第11話 スタート

「なるほど。そんなことがあったんですね」


 森コウの隣に座った火野が一杯目のグラスを口に運びながら言った。


「自分も気をつけないといけませんね」


 博音はふとイフリート姿になった火野を想像してみた。

 筋骨隆々の、紅い肌をまとった、炎の魔神......。

 

「ひぃぃ」


「どうした」


 ヨーコがいぶかしく博音を見る。


「な、なんでもないです」


「ヒロ、ひょっとして......」


「な、なんですか」


「火野さんの真の姿を見たいんじゃ...」


「それはできません」


 火野が真面目なトーンでヨーコの言葉をさえぎった。

 

「自分、ただでさえ人を怖がらせてしまうのに、イフリートの姿を見せたらどうなるのか。考えるだけでゾッとします。だからヒロくんにお見せすることはできません。申し訳ありません」


「そ、そんな、謝らないでください。今のはヨーコさんのジョークですから」


 博音はあたふたとする。

 真面目な火野は、グラスを口に運んでから、テーブルに視線を向ける。


「自分、今の仕事でここまで来るのに結構苦労したんです。自分で苦労を語るのもどうかとは思いますが」


「遠慮しないで語ってよ火野さん。ここはそういう場所なんだから」


 すかさずヨーコが安心感たっぷりのあたたかい声と笑顔を向ける。


「ありがとうございます。ヨーコさんには本当にいつも助けていただいてます」


「なあヒロ。火野さんの仕事って何だと思う?」


 ここで唐突にヨーコが博音に振った。

 博音は考えるも、まったく想像がつかない。


「火野さんは一般的な会社員なんですよね?力仕事ではないんですよね?」


 博音の質問に、火野はおもむろにネクタイを締め直し、一息の間を置いて答えた。


「自分、営業です」


「営業!?」


 お客様への気遣いも忘れて博音は正直にぶったまげてしまった。

 火野は頭を掻いて申し訳なさそうにする。


「やっぱり変ですよね。自分なんかじゃ」


「そ、そそそんなことはないです」


 あわてる博音。


「いやいいんですよ。同僚にも言われるんです。お前が行くと闇金の取り立てが来たと思われるんじゃないかって」


「そ、それは」


「実際、営業職についてからしばらくは本当に大変でした。何度も辞めようと思いましたし」


 火野が遠くを見つめながら語り始めた。


「この見た目のせいで、訪問先から会社にクレームが入ったこともありました。御社の営業が怖すぎると。受付の女性スタッフが恐怖で泣いてしまったと。いったいどこの組のもんが来たんだと社内が大騒ぎになったと」


 どう合槌を打っていいかわからず、博音はただ黙って話を聞いていた。

 火野は続ける。


「次第に人事に疑問も抱き始めました。なぜ自分のような度を越した強面が営業なのかと。それで部長に相談したんです。部長は何かあるたびに自分のフォローをしてくれていた人で、今でも大変お世話になっているんですが」


「それで部長さんはなんて言ってくれたんだっけ?」


 ヨーコが訊くと、火野はこくっと頷く。


「お前の見た目の怖さは確かにマイナスかもしれない。だが、お前は誰よりも真面目で誠実で努力家だ。それは必ず誰かへ伝わる。そしてお前は見た目の怖さでマイナススタートの分、お前の真面目さと誠実さと不器用なまでの一生懸命さがちゃんと相手に伝われば、その効果は絶大だ。

 部長は笑顔でそう言って自分のケツを叩いてくれたんです」


「本当に良い部長さんですよね」


 森コウがあたたかく微笑んだ。

 ヨーコはうんうんと同意を示してから言葉を加えた。


「でも一番素晴らしいのは、誰よりも不利に思える火野さんが誰よりも真面目に努力したってことだよな。そんな火野さんのことを部長さんも見込んだってわけだ」


「今では社内で一位二位を争う営業なんですよね、火野さんは」


 森コウがさらに付け足した。


「部長や助けてくれる仲間たちのおかげです」


 火野はひたすら謙虚な態度に終始すると、今度はお返しとばかりに森コウへと振る。


「真面目で努力家ということで言えば、モリコさんのほうが自分なんかよりよっぽど凄いですよ」


 火野は穏やかな表情をしていたが、眼差しは真剣なものだった。

 つまり本気でそう思っているという目だ。


「な、なななんで急に私が」


 いきなり称賛の対象が自分へと切り替わった森コウはおろおろと慌てふためく。


「モリコは、ネガティブなことを言いながらも何だかんだ責任持ってやり抜くからな」


 ヨーコも火野に同意し、森コウに向かって白い歯を見せた。


「ちょ、ヨーコさんまでやめてください!」


 森コウは顔を赤くしてはわわわとなる。

 ヨーコはからからと笑ってから、不意に博音の耳元に囁きかけた。


「火野さんもモリコも、異世界人なのに努力を重ねてこちらの世界に馴染んで一生懸命生きてるんだよ」


 博音はヨーコの発言の意図がよくわからず「は、はい」と曖昧に返事する。

 ヨーコは博音の肩にやさしく手を添えた。


「焦らなくていい。だが、踏み出してみないことには何も始まらないな。それがバンドなのか別のことなのか、アタシにはわからないけどな」


 ヨーコの言葉に博音はハッとする。


「よ、ヨーコさん」


 博音が顔を向けると、金髪美女は快活な微笑みを返した。

 

「どうかしたんですか?」


 森コウと火野が博音たちを見てきょとんとする。


「なんでもないさっ」


 ヨーコは明るく返すと、博音の背中をポンポンと軽く叩いた。

 博音は何となくはにかんで見せながら、胸に広がる何かを感じていた。





 バイトを終えて帰宅した博音は、真夜中の部屋でひとりスマホを見つめていた。

 そのままの状態で何分何秒経っただろうか。

 おもむろに博音は目をつぶって、フゥーッと大きく息を吐いた。

 そしてパッと目を見開き、スマホの画面の送信ボタンをタップした。


「よしっ」


 スマホを置くと、ギタースタンドに立てかけてあるギターへ手を伸ばした。


「久しぶりだな......」


 ギターを膝に乗せて演奏する態勢となった博音は、チューニングを始めた。

 久しく弾いていなかったギターのチューニングは些か時間がかかる。

 同様に久しく触っていなかった機材をセットし、ヘッドフォンを装着する。

 

「それじゃ、始めるか」


 それから博音は狂ったようにギターをかき鳴らし続けた。

 就寝時間はとっくのとうに過ぎていた。


 夜中の三時ごろ、トイレに起きてきた母が何かと思い博音の部屋のドアの前まで立ち寄ってきた。

 ドアの隙間から明かりとエレキギターの生音が洩れてくる。


「ふむふむ」


 にわかに母は少し懐かしい気分になる。

 ここ最近はめっきりと見なくなった光景だったから。


「やっとあの子もちょっとは前向きになれたのかしらね」


 母は小声で呟くと、微笑を浮かべて自分の部屋へ戻っていった。



 翌朝。


 

 博音のスマホに友人からの返信が入った。

 友人の仲井のメッセージは、まるで自分のことのように喜んでいるものだった。


『おおお!またバンドやるのか!どんなバンドやるんだ?そもそもメンバーは見つかりそうか?いや、今はそんなことより、博音がまた音楽をやり始めてくれたことがおれは嬉しいよ!おれは今でも博音のギターのファンだからな!』




[完] 

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