第6話 思わぬ訪問者
優勝が決まった後の大騒ぎは、エリスが今まで経験したことのないようなものだった。表彰式でのトロフィー授与、記者達による囲み取材、すべてが初めてのことばかりだ。優勝することだけを目標に頑張ってきたが、その後のさまざまな対応があまりにも目まぐるしく、優勝の喜びが薄れてしまうほどだった。
また、エリスはレオともう一度だけ話したいと思っていた。しかし、懸命に彼の姿を探したものの、ついに見つけることはできなかった。
(せっかく良い風弓仲間ができたと思ったのに。もう会うことはできないのかな)
彼の言動は不思議なところばかりで、さらにもっとよく知りたいと感じていた。もう話せないのかと思うと、落胆の思いが湧き上がった。
(落ち込んでも仕方ない。風弓を続けていれば、またどこかで会えるかもしれない)
エリスはそう考え、気持ちを切り替えた。
ようやくすべての対応が終わって開放されると、会場の出口にはティム達の姿があった。カレンが真っ先にエリスに駆け寄り、優しく包容する。
「おめでとう!あなたならやってくれると思ったわ」
その言葉に、再び胸の奥から湧き出てくる喜びを感じた。カレンの温かな身体に、ほっと気が緩み思わず涙が出そうになった。
「見事な風弓だったな。感動した」
ダンはエリスの肩を叩き、満面の笑みを浮かべる。ティムも同様に、エリスの優勝を讃えた。
「あんな大歓声に包まれているのに落ち着いて矢を放てるなんて、やっぱりエリスはすごいや。俺は足元にも及ばないな」
エリスはいたずらっぽい笑みをティムに返した。
「そんなこと……まあ、あるか」
「なんだよ、本当のこと言うなよ」
冗談の応酬にダンとカレンは楽しそうに笑った。
「さあ、帰りましょう。家に帰ってゆっくり休んで」
カレンの明るい声に、エリスは頷いた。
「家が恋しい。あんまりにも目まぐるしくて疲れた」
三人に囲まれ、安堵の気持ちに満たされながらエリスは帰路についた。
**********
その夜、エリスは布団に入るとすぐに眠りに誘われた。ここ数日あまりよく眠れなかったのと、大会が終わり緊張の糸が切れたのもあったのだろう。深い、深い無意識の世界へと潜り込んでいった。
――その声は、再びエリスに届く。
彼女は真っ白な空間を目的もわからず歩いていた。ただ、どこかへ行かなくてはならないという使命感だけが彼女を前に進ませた。
(あなた……もうすぐ、あなたに会える)
風弓の大会の時にも聞いた声がこだまする。彼女はその声を、もっと昔に聞いたことがあるような気もした。懐かしいような、泣きたくなるような、そんな声だ。
(あなたはあなた。そして、あなたは私。あなたは受け継ぐべき者……)
(いったい、私は何を受け継ぐの?)
(力)
(ちから?)
(そう、力)
そこで、白い世界は一気に闇に呑まれる。彼女の体は、水中にいるかのように浮かび上がった。頭上には、一つ、二つ、三つと小さなきらめきが瞬き始める。まるで夜空を覆う星のように、きらめきは広がっていく。
その世界は、とても心地良かった。指先から足先まで温もりが伝わり、彼女の心を満たす。
(待っている)
(どこで?)
(……待っている)
声は途切れ、きらめきも消える。突然氷のような冷たさが彼女の身体を切り裂く――。
あっと大きな声をあげてエリスは起き上がった。寝巻きは汗で濡れ、唇は細かく震えている。夢の内容はほとんど覚えていなかった。目を覚ます直前、鋭い冷たさを感じたこと以外は。
カーテンの向こう側は、もう明るくなり始めている。朝だ。新しい朝。風弓の大会で優勝して、初めての朝。そう思うと、気持ちが昂り震えは消えていった。
布団から出たエリスは、着替えて食卓へ行った。ティムとダン、カリンはすでに食事を終えたところだった。
「エリス、よく眠れたか?」
席を立ちながらダンは言った。
「うん。ぐっすり」
「よかった。さっさと朝飯食べて準備しないと。学校間に合わないぞ」
時計を見ると、確かに普段より三十分ほど遅れている。
「本当は起こそうと思ったんだけど、昨日の疲れもあるだろうから存分に寝かせてあげようと思って」
「ありがとう、カリン。おかげですっかり元気」
急いで食べればまだ十分間に合う時間だ。エリスはパンを頬張り、スープに口をつけた。
「エリス、俺は工房に寄ってから学校に行くから先に出る」
ティムの声掛けに、わかった、とエリスは答えた。
「学校に行ったら大騒ぎだろうなあ。なんて言ったって風弓の大会の優勝者が登校してくるんだから」
「どのくらい騒がれるかな」
「そりゃ、しばらくは注目の的だよ。お楽しみってやつだ。じゃ、また学校で。いってきます」
「いってらっしゃい」
騒がれすぎるのは厄介だったが、名誉なことで注目されるのは嬉しい。学校へ行った時の友人達の反応を考えると、エリスは心が躍った。
急いで食事を詰め込み、食べ終えたところで、家を出たはずのティムが戻ってきた。その顔を見ると、何かに慌てているような、冷静さを欠いた表情を浮かべている。
「どうしたの?忘れ物?」
エリスが聞くのと同時に、ティムの背後から三人の男が現れた。身なりからして、上流階級の者であることがすぐにわかる。どうしてこんな人がここに、とエリスは訝しく思った。
「何かあった?」
食卓の異変に気付いたのか、別室で準備をしていたダンとカレンが戻ってきた。ティムとともに現れた男達の姿を見て、驚いたように目を見開く。エリスは何が起きているのかわからず、みんなの顔を交互に見た。
男のうち一人が一歩進み出て、エリスを見下ろす。
「エリス・アルバンで間違いないですか?」
「……はい」
「私たちは領主様の従者です。これから領主様のもとへ来てもらいます」
「これから?どうして。あ、風弓の大会で優勝したから?ご褒美くれるとか」
エリスは冗談のつもりで言ったが、誰も笑わなかった。ダンとカリンは青ざめたような顔をしている。どうやら異常事態が起きていることにエリスは気付きつつあった。
「領主様のもとへ行けば良いんですね。私、行きます」
席を立ち、エリスはダンとカリンを振り返った。
「何がなんだかよくわからないけど、行ってくるね」
「ああ、エリス……」
カリンが泣きそうな顔でエリスの両手を取った。
「大丈夫よ。きっと大丈夫だから」
ダンは何も言わず、つらそうな表情を浮かべてエリスを見つめている。
「いってきます」
カレンの手から離れ、エリスは従者のもとへ向かった。
「戻ってこいよ、絶対に」
ティムの声が追いかけてくる。もちろんだよ、とエリスは笑顔を向けた。
従者とともに家を出ると、そこには二台の馬車が停まっていた。エリスは、その一つに乗るよう促された。乗る際に従者から差し出された手の意味がわからず、エリスは戸惑う。
「必要であれば、私の手を支えに使ってください」
「ああ、そういうこと……いえ、大丈夫です」
エリスは従者の手は取らず、そのまま馬車へと乗り込んだ。普段乗っている乗合馬車とは全く違い、内部には豪華な装飾が施され、小さな窓から外を眺めることができた。
エリスのあとから従者が乗り込むと、馬車が動き出した。仏頂面の従者は、エリスと目を合わせるつもりはないようだった。しかし、エリスには聞きたいことがたくさんある。勇気を出し、口を開いた。
「あの、残りの二人は一緒に帰らないんですか?」
後ろから二台目の馬車がついてくる様子はなく、二人の従者は家に残ったままでいるようだった。
「あの二人には、まだやるべきことがあります」
「やるべきことって、何ですか?」
「いずれわかります」
はっきりとしない答えに、エリスは唇を尖らせる。
「領主様がなぜ私を呼んだのかも、今は教えてもらえないんですよね」
「はい」
はっきりとした物言いに、エリスは口をつぐんだ。窓から外へ目をやると、仕事や学校へ行く人々の姿が見える。なかには、エリスの同級生の姿もあった。本当なら声をかけたかったが、到底無理なことはわかっていた。これから何が起きるのか、エリスには想像もつかない。ただ大人しく馬車に乗ることしかできなかった。
**********
アークメイアは、六つの領地から成り立っている。エリスが住む街はアークメイアでも最大の規模を誇るウィンフォード領に属していた。
家から領主の邸館までは馬車で片道三十分。それまでの間、従者は無言を貫き、エリスも話しかけることはなかった。下手に質問を繰り返して従者の機嫌を損ねるのは得策ではない。
(とにかく、領主に会わなければ何が起きているのか知ることはできないのだろう)
馬車は市街地を抜け、林の道へと入っていった。木々が連なる変わり映えのしない景色が続いたかと思うと急に視界が開け、領主の邸館が姿を現した。エリスは、その荘厳な様に息を呑む。
大きな門をから邸館までの道には庭園が広がっており、色とりどりの花が咲き誇っていた。自然に生えた草花のように見えるが、細部まで計算し尽くされたうえで美しい庭園に仕立てられている。白亜の噴水がしぶきをたて、太陽の光を反射した。
邸館の前で馬車が止まると御者が扉を開き、従者の方が先に出た。扉の前で直立不動状態になり、乗り込む時と同じようにエリスへ手を差し出している。二度も断るのは悪いような気がして、エリスは従者の手を取った。
地面に降り立ち、邸館を見上げる。レンガ造の邸館は、エリスが暮らす家の何倍もの大きさだ。壁面には蔦が這い、邸館の情緒を際立たせている。趣向を凝らした建具も素晴らしく、玄関扉には領主の家紋がデザインされていた。
「こちらです」
従者は右手を前に出して、エリスを導いた。玄関扉に続く階段を上がると、複数の使用人が出てきてエリスを出迎えた。仰々しい態度に戸惑いを覚える。
(少なくとも、歓迎はされているのかもしれない)
もし、歓迎されていないのであればこのような出迎えはなかっただろう。邸館内に入って辺りを見渡すと、ため息が出そうなほど素晴らしい空間が広がっていた。玄関ホールは吹き抜けになっており、幾重にも並ぶ窓からは穏やかな陽光が差し込む。中央部に飾られたステンドグラスは宝石のように輝いた。
「こちらです」
従者はホールの右手にある扉へとエリスを導く。後をついていくと、そこは応接室のようだった。一人掛けのソファ二つずつ向かい合うように配置され、左手には暖炉が設けられている。エリスは、ソファの一つに座るように言われた。
「領主様をお呼びするので、しばらくお待ちください」
従者はそう言って、奥の扉へ消えていった。改めて部屋の中を見回したエリスは、自分の住む世界との違いを実感した。ふかふかのソファの縁取りには艶やかな木製の装飾が施されている。足元の絨毯には草花を思わせる精緻なデザインが広がり、一流の職人によって時間をかけて織られたのは一目瞭然だった。目の前の窓からは先ほどの庭園を望むことができ、これほど贅沢な空間はあるのか、とエリスは思わず首を振った。
再び奥の扉が開き、従者が姿を現す。
「お待たせしました。領主様がお越しです」
従者は扉の横に立ち、恭しくお辞儀をした。扉の向こうから現れたのは、黒々とした髭をたくわえた領主、オリヴァー・ウィンフォード氏だ。新聞記事では姿を見たことがあっても、本物と対峙するのはもちろん初めてだ。想像以上の背の高さに、エリスは驚く。ウィンフォード氏はエリスを見とめると目元に笑みを浮かべた。
「遠いところからご足労いただき感謝する。エリス・アルヴァンだね。オリヴァー・ウィンフォードだ」
エリスは慌てて立ち上がり、お辞儀をした。
「エリス・アルヴァンです。お会いできて光栄です」
「そう固くならなくて良い。それから、もう一人紹介したい者がいる」
ウィンフォード氏は振り返り、扉の向こう側に手招きをした。ゆっくりと現れた姿に、エリスは驚愕する。
「レオ……?」
そう、そこに立っていたのは風弓の大会で決勝戦を競った青年・レオだった。
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