九 - 2 救われるには

 向かう先には既に起き上がり槍を放つ準備をする手花と足栄の姿があった。


「――なあ。どうしてあんな連中と手を組んだんだ」


 ゆっくりとした歩みに苛立ち、気になっていた事がつい口からこぼれ出た。

 六鶴上人がちらと俺の顔を見る。皺だらけで何を考えているのか分からない。


「だって素性の知れない無頼漢を雇うんだぞ。おかしな奴が紛れ込んで、こうなることなんて想像できたじゃないか」

「こうなること、とはどれのことかね。こうなったのは大太羅様の御心が知れなかったことが原因であって、あの者たちとは関係ないと思うがね」

「俺は法一が殺されちまったことを言ってんだよ!」


 六鶴上人がくっくっと喉を鳴らした。


「それじゃどうすればよかったというのかね。例えば、私と法一と小僧小娘の四人で旅をしたとしよう。それで、一体誰が私達を守ってくれるというのかね。躍りかかる狒々から、灼熱の炎を吐く陰摩羅鬼から、亡者の群れから、大百足から」

「だけど――だけど、現に雇った奴が問題を起こしたんじゃねえか!」


 胸に支えていたものが一気に溢れてきて止まらなくなった。


「どうして腐飯の言葉に従わなかったんだ! あんたが導くのにしくじったから! 大太羅をぶっ殺そうなんて奴らと手を組んだから、法一の役割が歪んじまったんだろうが!」


 八華と権髄に笑いかける法一が頭に浮かんだ。どうしてだか目の奥が熱くなった。

 あいつだって要一と同じ思いで旅をしてきたはずなんだ。

 この世を救うんだって心に誓って故郷を旅立って、この坊主を信用していたはずなのに。


「ほおう、なるほど。お前も腐飯に会ったというわけかね。一つ聞きたいのだが、お前がこの旅を続けてきたのは、腐飯の言葉を信じているからなのかね」

「……それが全部じゃねえけどな」

「では、もう一つ聞こう。そもそも、なぜあの老婆をそこまで信用しておるのだね」


 思わず言葉に詰まる。

 そんな事考えもしなかった。熊雪から予見者だと聞いていたからだろうか。

 いや。確か、俺も初めのうちは疑っていたような気がする。それがいつの間にか……。

「腐飯という老婆の事なら私もよく知っている。あれを一言で表すならば、いかさま師だ。あちこちを転々とし、気まぐれにしか姿を現さんせいであまり知られてはおらんがね」


「……嘘だ」頭の底が冷たくなった。


「嘘ではない。出会い頭に何か驚くような事を言い当てられなかったかね。例えば、故郷、自身やよく知る者の名前、旅の行き先……。どこかで耳にすれば誰でも知れるようなことでも、自分のことをずばり言い当てられると人は驚くものだろう。そうして予見者だと思わせてしまうのが腐飯のやり方なのだよ。あとは巧みに核心は避けた予見めいた事を告げ、金や飯をせびるのだ」


 骨喰での事を思い出す。確かに腐飯の話を聞こうとしたきっかけは、要一の事を言い当てられた事だった。だが、よくよく考えれば前日の広場での大立ち回りを人混みに紛れて見ていたとしたら、予見の力なんか無くともそれくらいのことは言えるだろう。


「名前なんか誰にも名乗りゃしねえのに当てられたんだぞ」

「そんなもの誰かに聞けば知れることだろう」

「金だって取られちゃいねえ!」

「それじゃ、ついにおかしくなってしまったのかもしれんね。あれも、随分歳だろう」


 六鶴上人が塚の上を仰ぎ見る。


「私は予見などには頼らない。数十年前も、自分の意志で旅をした末に、この場所を見つけたのだよ。大太羅様との問答の末、〈変異〉の無い体があれば、人間の元の姿を思い出して頂くことができるのでは、と思いついたときは天にも昇る心地だった。人も金も使って方々探し回り、ようやく見つけたのが赤牟村の法一だ」


 肺が震えて息が漏れる。奇妙な予感がした。


「大方、その話をどこかで耳にした腐飯があちこちで吹聴して回ったのだろう。又聞きの誤った形、例えばを私が探している、などとね。偶然、赤間村などという村が存在し、そこに要一という〈変異〉の目立たない少年がおったと、それだけの話だよ」


 その口ぶりで、六鶴上人が言っていることに嘘はないと分かった。

 だけど、そんな偶然なんてあり得るのか。名前のことだってそうだ。勝手にでっち上げられただけの俺の名前なんて、骨喰の誰も知りゃしないんだ。なのに、あの婆さんはそれを当てた。それが、いかさま師だと……。


「いいかね、君は私のせいにしたがるが、これは仮にも世を救う旅なのだよ。不足の事態も起きれば人死にも出るし、ましてや成功する保証なんてどこにもない。だから入念な準備が必要なのだ。私は万全を期したに過ぎんのだよ。幸運だけを頼りに、ここまで辿り着いてしまった君達には分からんだろうがね」


 何か気持ち悪いものが肌を撫でていく。

 こいつが言っていることが一つの正しさなのはわかる。単に自分で見聞きしたことだけを信じたいだけのことだ。それ自体は大したことじゃない。

それよりももっと根本の、なんというか。

 ここへと導く大本の流れのようなものが、六鶴上人と俺達とではまるで違う気がした。腐飯だけが人知れずそれを理解しているようにふと思えて、おぞけ立つものを感じる。


 いや、それがなんなのかはわからない。

 なんなのかすらわからないことが、なぜだか恐ろしかった。


「どのみち、我らが置かれている状況は、今この形をおいて他にはない。いまさら法一が生きていたらと想定したところで、なんの意味もないと思うのだがねえ」

 六鶴上人が息を吐いた。


「おらぶち込め!」


 下品な掛け声が響く。手花と足栄が放った槍が、唸りを上げながら大太羅目掛けて飛んでいく。

 大太羅の胸の内側で赤く明滅するものがあった。収縮と膨張を繰り返すそれは、大太羅の心臓に間違いなかった。槍はそれ目掛けて飛んでいき、白の表面に到達したかに見えたのだが、僅かな波紋が起きただけで何の変化もなかった。


「愚か者が。そんなものが大太羅様に通用するはずがなかろう」


 六鶴上人がピリピリとした声音で言った。


「おっと、口だけ坊主のお出ましだ。そのすかすか頭で早くなんとかしたらどうだい」「お前らが騒いだせいで、ちょろっと狙いが逸れちまったんだ! いやホントだって」

「なんとかできそうだからこうして来たのだよ。光栄だろう。殺すことしか能のない君達が、初めて世の役に立てるんだからね」


 手花が頭をぽりぽりと掻いた。笑う口元がひくついている。


「さっきから言ってるその策ってのはどんなのなんだ。早く教えてくれよ」


 険悪な雰囲気に耐えきれず口を挟む。でなければ今にも手花が怒り出しそうに思えた。


「えらあいお坊さまの言いなりかい、鳥吾ちゃん。お利口さんだねえ」

「今は仲間割れしてる場合じゃないだろ。取り敢えず話だけでも聞いてみないか」


 手花は少し沈黙した後、仕方ないねえ、と屈んだ足栄の肩に飛び移った。

「――それで。どうするんだい」

 六鶴上人が大儀そうに息を吐いた。


「塚の頂上、大太羅様は仰った。やはりこうなってしまうのか、とね。〈変異〉を消してくれと願い、また大太羅様を殺そうとする者たちに失望なさったのだ。つまり、これは大太羅様の加護である〈変異〉を無くそうとし、またそれを元に争う我らに与えられる罰なのだよ。ならば、我らが如何に〈変異〉をありがたいと感じているのか理解して頂くことができれば、騒動は収まるだろう。まずは、問いかけるところからだ」


 その言葉を理解する半ば、理解しがたい部分があった気がした。首をかしげかけたところで六鶴上人は俺の懐から要一を抱えあげると、俺が非難を口にする間すら与えず、要一を頭上に掲げながら、脳が潰れんばかりの大声で叫びだした。


「大太羅様、大太羅様。お聞きください。この者は歓びに打ち震えております。大太羅様のお力のありがたさを心から理解する者なのです。この者は大太羅様の授けてくださる力のお陰で、その身を永劫、この世に刻みつけることができるのです。墨絵の格好で姿かたちをいつまでも残すことができるのです。それすなわち不老不死も同じ。我々も皆、この者と同じ歓びに震えております。これからもこの先も、大太羅様のありがたさ、忘れるはずがございません。ですので、どうか、どうか、怒りをお収めください」


 何いってんだ、こいつ。


 眼下では未だ大百足から亡者が溶け出し、無数の化け物に変じていく。

 それらに囲まれ、闇雲にだんびらを振るいながら貪り喰われていく者たち。〈変異〉する体に形を崩された人間同士、殺し合っている塚の元、それを無視して手前勝手な解釈を告げて、媚びへつらって。大太羅が本当に自身のありがたみを理解させたいのであったならば、こんな言葉が届いたとして、一体何を聞き入れるだろう。


 案の定というべきか、大太羅からは何の返事もない。

 その代わりにとでもいうつもりか、また一つ波動が打たれる。


 立っていられないほどのめまいが頭を揺らした。膝をつくそば、ぼとりと何かが地を打つ音がした。六鶴上人の腕から要一が転がり落ちてきたのだ。

 いまその左腕が根本から溶け落ち、地面で肉色の染みに変わっていく。


「嗚呼、やはり言葉では駄目か……」

 切断面から更に頭を長く伸ばした六鶴がよろよろと立ち上がる。


「おい、お前。いい加減に……」

「ああ、やはりそうだ。ならばやはりそれしかないのだ……」


 六鶴上人が体を大きく身震いさせる。その顔に刻まれた無数の皺の一つが醜く歪んだ。顔中の皺という皺の隙間からはどす黒い液体が幾筋も滴り落ちる。


「さて、話を戻そうではないか。君たちには手伝ってもらいたいことがあると言ったね」


 地面から身を起こそうとする手花と足栄に向かって六鶴が朗々と言葉を放つ。


「それはだね、そこの小僧を投げ飛ばしてもらいたいのだよ。あそこまで」

 六鶴上人が大太羅を指さした。


「待てよ。それって……」

「わからんのかね。生贄だ。生きたこの体を間近に見れば、流石に大太羅様も私の言葉をお聞き下さるだろう」


 脳髄を削る大声で六鶴が叫んだ。

 手花と足栄が顔を見合わせる。全身に鳥肌が立った。


「嗚呼、全く。なんて顔をしておるのだね。一人の犠牲で世が救われるのだから安いものだろう。君達のような存在がこんなところまで来られたというのも、そもそもこの為だったのかもしれん。いいや、そうに違いない」

 六鶴上人は醜い皺の隙間から、おふおふと愉快そうに息を漏らした。


「体が絵に変わる変容など、どうにも活かしようのない能力だ。それがこの世を救うというのだから、冥利に尽きるというものだろう。そうは思わんかね、要一くん」

 地べたに転がる要一に語りかける。

「何も心配することはない。ただ黙って体を貸しさえすればいいのだ。そうすればこれ以上、変容が展開されることはなくなる。つまり、この世を救う事ができる」

「うるせえ! 近寄るんじゃねえ! 言ってることが無茶苦茶じゃねえか。なんでそんなことで大太羅が納得して、この世が救われるってんだよ!」

「無茶なのは現状の方ではないかね。なぜこの方法が無茶苦茶だと断言できる」

「上手くいくはずがねえだろ! こいつを無駄死にさせる気かよ!」

「そうなったらそうなったときのこと。元より価値のないものが死んだところで何になる? 次の策を考えればいいだけではないのかね」


 六鶴がまた息を漏らして笑った。

 この野郎、いかれてやがる。こんな訳のわかんねえ理屈で本当に救われると思ってるんだ。


「さて、要一くん。協力してくれた人間に報いたいとは思わんかね。あの熊雪とかいう坊主にも、この目玉の男にもだ。更には、世を救いたいという君の望みまでもが叶う。確かに確実とは言えんかもしれん。だが、君にしかできん仕事だ。命を懸ければそれができる」


 ふいに塚に吸い寄せられるような感覚があった。

 直後、頭の中が破裂した。


 また塚が、いや大太羅の心臓が鳴動したのだと理解したのは、体中に引き裂けるような痛みが走ってからだった。全身の皮膚がぶちぶちと裂け、新しい目玉が次々と生まれる。目玉達の隙間に大きな目玉が目覚め、他を押しのけ我が物顔で赤い涙を流し始めた。

 腹にドスを差し込まれるような激痛に身を折る。僧衣を開くと、鳩尾からへその下にかけて亀裂が入っていた。そいつががばりと開き巨大な目玉が顔を出す。白目にはミミズほどの血管が盛り上がり、あちらこちらをぎょろぎょろと眺め回している。

 首切れ馬の首が捲れ上がり、足元では手花の腕が蛇のようにのたくっている。


「悪いが待つ間が惜しい。勝手にやらせてもらおうかね」

 伸びゆく頭を押さえ、六鶴上人がふらつきながら要一に詰め寄った。


 いつの間にか目を覚ましていた要一が俺を見上げた。次いで腹の目玉を見る。


 その顔に、ふっ、と火が灯った。


 要一が六鶴上人を見上げ、静かに頷いた。


「やはりね。君ならそう言ってくれるだろうと信じていたよ」


「お前、どっちに賭ける?」「終わるんならもうどっちだっていいぜ」

 手花も足栄もそれを眺めている。


 要一は歯を食いしばり、手花と足栄の元へと這いずっていった。


 少しずつ、ゆっくりと。

 肘までしかない片腕で不器用に。


 誰も止めようとも、手を貸そうともしなかった。

 それが最後の務めを果たすために必要な儀式であるかのように。


 ほんの僅かな間だが、俺ですら動くことができなかった。


 それくらい美しい横顔だった。黄金色の光を受けた瞳が輝いていた。


 つ、と目の端から一滴の雫がこぼれ落ち、頬を伝った。


 頭に塵芥の荒野が蘇っていた。


 散る灰燼。木の根につまづき、倒れる白瓜。

 駆け寄る俺を殴り飛ばし、垢袋が白瓜の縄を引く。

 その腕に飛びつき噛みついて、開放された手綱の先に身振りで逃げろと示す。

 圧倒的な力で投げ倒されて、憤怒の形相で腹を何度も踏みつけられ、骨刀を喉に当てられる。まさに刃を引かれると思ったその刹那、白瓜が焼けた骨を垢袋の右目に突っ込んだ。

 絶叫を背中に聞きながら死ぬ思いで駆けた。

 首筋を風が撫でた。縄の痣がひりひりした。


 言ったろ。あたしが助けてやるってさ。


 白瓜が笑った。朝日に笑顔が輝いていた。風になびく髪の毛の一本一本が美しかった。


 黄金色の空が眩しかった。生まれて初めて空の色を見た気がした。


 裸足に感じる乾いた灰や、人皮の焼ける臭いですら新鮮だった。


 そこにある全てが冷たく透き通って、脳の表面を撫でていく。自然と涙がこぼれていた。


 生まれて初めて生きているんだと実感した。


 要一はこれをまだ感じたことすらない。


 視線を落とすと、生まれぬままに死のうとしている自分が這いつくばっていた。


「おい、何をするんだね」

 気がつくと腕の中に要一がいた。


「うるせえ馬鹿野郎! こんな餓鬼一人に全部背負い込ませてんじゃねえ。あんな訳のわかんねえ理屈、試したきゃてめえ一人でやれ!」

「何も強要しておるわけじゃあない。全て本人の意志じゃないか」

「誘導してやらせようと仕向けただろうが! 俺は絶対認めねえ。これでたとえこの世が救われたって、こいつが救われねえんじゃなんにもならねえ」


 首に腕がぎゅっと回される。


「そんな事を言って一体どうするつもりなんだね。他に手はないのだぞ」

「面白そうな話してるね」笑い声がした。


 屈む足栄の向こう側で何かが鋭く閃いた。


 足栄が目を見開き、口から血を吐き漏す。胴を赤い筋が横断していた。

 へそから上が仰け反るように倒れた。上に乗る手花が体勢を崩し、足栄の上半身と共に坂を落ちる。一緒に切断された長い腕が一本、地面に落ちた。


 ぴょん、と良清が姿を現し、残された足栄の下半身を蹴倒した。

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