第42話 脱出 ※


「セレナ姐さん!」と、ノクスが飛びついた。セレナは優しくノクスの頭を撫でながら、彼女が一生懸命話すのを静かに聞いている。


「え?  ボス部屋があるの?」セレナは興奮気味に問いかける。


「ダメだ。明日にしよう。今日は他に行くところがあるだろう」アキラは冷静に制止する。セレナは無理を言わず、納得している様子だ。事前に今後の予定や、商人に会ったときの接し方について説明してあるからだ。


「商人さんを地上に連れて行こう。ルナ、乗せてくれるか?」


「ワオーン」珍しく戦闘に参加しなかったルナだが、蝙蝠や蛇に興味はないらしく、死体には一瞥もくれず、運賃を要求してくるような態度を見せた。


「何が言いたいかわかるよ。移動したら食事にしようか」アキラは得意げに答えた。


「まあ、間違ってないね」セレナは笑った。


 ハートフェルトは、狼の背中に乗るのが怖かったが、少年の言う通りにしてみた。彼はおそるおそるルナの背に乗ったが、それはまるで高級な絨毯の上に座っているかのようで、快適さと疲れで、思わず眠ってしまいそうになる。


 その様子を見たアキラが、「落ちないように気をつけて」と声をかけた。


「ワオーン」「ルナは寝てても落とさないってさ」


「いいなあ、私も乗りたい!」とノクスが甘える。


「もう一人前なんだから、ノクスはダメ!」セレナが優しくたしなめた。


 ノクスは不満そうなふりをしつつも、セレナに一人前と認められたことが嬉しくて、顔にその気持ちを隠しきれなかった。


 全員で荷馬車のところに戻ってきた。


 -救出クエストは成功しました -


 ハートフェルトは、アキラという魔導士の少年、牙狼族の少女と狼、そしてハイエルフの少女――この独特な冒険者の組み合わせを町で見かけたことも、噂で聞いたこともなかった。


 何度か魔物との戦闘を目にしたことはあるが、これほど高レベルな 戦闘は初めてだった。


「助けていただき、本当にありがとうございました。私はウエストグレン商人のハートフェルトと申します。アズーリア村への行商の途中、避難している最中に転落事故を起こしてしまいまして……」と、商人ギルドの証を見せた。


「僕たちは、えーっと……」アキラは少し戸惑った。自分たちをどう名乗ればいいのか。


「私たちは森を調査している冒険者パーティ、アーセノルです。リーダーのアキラです」彼が言い終えると、全員がそれぞれ自己紹介をした。


「失礼ですが、王都から来られたのでしょうか?かなり名のあるパーティとお見受けしました」ハートフェルトは興味深そうに尋ねた。


「王都? 違いますよ。ところで、私たちもアズーリア村に向かうつもりなんですが、道案内をお願いできませんか?」アキラは話題を変えた。


「もちろんです。喜んで。ただ、外にも魔物がいたので、護衛していただけるとありがたいです」


「心配無用。追っ払っておいたよ!」


「そうですか。それにしても、セレナ様はお強いですね。私は無力で……」


「そんな謙遜はいらないよ。商人なら、物を売ればいいんだ」セレナが軽く言い放った。


 一方、全てを知っているラピスは、心の中で微笑んでいた。誰のせいでこんな事故が起きたのか――予期せぬイベントの発生で、大量のポイントを手に入れ、次のステップに進むことができた彼女は、満足していた。



 外に出ると、澄み渡る青空が広がっていた。昼食と出発の準備を整えている間、アキラは周囲を伺うふりをして洞窟を抜け出し、ラピスに話しかけた。


「アキラさん、アーセナルじゃなくてアーセノルって……ネーミングセンス……」ラピスは笑いをこらえるのに必死だった。


「みんなの名前を一字ずつ取ったんだよ。」アキラが少し照れながら答えた。


「わかってますけど、それでも……でも……」ラピスは、壊滅的なセンスの無さに笑いが止まらず、涙まで流し始めた。「愛すべき男の魂が見える、本当に……」


「それよりさ、ラピさん、商人にはどこまで話していいのかな?」


「特に問題ないです。彼は仲間ではないけれど、協力してくれるでしょう」


「じゃあ、必要なことは何でも頼んでもいい?」


「もちろん。それがこのクエストの目的だから」ラピスは笑顔で答えた。


※※※


 山吹は家に帰り、兄の部屋の扉をそっと開けた。部屋には兄のわずかな気配が残り、今にも戻ってくるような気がした。彼女にとって唯一の身内である兄、すでに亡くなった両親に代わり、ただ一人彼女の側にいてくれた人だった。兄の進学に合わせて一緒に上京し、二人で暮らしていた日々が、ふと蘇ってくる。


「心配性だね、兄さんは」と笑った自分の横で、兄はいつも真剣な顔で「そうかな⁈」と答えたこと。夜遅くまで課題をしている彼に、甘いコーヒーを淹れたら「ありがとう」と嬉しそうに微笑んだこと。そんな思い出が、今は遠い幻のように胸に残る。


 兄がいなくなり、様々な問題が山吹の身に降りかかった。けれど、兄の親友である赤目がそのすべてに対応してくれた。


「これ、お兄さんのお金」赤目が差し出してきたのは、見慣れない真新しい通帳。記帳欄には、信じがたい額が並んでいた。


「これは……」


「暗証番号はこれ。印鑑も一緒に。あと、このマンションも君の名義にしておいた。書類は後で届く。高校の授業料も払ってあるから。」


「嘘……どうしてここまで?」


「一緒に住もうって言っても、君は断るだろうから。彼は、過保護だからさ。こうでもしないと。」赤目はあくまで淡々と、事実だけを告げるように話した。


 兄について尋ねても、赤目はいつもはぐらかしたり、答えを濁すばかりだった。どれほど問い詰めても、あの人は冷たい沈黙が返すだけ。泣き落としも怒りの言葉も、赤目には無意味だと山吹は悟り、無様な自分を見せないように部屋に閉じこもった。


「部屋の整理はしておくよ。サークルの資料もあるからね」


 あれがすべての始まりだった。予備のパソコンや手帳、兄の手がかりになりそうな資料も、いつの間にか赤目に持ち去られていた。気づいた時には、もう何もかもあの人の手の中だったのだ。


 取り返そうと連絡を試みたが、その時は珍しく応答がなく、大学に押しかけても「休学中」とだけ告げられた。


 そして代わりに現れたのが、兄のサークル仲間である黒神だった。黒神は面倒くさそうに、陰気な雰囲気を纏って山吹の前に立った。それまで挨拶程度の関わりしかなかったが、今は彼が赤目からの使者として立っている。


「赤目さんに頼まれて様子を見にきた」


「それで、あの人は?」


「海外でしばらく帰れないって……」


「へえ、いい気なものね。兄さんのもの、返して欲しいんだけど」


「それは難しいと思うよ。もう処分されてるだろうし。残ってるものを探す方が早いんじゃないかな」


 その冷たく響く言葉が、山吹の胸に重くのしかかった。兄の性格を思い返し、物を隠しそうな場所を必死に探していく。それは、兄の部屋では無い。


「あった!ごめんね、兄さん。開けるよ」












 









 

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