アーケードの方に行けば沢山お店があるし、新刊もあるかも。)


 休日、香は趣味の古本屋巡りに繰り出した。背中のリュックには文庫本が二冊入っている。外出中には読まないかもしれないが、持っていないとなんとなく不安だ。

 何を隠そう、家の自室には漫画と小説が合わせて二千冊程ある。お陰で部屋の床は本棚の方に少し傾いており、ボールを置くと転がっていく。そのため家族からは電子書籍にしろとうるさく言われているが、私が「電子書籍にしたら嗅げないじゃん。」と言ったら異常者を見る目で見られた。


(わかんないかなー、インクの匂いの良さが…ん?)


 アーケードの中に、周囲の柱に混ざるように、寂れた鳥居があった。


「あんなところに、鳥居なんかあったっけ?」


 神社があるならお参りでもしようかと思うほどには善良な香は、吸い寄せられるように鳥居の方に向かって行った。

 鳥居をくぐると、アーケードのタイルとは違う草地に出た。ビル影で薄暗く、進むのに少し勇気がいる。少し進むと、ハッと目が覚めるような光景があった。古民家風の建物がビルの隙間から差した光に照らされた草地の中に立っており、青々とした芝生がきらきらと光っている。

 光に誘われてふらふらと近づくと、古民家風の建物は本屋であることがわかった。


「本屋!!!」


 カッと意識が覚醒する。ダッシュで入店しようとしたところ店先にあった祠を見て急ブレーキをかける。本屋の前の祠なんてご利益がありそうだ、詣でねば。石の皿に五円玉を置いて柏手を打つ。


(未知の書と巡り会えますように。)


 しっかりとお祈りをすると、香は本屋に入って行った。本屋には、隙間屋書店と扁額が掲げられていた。


「いらっしゃい。」


 ゆっくりと一歩を踏み出すと、真向かいのレジカウンターにいた中年の店員さんと目が合った。本屋の中は隙間屋書店と言うだけあって、所狭しと本が並べられており、その間を縫う様にして進んで行った。店員さんにこんにちは、と少し頭を下げて書棚を見ることに集中する。

 そこには楽園があった。


(わー!プリニウスの博物誌だ!全三十七巻、図書館でしか見たことないよ。えっこんな値段なの?一冊だけなら…、ってこの大きさ、流石にお母さんに怒られるか…。わっ、ナルニア国物語もある!ファンタジー好きなんだよねー。あ!水滸伝もある。)


『くすくす…すっごい夢中だね。』


「ん?」


 声が聞こえた気がして手を止めて辺りを見回す……なんだ気のせいかと本に目を戻した。


『あれ?聞こえてる?』『え?ほんと?!』『聞こえてるの?』『おーい!』『お嬢さーん。』『ちょっと声かけてみてよ!』『あの、聞こえてますか?』


 ざわざわざわ、静かだった店内がにわかにに騒めき出す。周りには誰もいない、ほん、本が喋って…。


 店員さんにいきなりぽん、と肩を叩かれて「もしかして聞こえてる?」と聞かれて私はもう限界だった。


「うわぁぁぁぁ!!!!しゃぁべったーーー!!!」

「うわ。」


 隣でびっくりしたように身を引いている店員さんは目に入らない。本屋ではお静かにというのもこの時だけは忘れていた。


「本!ほん!本が喋った!!夢?夢じゃないよね?!たまんない!至福!」


 店員さんは声をかけたことを後悔するような顔をしていた。それは、電子書籍だと嗅げないと言った時の家族の顔に似ていた。




「店の中で騒いですみません。」

「いや、本が喋れば驚くのは普通だから…少し想像した驚き方と違ったけど…。」

「そう!本!どうして本が喋るんですか?!」

「いやぁ、脱サラして空いてた古民家を改修して本屋を始めたんだけど、表に祠があったでしょ。ここ霊地らしくてさ。この店にしばらくある本は喋れるようになるらしいんだよね。まぁ本の声は聞こえる人と聞こえない人がいるんだけどさ。」

「は、はぁ。」


 正直色々詰め込まれ過ぎてついていけていない。でも、本と会話ができるという喜びが香の中を満たしていく。


「あ、あのっ!ここの本ともっとお話をしてもいいですか?!」

「ああ、いいよ。それならちょうどアルバイトをしてくれる人を探していたから、どうだい?」

「いいんですか?!やります!」


 香は即決だった。




 そうして香は隙間屋書店でアルバイトとして働くことになった。アルバイトの仕事は主に二つだ。買い取った本の軽い修繕と、喋る本のお世話。


『香さん、天に埃が溜まっています。乾いたタオルか筆で拭いていただけますか?』

「うん。ちょっと待ってね。」

『いいですよ、無手勝流、勝手気ままに待ってますから。』

『こりゃ香!わしをこんなところに放置されては日焼けしてしまうぞ!全く最近の学校では何を教えておるのか…。』

「あ!ごめん教授、片付けるね。」


 これが目が回るほど忙しい!数千冊からの本が香一人にあれこれ注文をつけるのだ。ちなみに店長(店員ではなく店長だった。)はレジ前の椅子に座って本を読んでいる。


(うらやましいような、よくこの喧騒のなか読めるな。)

「はぁっ。」


 本達からの要求がやっと途切れて香は自身も椅子に倒れ込んだ。様子を見ていた店長が言う。


「香ちゃん無理に本達の要求に全部答えなくていいんだよ?本屋としての業務もあるし、キリがないからさ。」

「そうですけど、本は動けないのに体に不満があったらかわいそうじゃないですか。アルバイト増やした方がいいんじゃないですか?」


 店長は大袈裟に肩をすくめて言った。


「この万年閑古鳥が鳴いてる隙間屋書店にそんな余裕あると思うかい?それにここの店員は本の声が聞こえないとダメだから、なかなか条件に合う人がいないんだよ。」

「…その本の声が聞こえる条件ってなんなんですか?その人の体質…とか?」

「まずはそれだね。資質がないと本の声は聞こえない。この資質がある人がまず少ない。あと僕が観察していた限りだと、初めて隙間屋書店に入る前に店の前にある祠に参拝しなきゃならないんだと思う。」


 あ、と香は自身も祠に参拝したことを思い出した。


「今時縁もゆかりも無いご利益も不明な祠に参拝する善人は少ないからね。香ちゃんを見た時はおじさん涙がちょちょぎれそうになったよ。」


 店長はニヤニヤ笑って、なんていい子なんだ!と大袈裟に身振り手振りで表現する。からかわれているので放置だ放置。

 香は休憩を終えて買い取った古本の修繕作業に入る。難しいことはまだできないので、カバーを綺麗にしたりほこりを落としたりする程度だ。この子達は、隙間屋書店に来て日が浅いのでまだ喋れない、喋れなくてよかったと、汚れたカバーに消しゴムをかけながら思う。中には背割れをおこした本もある、きっと喋れたら痛い痛いと泣いているだろう。そんな子達を香は直せない。店長に直してもらって、本棚に並ぶ頃に元気に喋ってもらうのがきっといいのだ。

 消しゴムを持つ手に少し力が入った時、入り口から差し込む光が急に遮られた。香はぱっと顔を上げる。


「いらっしゃいませ。」


 珍しくもお客さんだ。ジーンズ姿の若い男性で、Tシャツの上に青いジャンパーを羽織っており、肩掛けのバッグを持っていた。偏見との誹りを覚悟で言えば、あまり本を読みそうなタイプには見えなかった。多くの本屋がそうであるように、隙間屋書店の方針は、店員は必要とされない限りお客さんには不干渉だ。本と対話する(比喩的表現で)時間に水を差されて嬉しい読書家はいない。

 男は専門書やゲームの攻略本など一見無関係な本棚を行ったり来たりしていた。香はそれきり手元の作業に戻った。それなりの時間が経って、また入り口からの光が遮られた。ああ、お客さんは何も買わず帰るのかと思った時、声が聞こえた。


『なるほど、其許も罪を犯さねば餓死する体か…しかしあえて言おう、香よ助けてくれ』


 これはたしか羅生門の下人の声!しかも男の鞄の中から聞こえる。つまり男は「羅生門」、しかもおそらく高価な芥川龍之介の署名本を万引きしようとしている!…そこまで考えて、本棚に駆け寄りコナン・ドイルの「緋色の研究」を引っ掴んで、香は鬼の形相で男を追った。外は日が差しているのに雨が降っており、男は悠々と傘を差して歩いていたが、こちらを見ると泡を食って走り出した。露天の箇所は短く、すぐ鳥居を潜ってアーケードに入った。


(人が多い…。)


 あまり足が速くない香は男を見失った。アーケードの左右どちらに行ったかわからない。せめて近くまで行ければ下人の声が聞こえるのに。手に持った緋色の研究に聞く。


「ホームズ、どっち行ったかわかる?」

「鳥居から続く水滴を見てごらん、お嬢さん。アーケードで傘を差しっぱなしにする者はまずいない。」


 水滴は右に続いていた。初歩的なことだよMy dear.と宣う緋色の研究はさておき猛然と追いかけると困り果てた下人の声が聞こえてきた。人混みに紛れるように近づくと、男は香を振り切ったと思ったのか悠々と歩いていた。気づかれると逃げられてしまう。攻撃できる距離まで近づいて、香は走った。緋色の研究は欲張らず胴を狙いなさいと言っている。


「てぇーい!!!」


 相手の背に渾身の飛び蹴りをお見舞いした。いくら女の子の攻撃と言っても全体重の乗った攻撃を喰らえば相手はこける。


「ぶっ!」


 顔面を強打した男の背に乗り周りに助けを求める。


「この人万引き犯です!手を貸してください!」

「何しやがるこの女!」


 男が体を捩りこちらに掴みかかろうとしていた。


『手の甲で男の顔をはたきなさい。』


 緋色の研究の声に従って手首のスナップを効かせて相手の顔面を叩く。


「うわっ!」


 男が怯んだ時、やっと周りにいた男性達が男を押さえてくれる。


「香ちゃん!」


 携帯電話で、おそらく警察と通話している店長が小走りにやってきた。


「店長!遅いです!」

「ごめん!探すのに手間取って。」


 男の鞄から隙間屋書店の本を取り出す。確かに、「羅生門」の署名本だった。下人が「香!遅いぞ!」と怒っているが、途中困り果てていたのを知っているので、表紙を撫でて笑みが溢れた。


 


 その後、犯人は後から来た警察に連れられて行った。香や店長は代わる代わる事情聴取を受けた。香は警察の人に、相手が武器を持っている場合もあるから1人で追いかけてはいけないと強く怒られてしまった。とぼとぼと隙間屋書店に帰ると店長が待っていた。


「香ちゃん、今回はお疲れ様。でも危ないから犯人を追いかけるのはできればやめよう。」

「…はい。」


 また言われてしまった。でも、声が聞こえているのに、助けてと言われているのに無視できるものだろうか。


「はは、納得してない顔だね。僕も本当は犯人を追いかけて二度と本の万引きなんてしようと思わない目に合わせてあげたいけど、それは自分の安全を軽視していいというわけじゃない。それはわかるね。」

「はい。」

「でも同時に香ちゃんが本のことであんなに怒って必死になってくれる人間でよかったと思ったよ。本のことをよくお世話して知らないと犯人を追いかけるのにホームズを連れていくって発想にもならないだろうしね。今回は危ない目に合わせてしまったけど、もし嫌でなければこれからもここで働いてほしい。」

「!こちらこそ、よろしくお願いします。…でも店長。追いかけちゃいけないならせめてカラーボールとか防犯グッズ用意しません?」

「あー、盲点だったね。」


 ちょっと不思議な隙間屋書店はこれからも続いていく。貴方が訪れるときは、まずは祠にお参りを。中に入れば、今度は女性店長さんと囁く本達が出迎えてくれるかもしれません。

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