第2話「地球ふたりぼっち」

 暴飲での酩酊めいていみたいな感触だけがあった。

 混濁こんだくとした意識の中、ヨラシムはどうにか重い頭をフル回転させる。

 わかったのは、どうやら自分があのあとすぐに意識を失ったということだ、


(なんてこった……俺だけじゃないのか。地球に取り残されちまった子が、いや、がる)


 そう、確かにヨラシムは見た。

 ハッチを開いてコクピットから飛び出し、肉眼で確認した。

 パイロット候補生の制服を着た、若い女の子だった。年のころは、16か17か。なんにせよ、もうすでに地球脱出艦隊ちきゅうだっしゅつかんたいは帆を上げた。今頃は多分、もしかしたら月軌道上で船団を再編成してワープ準備に入っているかもしれない。

 自分はもちろん、その娘も間に合わないことだけははっきりしていた。

 そして、徐々にセピア色の記憶がよみがえる。

 夢だとわかるから、これはいわゆる明晰夢めいせきむだ。


(なんだ、なんで……こんなものを見せる。俺は……俺たちは、後悔しちゃいねえのによ)


 それは、丁度一日ほど前の出来事だったと思う。

 ヨラシムと昔ながらの仲間たちが、教官の任務を返上したあとのことだ。その時点でヨラシムも大尉待遇を失ったし、同時に戻った……腐れ縁で仲間ときずなを結んだ、戦争の犬に。若かったころと変わらぬ、ギラついた殺意仕掛けの兵士に戻ったのだ。

 そうせざるを得ない理由が大人として、男として確実に存在した。


『教官殿! 僕も出ます! 連れて行ってください』

『私たちの最新鋭エクスケイル"テュポーン"ならば、足止めくらいは!』

『今こそ見せますよ、教官たちにしごかれ鍛えられた、俺たちの腕を!』

『明朝5時、地球脱出艦隊総旗艦のミタマが抜錨ばつびょう、出航します。それまで』

『それまで外の連中をこの秘密ドッグに近付けない! やれます! 自分たちなら』


 面倒なことになったとは思った。

 それというのも、パイロット候補生たちの仮想敵アグレッサーたる教官用の黄色い"ワイバーン"がミタマに積みこまれていないからだ。

 しかも、実戦用の実弾装備で、外へと運び込まれている。

 この格納庫には、パイロット候補生たちにたくされた最新鋭機、第五世代型の"テュポーン"だけが並んでいた。


『お前たち、気持ちはありがてぇがな。引っ込んでな、足手まといだぜ』


 嘘をついた。

 思えば人生、半分とちょっとは嘘だった。

 そもそも、14歳でカリギュラの襲撃に襲われ、たまたまキャリアで移送中だったエクスケイルに乗ったのがフィクションに過ぎる。当時はエクスケイルには夢があった。これから月の開発が本格化するだろうし、外宇宙へのワープ航法も理論が確立していた。

 エクスケイル、その本来の名はエクストラ・スケール……人類の新たな拡張肉体だった。それが、スケイル……未知の侵略者に対する頼りない一枚のうろこになった訳である。

 その最初の試作機に乗って、人類で初めてカリギュラを倒した男。

 それが少年時代のヨラシムだった。


『しかし、教官長!』

『しかしもかかしもねえ! 俺たちはプロだ、戦争のプロ……傭兵なんだからよ、本来』

『ですが』

『手前ぇらみたいな半人前がいない方が、俺たちの生存確率は上がる。お前たちはせいぜい、今後も空間戦闘用のカリキュラムをこなして、艦隊を……船団の民を、守れ』


 目の前の少年の胸倉をつかんで、片腕で吊るしあげる。

 丁度、自分が初めてカリギュラの雑兵を倒した時とおなじくらいの男の子だ。その襟首を絞首刑のように天井へ持ち上げ、腹の底から怒鳴った。


『よく聞けっ! 手前ぇらはなあ、俺たちが初めて育てた希望なんだよ!』

『きょ、教官長』

『今までずっと、殺して壊して、その繰り返しだ。なあ、ボウズ……俺らも一仕事して戻ってくる。それまで大人しく愛機の整備でもしてろや』


 名目上は、ギリギリまで遅滞戦闘を展開してカリギュラを足止め、海底の秘密ドッグをミタマ出航まで守る予定だ。もちろん、格好良く敵を殲滅して、凱旋と同時に抜錨の予定だった。

 同時に、確信していた。

 これが最期の戦いになる。

 自分はもちろん、何人かは……あるいは全員が戻っては来れない。

 その作戦を申し出た時、反対する者は一人しかいなかった。昔からの悪友たち、愛すべきならず者の傭兵仲間は、皆が笑って参加してくれたのだった。

 そう、反対した人間は一人だけだった。


『お待ちなさい、ヨラシム・デンゼン教官長……待ってください、大尉』


 制帽をかぶった、正規の地球軍の女性士官が現れた。

 階級章は大佐だが、実質的には彼女が地球脱出艦隊の未来を背負わされている。そう、ミタマの艦長であるリリィ・マルレーンだった。

 ヨラシムが人類初のカリギュラ撃破者ならば、彼女はその初めての目撃者。

 進む道を違えて何度もすれ違った、かつての幼馴染おさななじみ同士だった。

 妹のようにいつもくっついてくる、7歳年下のお転婆でじゃじゃ馬……今はでも、軍服をきっちり着こなし大人の色香いろかを緊張感に凍らせている。


『出撃は許可できません。出航まで24時間を切りました。……今ここで出撃すれば』

『じゃあなにか? ええ? 未来のエリートパイロットたちもろとも、脱出艦隊の総旗艦が破壊されてもいいっていうのか?』

『ドッグ自体にも自衛システムはあります。あと一日……持たせてみせます』

『無理だな、リリィ。……っと、マルレーン大佐。あんたはカリギュラの恐ろしさが――』

『知っています。あなたに見せつけられました……あの時から、この計画はもう始まっているんです! そして、もうすぐ完璧な成功で終わる!』


 もう四半世紀以上も昔の話だ。

 カリギュラとの戦いが始まった時にはもう、人類の地球脱出計画は始まっていた。外宇宙へ逃げ延びるための移民船、脱出艦隊の整備。その人数を逆算する意味での、宇宙船建造までの時間を稼ぐ総力戦。

 AIの発達もあって、計画は無慈悲むじひなまでに正確に進行してきた。

 何十年もかかる船団整備の間、人類が何人まで減るかの計算も完璧だったのだ。

 そして今、最後の地球人類、わずか三億人が脱出する。

 その中にいてほしい人を持つ女がいて、行ってほしい人を秘めた男がいたのだ。


『悪いな、大佐。俺たちゃ正規軍じゃねえ。大尉待遇なんざ食堂の食券買う以外に使ったことねーしなあ』

『……大尉、いえ……ヨラシム。本艦の防御システムなら、出航までの一日を耐えられます』

『出航してからの次の日、同じことが言えると思うか? カリギュラは宇宙から来た。その宇宙へ今、お前たちはノアの方舟を出すんだ。あんまぐずるなよ、泣き虫リリィ』


 平和だった時代からずっと一緒だった。

 男女の仲だったこともあるし、互いに命をかけて戦ってきた。ヨラシムは一兵卒としてエクスケイルで戦い、その進化と発展に多大な実戦データを残した。リリィもまた、戦闘機や戦車とは違う、エクスケイルという兵器――本来は宇宙での工事用重機だったロボット――の集団戦闘と母艦での運用ノウハウを研究し続けていた。

 その二人の別れがきても、ヨラシムは最後まで自分を曲げなかった。


『……リリィ。俺はくぜ? なあ……あの時みたいによう、お前を守らせてくれよ。お前が守ろうとする最後の地球人ごと、お前たちを守らせてくれ』

『ヨラシム……私は』

『そう、お前は地球脱出艦隊総旗艦ミタマの艦長……だからよ』

『――パイロット候補生は全員、搭乗機で待機! 出航まで臨戦態勢、デフコン4を発令』


 そうだ、それでいいんだ。

 ヨラシムはそうして、仲間たちと秘密ドッグを出た。

 制帽で目元を隠すリリィの姿は見なかった。

 見なかったが、そうして泣いてるということだけは背中に刻み込まれたのだった。

 そして、地獄の防衛戦が始まった。

 その中で仲間たちは皆が戦死し、自分だけが生き残ってしまった。

 そこまでを改めて自覚させられて、意識が覚醒する。


「あっ、おはようございます! お疲れ様でした……リージョン88教官長、ヨラシム・デンゼン大尉さんですよね」

「……あ、ああ……つーか、階級に敬称はいらねーぜ? お嬢ちゃん」


 ヨラシムは今、温かな日差しと冷たい風の中、膝枕されていた。擱座して倒れた愛機"ワイバーン"の上で、親子ほども歳の違いそうな少女に看護されていたのだ。

 あれからどれくらい意識を失っていたのだろうか?

 身を起こして頭を左右に振り、改めて少女を見やる。

 やはり、パイロット候補生の制服を着ている。だが、こんな生徒がいた記憶はない。不思議な話だが、地球脱出計画のために多くの少年少女を怒鳴ってしばいてきたが、全く記憶にない人物だった。


「お嬢ちゃん、名は? 悪いが俺のクラスにこんなかわいこちゃんはいなくてな」

「えっ? わ、わたしが、かわいこちゃん!?」

「お前さん以外にいるかよ……もう、地球には人類は俺たち二人だけだ」


 不思議な少女だった、長く伸ばした緑の髪は翡翠みたいで、ちょっとリリィのことを思い出す。そういえば、どこか顔だちも似てるし、幼い頃のリリィにそっくりだった。

 もしやと思ったが、ヨラシムが喋る先へと少女は先回りする。


「わたし、リリスです! リリス・マルレーン! 出席番号は……あれ? あ、でも、人類コードならもってます! 12桁の、えっと……おやや?」

「おいおい、なんだってんだ。まあ、ありがとよ。とりあえず、リージョン88の生徒……でいいんだよな?」

「は、はいっ! 母様がそういう手続きをしてくれたので」

「……やっぱり、そうなのか。だよな、見たまんまだぜ」


 とりあえずヨラシムは、背筋を伸ばすように全身を広げた。そうして、日の昇り切った空の下で最初の仕事をするという。秘密ドッグはミタマの出航と同時に自爆したので、それ以外の施設で電源を探すよう、リリスに言って背を押しかすのだった。

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