第30話 読めない男

 応接室から脱出して、


「……ふぅ……」


 少しだけ肩の荷が下りた。やはりあんな高級な雰囲気にはついていけない。


「お疲れだね」


 同じく部屋から出てきたアルトが、余裕の表情で聞いてきた。


「……キミは余裕そうやな……」

「奴隷扱いされないだけ上等かな。殴られもしなかったし、犬のエサも用意されなかったよ」

「……」この少年も苦労してるんだな……「……ワシだけ大甘やな……」


 恵まれた国に恵まれた環境で生まれて、差別されることもなくスクスクと育った。やはり現代日本は素晴らしい国だ。その生活を失ったからこそわかる。


 アルトが言う。


「シエルさんを探すの?」

「それもあるけど……まずはパラエナやな」


 言って智介ともすけはキレイな廊下を歩き始めた。パラエナの背中も一瞬だけ見えたので、こちらに行けば追いつける。


「探してどうするの? かける言葉は持ち合わせてないでしょ?」

「それはそうやけど……ほっとくわけにはいかんやろ」智介ともすけは歩きながら、「パラエナは何でもできる強い人やと思っとったけど……勝手な幻想を抱くのは良くないな。彼女だって傷つくし、嫌なことは嫌や。悲しいことは悲しい」

「それはお兄さんもでしょ?」意外な言葉が返ってきた。「ボクも同じだよ。命の恩人が傷つけられるのなんてみたくない」

「せやな……」


 理由なんてそれだけで充分だ。


 智介ともすけはパラエナのことを尊敬している。恋愛感情は別として、彼女のことが好きだ。


 そんな彼女が傷ついたのなら、その傷を癒やしてあげたい。ただそれだけ。


 廊下の角を曲がると、


「心配してくれてありがとう」パラエナが壁に背をつけて立っていた。「でも大丈夫。これは仕事。割り切ってるわ」

「……了解……」本人がそう言うなら、追求はしないでおこう。「貴族ってのは、あんなのばっかりか?」

「全部が全部そう、ってわけじゃないわ。でも多数派なのは事実よ」そりゃ生きづらそうだ。「階級、財力、人脈……それを彼ら彼女らは追いかけ続けてる。自分にとって不要なものは低俗で、ゴミ。そんな価値観で生きているのよ」

「目標のために、それ以外を蹴落とすのは悪いことちゃうけどな」


 価値観というのは異なるものだ。別に智介ともすけが正しくてラファルが間違っている、ということではない。


 ただ腹が立つ、というだけの話。


「……とりあえず……エトワレ家が危機的状態なのは確かみたいね。財力的に落ちてきてるのかしら。せっかく『バーリオル事件』を乗り切ったというのに……」

 

 バーリオル事件……? なんだろう……歴史のお勉強の匂いがする。お勉強は苦手なので聞かなかったことにしよう。


 しかしエトワレ家が財力的に落ちてきている……?


「……そうなん?」

「紅茶を飲んで、どう思った?」

「美味しかったけど?」


 智介ともすけの言葉に反応したのはアルトだった。


「そうだね、たしかに美味しかった。でも……最高級品としては面白くない味だった」


 パラエナが答える。


「詳しいのね」

「気づいてると思うけれど、ボクは人間じゃないからね。お母さんが狼だったから」あっさりとカミングアウトするものだ。「味覚は人間より鋭いよ。あれが最高級品だとするなら、ボクはいらない」

「あれはスピールじゃないわ。味は似せてあるけれど……本物には遠く及ばない。もちろん美味しかったけれど……アルトくんの言う通り最高級品ではないわ」


 ……そうなのか……全然気づかなかった……普通に美味しくいただいていた。ああ、さすが高級品だなぁ、なんて思ってた。


 パラエナは歩きながら続ける。


「別に最高級品を出すことだけがおもてなしじゃないわ。問題なのは銘柄を偽ること。そして……それでごまかせると思っていること」ごまかせるのは、どこかのショボい男だけ。「資金繰りに困ってるみたいね。でも体裁は保たないといけないから、銘柄を偽って客人に提供する」


 ……なるほど。ガジーナの『ふむ……3つしか用意できなかったのか? ずいぶんと落ちぶれたようだ』というセリフは的確だったのかもしれない。

 そして図星だったからこそ、ラファルは素直に従ったのかもしれない。


 パラエナは続けた。


「ワタシは飲んでから気づいたけれど……ガジーナって人は匂いと見た目だけで見抜いてたみたい」だから落ちぶれた、なんて挑発をいきなりぶち込んだわけだ。「……なんなのあの人……読めない男」


 おや……? 案外パラエナはガジーナに心惹かれているのだろうか?


 ……こういうのって転生してきた男は女性に好かれまくるイメージだったのだが……智介ともすけに限ってはそうじゃないらしい。


 ……

 

 いやいや……ワシは何を考えとんねん。ワシには彼女が――おらんかったわ。


 ……


 ダメだ。気がつけばマキの事ばかり考えている。マキという女性は智介ともすけの心に強く残り続けているのだ。


――智介ともすけと一緒にいても、笑顔になれないから――


 ……フラれたときの言葉が蘇った。


 笑顔……笑顔……


 シエルという女性を笑顔にできたら、少しくらいはマキも見直してくれるだろうか?

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