第5話 壁穴は移動通路に使われる


 翠斗とのコラボ配信を終えて、ささえはしばらくパソコン前で呆けていた。

 瞬間最大同接数が過去最大の数値を叩き出していることに気づき、魂が抜かれたように放心状態に陥ったからだ

 キッカケは例の切り抜き動画だろう。

 隣人凸ハプニングで人気を呼んだ切り抜きは今も再生数を爆上げし続けている。

 切り抜いてもらえるのはありがたいが、ささえの元には収益が1円も入ってこないのが悲しい所だった。

 その動画を見てくれてささえに興味を持った新規リスナーが集まってくれたと思うので同接数があがるのは不思議なことではないのだが、最大視聴率を叩き出したタイミングが放送終了間際なことが驚きだった。

 飽きず最後まで見てくれた人がこんなにいる。

 感動と驚きで胸がいっぱいになっていた。


    じゅ~~~!


 不意に壁穴の向こうから焼物の音が聞こえてきた。

 ささえはノソノソと這い歩き、壁穴からひょいっと顔だけ覗かせる。


「いい匂いがする~」


 キッチンでフライパンを奮う翠斗と目が合った。

 翠斗は優しい目つきでささえと視線を交わしてくれた。


「さっきの配信でカロリー使っちゃったから補給をしたくてさ。俺のお手製で良かったらささえさんも食べる?」


「いいの!? 食べる~!」


 ささえは目を輝かせながら翠斗の誘いを受けた。

 この香ばしい匂いを嗅がされてお預けなど出来るはずがない。


「もうすぐ出来上がるからこっちに座って待っていて」


 翠斗に手招きされて、ささえは壁穴から身を乗り出して彼の部屋に侵入する。

 指定された場所に腰を掛けて調理している翠斗の後ろ姿を眺める。


「そういえば翠斗さんの部屋にお邪魔するの初めてだ」


「確かに。いつも壁穴越しに話をしていたからね」


 翠斗の優しい声を聞いてささえは小さく微笑む。

 翠斗の口調から敬語が抜けていることが少し嬉しかった。


「(ていうか私普通に男性の部屋に上がり込んじゃっているな)」


 不意に驚愕の事実に気づくささえ。

 異性の部屋という認識を実感した途端、ささえは急にそわそわと落ち着かない様子を見せ始める。


「はいお待ち。焼きそばだよ」


「わーい! 美味しそう!」


 緑野菜が沢山入っている香ばしい焼きそばが目の前に置かれた瞬間、ささえの緊張は瞬時に霧散し、食欲が彼女の脳内を支配する。

 翠斗もささえの対面に座り、食事を始める。


「美味しぃぃっ! これすっごく美味しいよ翠斗さん!」


「気に入ってくれて良かった。自分好みの味付けだから薄味かもしれないなと思ったんだけど」


「そんなことないよ。ちゃんと味が染みていて美味しいよ。お野菜も私の好きなものばかりだし!」


 夜分遅めの時間に食べる炭水化物は格別だ。

 ささえは幸せを噛みしめながら翠斗作の焼きそばをもりもり食べていく。

 ふと翠斗の視線に気づく。

 なぜか彼は食事の手を止めてささえの顔をじっと見つめていた。


「どうしたの?」


「ああ、いや、ごめん。ささえさんが自分のことを『私』って呼んでいたことが何だか変な感じだなと思ってさ」


「あはは。配信中は一人称を『ささえ』って言っていたからね。自分を名前で呼ぶ女の子可愛いよね。最初はキャラ付けでやっていたけど、今じゃ普通になってしまったなぁ」


「配信中のささえたんは愛嬌増し増しって感じで可愛かったよ」


「ほんと!? 嬉しいな!」


「配信中以外でもキミは可愛いけども」


「ごふぉ! ごふぉ!?」


 ささやきささえのアバターのことを褒められていると思いきや、急に中の人まで褒めてきて不意打ちを喰らったようにむせてしまう。

 翠斗は慌てて飲み物をささえに差し出した。

 渡されたお茶をささえは一気に飲み干し、落ち着きを取り戻す。


「急に何!? ナンパ!? ナンパなの!?」


「普通に本心だけど」


「ぶふ——っ!」


「どうしてVやっているのかなとも思ったよ。顔出し配信でも普通に人気になれそう」


「ごふぉごふぉ!」


「専門学校でもたくさん告白されているんじゃない?」


「ストップすとーっぷ!!」


 怒涛の褒め攻撃に顔を真っ赤にさせながら突き出した手をブンブンと降る。


「……? どうして慌てているの? そんなに可愛いんだから褒められ慣れているでしょ?」


「一旦黙れお前!?」


 声が可愛い人はそれに相応しい容姿が備わっている場合が多い。

 ささえはその代表格だった。

 アイドルのような顔立ち。街ですれ違ったら恐らく半数以上の異性は振り返るであろうその愛らしさ。

 この美貌を武器にせずにどうしてアバターを使っているのか、翠斗には理解できなかった。


「えー、こほん。翠斗さんは私に気があるのかな?」


「えっ? どうして?」


「告白紛いなセリフをポンポン言っている自覚ないな!? さては!」


「そうだったの!?」


 翠斗は思ったことや感じたことを躊躇いなくポンポンと口に出すタイプだった。

 故に自分が天然のナンパ師であることに気づいてすらいない。


「ふーんだ。その程度の口説きで堕ちる私じゃないけどね。ささやきささえはガードが堅いのだ!」


「いいことだよ。男は警戒しないとね」


「警戒されるようなことを散々まき散らした男が何か言っているな!?」


 つかみどころのない翠斗の性格に翻弄されながらも、二人は会話を進めるうちに徐々に打ち解けていった。

 やがて焼きそばを完食し、お開きムードが漂い出すタイミングでささえはどうしても聞いてみたかったことを翠斗に尋ねることにした。


「……翠斗さん。貴方、何者なのですか?」


「何者って……別に普通にフリーターだよ」


「普通のフリーターはあそこまで配信慣れしていたりしないよ。急な出演でも全然緊張していなかったし、ASMRをあそこまで完璧に出来るなんて……ああいうのに場慣れしているとしか思えなかった」


 ささえの計画は全て失敗に終わった。

 でも結果としてチャンネル登録数が激増している所を見ると、別の意味は大成功と言える。

 チャンネル登録数を1人増やすことがどれだけ難しいかを身に染みて知っているささえ。

 今までは月に100人増えれば良い方だったのに、今日1日だけで半年分くらい登録者数が増えているのだ。

 全てはみどりのサプライズ出演のお陰だった。

 今までできなかったことをたった数分で達成させてくれたこの男。

 ささえはその正体が気になっていた。


「俺さ、声優だったんだ。収録の現場は慣れている方だと思う。だから緊張せずに吹込みができたんだ」


 その言葉を聞き、合点がいった。

 翠斗はささえが目指すべき世界ですでに活躍している人だったのだ。

 本職の声優の仕事に比べてばささえのやっていることは声優ごっこだ。

 天と地ほどの実力差があるのも頷ける。

 だけど——


「……声優だった・・・というのはどういうことなのですか?」


「そのまんまの意味だよ。俺の声優人生はもう終わったんだ」


 翠斗はまだ25歳。

 声優としても油の乗っている時期のはずだ。

 なのに翠斗は自身の声優人生に幕を閉じていた。


「どうして……声優を諦めちゃうの? あんなに凄かったのに」


「……俺よりも上手い人なんていっぱいいるよ。それに俺はもう事務所に所属していない。クビになったんだ」


「えっ?」


「違うか。正確には声優を『追放』されたんだ」

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