第11話 1発殴る

 自分自身が笑い飛ばされるのは歓迎しよう。井内いうち智介ともすけという人間の醜態を笑うのは許す。


 だが他人の本気が笑われているのは許せない。


 智介ともすけは抑えられない怒りを抱えて、大物貴族様に一歩踏み出した。


「な、なんだお前……」大物貴族様は一瞬だけ怯んだ様子を見せて、「なぜお前が怒っている……? このガキと関係があるのか?」

「関係はない。初対面や」


 見たことも聞いたこともない人間だ。


「ならばなぜ……コイツを助けようとする?」

「助けるつもりちゃうよ。ただ……」智介ともすけは大物貴族様を指さして、「お前がムカつく。だから殴る。以上」


 少年の味方になるわけじゃない。この目の前の貴族様が敵だ。


 言うが早いか、智介ともすけは貴族様に飛びかかった。


 子供の頃から短気だった。すぐケンカになった。というわけでケンカ慣れはしているつもりだった。


 智介ともすけの拳は兵士に阻まれた。さっきまで剣の持ち方を間違っていたとは思えないほど機敏な動きで、兵士は智介ともすけをはねのける。


 相手は5人の兵士だ。しかもかなりの鍛錬を積んでいる。1人が智介ともすけより強いのは明白だった。


 というわけで精神攻撃。


「アンタら……こんなクズ野郎に仕えてんのか? その実力を、もっと他のことに使ったらどうや?」

「……」兵士の一人が反応してくれた。「これも仕事だ。雇われれば、私はこの力を振るおう」

「ご立派やね」この人も本気なのだ。「いろいろと大変やねぇ……お互いに」


 雇い主に逆らえば仕事がなくなる。仕事がなくなれば生きていけない。そんなことは智介ともすけにもわかっている。ここで兵士に当たるのは筋違いだ。


 挑発にも乗ってくれないようだし、これは絶体絶命だ。


 大物貴族様が言う。


「やはり知性の低い人間のようだな。あのまま土下座していれば生き残れたというのに……」

「知性が低いってのは言い返せへんな……」実際に頭は非常に悪い。「でもなぁ……さすがに見逃されへんやろ、これは」


 苦しんでいる少年が目の前にいるのだ。本気を笑われたのだ。


 なんとかしてやりたいと思うのが人情というものである。


「お前もなにか言ってやれ」貴族様は倒れる少年の髪の毛を引っ張って、「あのマヌケな男に罵倒の言葉を浴びせてやれ。そうすれば生き残らせてやってもいい」


 ……なんでこんなクズ野郎に生殺与奪権を握られないといけないのだろう。


 さて罵倒されて少年が生き残れるのなら喜んで罵倒されるのだが……


「……ありがとう……」少年は弱々しい笑顔で、「助けようとしてくれて、ありがとう。でもボクは大丈夫だから……あなただけでも逃げて……」

「……なるほど……」そんなことを言われたらやる気が出てくる。「別にキミを助けようとしてるわけやないよ。その男が……ムカつくだけ」


 一度でいいからぶん殴ってやりたい。言葉が通じないのなら殴るしかない。


 だが……

 

 智介ともすけは続ける。


「せやけど……この状況、ワシだけじゃ突破でけへん」

「……なにが言いたいの……?」

「その状況のキミに言うのは気が引けるけど……協力してくれへん?」


 少年は苦笑いを浮かべて、


「……鬼みたいな人だね……こっちはもう、限界が近いんだけど……」


 見ればわかる。

 

 成人男性を乗せて、四つん這いで歩き続けていたのだ。しかもかなりの長距離。

 

 道をよく見てみたら、少年の血が点々と続いていた。手のひらや膝、足。それらを擦りむいて、それでもなお歩き続けたのだろう。


 さらに生きていると信じていた母親の死が知らされている。そんな状態の少年に頼むのは本当に気が引けるが……


「でも……そうだね……」少年は震える足を抑えながら立ち上がって、「このままじゃ終われない……! いいように利用されたまま、死んでたまるか……!」

「せやな……じゃあ利害が一致したってことで」

「うん。目的は……」


 2人の声が共鳴する。


「「1発殴る……!」」

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