第22話 レインのち晴れ

 レインは収録現場を見せてほしいと担当に申し入れ、遠巻きで良いのなら立ち入っても良いと許可を得ることができた。

 自作の音声化、気にならないわけがない。

 それに、無名の声優さんとはいえ、プロが吹き込みをする現場を後学の為に見ておきかった。

 ブースには一人の青年がマイクの前で立っている。

 その手にはレインが丹精込めて作った台本が握られていた。


「(あの方が……夏樹翠さん……)」


 第一印象は……なんというか……普通の人だなと思った。

 言いたくはないがオーラがない。


「(こんな普通っぽい人ではたぶん私が思い描く理想の音声化には届かないのでしょうね)」


 と直感した。

 しかし——


「夏樹さん。準備お願いします」


「はい!!」


 監督さんに言われ、スタンバイに入る夏樹翠さん。

 その力強く凛々しい声にレインは身震いしてしまう。


「(あれ……? 結構……素敵な声?)」


 今まで男性の声に特別な感情を抱いたことなどないレインは初めての感覚に陥った。

 マイクに対面する彼は先程までとはまるで別人だった。

 真剣なまなざしで台本に視線を落とす夏樹翠。

 その手に持たれた台本は付箋や書き込みでいっぱいになっていることに気が付いた。


「(この方……こんなにも私の台本を読み込んでくれたんだ!)」


 凄まじい努力の色が見える台本にレインは感動を覚えた。

 そして真剣な表情の夏樹翠にレインは完全に目を奪われてしまっていた。


「(う、上手い……!? 私の思い描いた通りの——いえ、想像以上の声ですわ!?)


 素人目から見ても夏樹翠の吹込みのレベルは明らかに高かった。

 どうしてこの人が未だ無名なのか不思議で仕方がない。


「いいよ夏樹君! OKだ!」


 ワンカットを一気に吹き込み、一発OKが入るも夏樹翠は眉を唸らす。

 どうやら納得のいかない出来だったようだ。


「監督さん。申し訳ないですがもう一回取り直させて頂いてもよろしいでしょうか?」


「ん? どうしてだい? 今の良かったよ?」


「4行目のセリフ、俺間違えて『愁い』の感情を込めてしまいました……! ここの感情は絶対に『嘆き』なんです! もしこの場に原作者の天野麗さんが居たら絶対にNGを出していたはずなんです!」


「(そんなことありませんわー!? 素敵すぎて絶対一発OKですわよ!?)」


 夏樹翠の申し入れによりもう一度同じシーンの吹込みが行われる。

 彼が自分で指摘していたシーンは確かに2回目の方が作品に合っていた。


「(この方……すごい! 原作者ですら見落としていた感情部分を完璧に補正してくれました!)」


「はーい。OK——」


「くっ! 俺はなんてミスを……! 6行目の地の文のナレーションに余計な感情を入れてしまいました! あそこの地の文は絶対に感情を入れちゃいけなかったのに!! こんなのをOKにしてしまったら原作者の天野麗先生に申し訳が立たない! お願いです! 監督さん。俺にもう一度チャンスをください!!」


「「「普通にOKなんですけど!?」」」


 監督さん、副監督さん、スタッフさん、そして原作者の天野麗。その場にいたほぼ全員のツッコミが夏樹翠に向けて放たれた。

 この後も夏樹翠は自主NGを連発させながら完成度の高い作品を作り上げていく。

 夏樹翠が声を吹き込んでいる間、監督さんとマネージャーさんの話がレインの耳に入ってきた。


「彼、良いですね。意欲的で実力も申し分ない。OKを取り下げるくらい意欲ある声優なんて中々いないですよ」


「そう……ですね。私も彼に日の光を浴びてもらいたいです。この作品がそのキッカケに慣れると嬉しいです」


 翠が褒められると麗まで嬉しくなってしまっていた。

 無意識の内に彼女は夏樹翠を身近に感じてしまったのだ。


「彼の実力ならすぐに人気出ると思いますよ!」


 監督さんが鼻息荒くしてマネージャーさんに熱弁する。レインも監督の言葉に無言で頷いている。

 だけど彼のマネージャーは終始浮かない表情を浮かべていた。


「……今の声優業界は……声だけでは上がれないのですよ」


「というと?」


「歌、ダンス、ライブ力。それにコミュニケーション能力や人柄まで求められるのが今の業界です」


「夏樹君は歌やダンスは駄目なのですか?」


「……いえ。私が今言った能力面に関して、彼は全ての適性を満たしています。本人が努力家なのもとても好ましい」


 夏樹翠という声優が努力家であるのはあの付箋だらけのボロボロな台本を見れば明らかだ。

 きっと家でも相当自主訓練してきたことも予想が付く。


「でも、彼には一つだけ欠点がある。それが彼の飛躍を邪魔している」


「たった1個の欠点だけで……? それは一体?」


 非常に興味深い話題でレインは遠巻きに息を飲む。

 マネージャーさんが申した彼の欠点はあまりにも無念で、そして残酷な事実だった。


「『顔』です」


「「…………っ!」」


 現代の声優というのは『アイドル』という格付けに近いのが事実。

 アイドルには相応の容姿が求められる。

 別に夏樹翠は不細工というわけではない。

 しかし、あまりにも平凡過ぎる。

 その事実が夏樹翠の足枷となっており、彼が飛躍できない一番の原因でもあったのだ。

 

『声優なのだから声だけを聴いてほしい』——

『顔なんかじゃなく、表現力や演技力で評価されるべきだ』——

 

 ——そういう時代はとうの昔に終焉しているのだ。


 レインは口元を手で押さえながらショックで身体を震わせていた。



 ——こんな普通っぽい人ではたぶん私が思い描く理想の音声化には届かないのでしょうね



 無意識ではあったけどレインも彼の容姿から実力を見誤ってしまった人物の一人。

 人を見た目で判断してはならない。

 心でそう分かっていても、自分も人を見た目で判断した愚か者の一人だという事実がとにかく悔しい。

 そして夏樹翠という努力家の声優がそんな理由で報われないのが何よりも悔しかった。


「(決めましたわ。夏樹翠様。私は今日から貴方のファンになる)」


 彼女がそう誓うのは決して同情からではない。


 こんなにも真剣に自分の作品を輝かせてくれている彼が本当に眩しく思えたから——

 彼の声が本当に素敵であることを日本中に知ってほしいと思えたから——


 天野麗は生まれて初めて『推し活動』を行うことを決意した。

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