2話 邂逅
「――ピス様っ! ラピス様お待ちくださいっ!」
「止めるなキララ」
ラピスはメイドのキララを面倒臭そうにあしらう。
十九歳になったラピスは騎士団の中でも背が高く、騎士鎧姿に風格が漂うようになっていた。
王都の裏門前で補給物資を要求したのだが、余計なものまでついてきてしまった。
「ついさっき遠征から戻ってきたばかりではないですか。せめて一晩だけでも」
「まだ奴らの被害は報告されている。次は近場だし、消耗品だけ積めれば十分」
不満げに栗色のツインテールが揺れる。キララはラピスと同い年で、背は頭一つ分低い。
「ダメです! お体を崩されたらもっと長引きますよ! 部下の皆さんだってそうです」
ラピスは後ろを振り返る。確かに皆に疲労の色が見えた。
「一日だけだ。休養の後、小編成で出る」
部下達へ休息や次の出発準備を指示し、キララに向き直った。
うずうずと体を震わせるキララにラピスは呆れ顔を隠せない。昔から王女の世話を焼く事に無上の喜びを感じる性格らしかった。
「まず私はどう調理されるのでしょうか、キララ様?」
「お・ふ・ろでーす!」
湯気立ち上る浴槽に浸かりながら、ラピスはぼんやりと天井を見上げる。
――疲れていたのか、自覚しているよりも。
「湯加減大丈夫でしょうか?」
「ちょうど良い。キララ、この半年なにか変わりなかったか?」
側で待機しているキララに尋ねる。
「王都は平和でした。新しい怨獣の情報も入っていませんし、次の征伐が終わればラピス様もゆっくりできるのでは」
「そうか」
「あの……次は正門から帰還するように、と陛下から。民も勇気付けられるだろうと」
「……考えとく」
「重荷ですか、『ラズリ王の生まれ変わり』と言われることが」
建国王ラズリ。
百年前、魔女との戦争を制しこの国を興した英雄。この浴場にも壁画がある。透き通るような蒼い髪、切れ長の鋭い眼、スラッと伸びた肢体。
その姿はラピスと同様のものだった。
「心配するな、慣れている。それに求められる役割がはっきりしてるのは、意外と楽だ」
しゅんとしてしまったキララに対して緩い笑みを作る。
「不安なことが?」
「顔に出てましたか。ただの噂なんですが、怨獣の出現は魔女再来の兆しではないか、と最近囁かれているんです」
「魔女、か……。それこそ百年前にラズリ王に駆逐されたはずだが」
ラピスは湯から上がり、体をキララに拭かせる。
その視線はもう次の戦場を見据えていた。
「魔女だろうが獣だろうが、私が倒せば良い。その為にこの力を持って生まれたんだから」
手綱を引きラピスは馬を止めた。
部下に馬を任せ、壊れた柵の横を通り過ぎる。体を丸めた黒猫が片目を開けてこちらを見ていた。
ここが怨獣の報告があった最後の村だ。小高い森が裏手にある以外は、なんの変哲もない小さな農村だった。
村長宅に出向く。村長も印象に残る部分はない女性だった。
「王女ラピスだ。怨獣の調査および討伐にきた」
「まさかラピス様直々においでなさるとは! なんとありがたきこと――」
「被害状況は? 早いほうが良い」
村長の話では怨獣が出現したの三日前。
柵が壊され、パニックに陥った村人が転んで怪我をしたものの、怨獣による人的被害はないとのことだった。
「たったそれだけか? どうやって追い払った? 一回だけだったのか?」
「それがですね……」
村長が振り向くと、ドアの影から黒髪の少女が出てきた。大体十一、十二歳ぐらいか、背丈はラピスより大分小さい。
村長がその子を前に押し出して、
「この子がどうやら守ってくれたようで……それ以降は現れていません」
「なかなか勇敢な者だ。名はなんという?」
少女は緊張した面持ちで答える。
「あの、シディアと申します。ラピス様に会えて光栄でございます」
ぺこり、とシディアは頭を下げた。
なにかおかしい――失礼する、と言い左手でシディアの頬を触った。腰をかがませ視線を合わせる。
シディアの顔がみるみるうちに赤く染まっていった。
「わわわ、ラピス様、わたしがなにか、そんないきなり――」
「アニマを感じない」
へ、と村長が声を上げる。
「あれ、怨獣ってのは
「そうだ。この村にも才能のある者には訓練させたはずだ」
ラピスは手から伝わるシディアの震えに気がついた。少し目尻を下げ優しげに声をかける。
「どうやって追い払ったのか教えてくれるか?」
「ほんとに、わたし、無我夢中で、よく覚えてないんです」
「なに一つ? 逃げていった方向は?」
「すみません、なにもわからなくて、ごめんなさい」
シディアの黒い瞳が忙しなく揺れる。彼女の動揺は感じ取れた、しかし嘘や隠し事があるかどうかまでは判断付かない。
ラピスはシディアの頬から手を離した。
「そうか、アニマがなくとも怨獣に対応できる方法があるのなら知りたかったのだが。まあ良い……これより痕跡調査と追跡を始める」
ラピスは二人に被害箇所を案内させる。
地面にはっきりとした足跡は残っていなかったが、集中して目を凝らすと黒いもやのようなものが浮かび上がった。
怨獣が活動すれば邪悪な
聖魂術に長けている者でなければ視認するのは難しい。うっかり感じ取ってしまえば、泥水を全身に注ぎ込まれたような不快な気持ちを覚えるものだ。
心の清らかな人間が持つらしい聖魂力とは真逆の性質を持つもの。それが魔力だと教えられた。
魔力の痕跡があることが魔女と関連付けられる唯一の根拠だった。
――なにか変だ。
胸の内にざわつくものを覚えた。しかしそれがなにかはわからない。
「ラピス様? 険しい顔をされていますが、気になることでも?」
部下に声をかけられる。どうやら違和感を覚えているのは自分だけらしい。
「すまない、まだ自分でも整理できていない。慎重に、見落とさないようにいこう」
辿っていくと村の裏手、森の方へ続いているようだった。炎の聖魂術を扱うラピスにとっては苦手な場所だ。
森に入ることを村長に告げると、向こうは申し訳なさげに切り出した。
「先程は言えなかったのですが……シディアのことで相談良いでしょうか」
「なんだ」
「あの子はこの村の住人ではないのです。先日一人でやってきて身寄りもないと言うので、うちに置いているのです。助けてもらったのは感謝していますが、いつまでもここにというわけには……」
「わかった。王都へ戻るときに一緒に連れて行こう」
肝心のシディアといえば、なにも聞かなかったように黒猫と戯れていた。
部下を伴い森を進んでいく。
怨獣は食事をしないため手がかりが少なく、障害物が多い所での追跡は困難を極める。しかし次の襲撃に備えて息を潜めているのは容易に想像出来た。この機会で見つけられなければ、ラピス達が去った後に再び村へ牙を剥くだろう。
川に行き当たった。部下に川の手前を探させて、ラピスは一人川を渡る。
怨獣も渡って濡れたせいなのか、今までよりもはっきりと足跡が残っていた。その横には土が抉れた跡もある。
やはりこの怨獣は違う。ラピスの直感は告げていた。だから一人別行動を取ることにした。
獣の死骸が怨獣になるため、その足跡もやはり獣っぽい形をしているはずなのだ。しかし肉球がある様子もなく、この怨獣は人間のような足だった。
怨獣が初めて確認されてから二十年。人間の死体が怨獣になったという前例はない。当然死んだ人間全てを把握して、火葬しているわけではない。
それでも人の死体から怨獣になった事例は報告されていなかった。
――魔女。
ラピスの頭をよぎる。怨獣の出現に誰かの意思が関わっているのなら、取り憑く死体を選ぶことも出来るのではないか。ただの獣から人間へと対象を変化させている?
魔女は魔獣といった生物を操っていたらしい。しかし魔獣は怨獣とは違う特徴らしいというのはわかっている。
――いや今は目の前の相手に集中すべきだ。この先にいることが確信出来たのだから。
「ラピス様」
木陰から黒い影が現れる。シディアだった。黒いフード付きのマントを被っており、フードには三角の突起が二つ付いていた。
手でシディアを制止し、訝しげにラピスは問いかける。
「なぜ先回りしている? いやなぜ先回りできたのか、と聞くべきか」
「あの、わたしただ、お力になれることがあるかと思って」
「私が一人になるのを窺っていたのか?」
「それは……」
語気の荒いラピスに、シディアは言葉を詰まらせた。
「そう……です。わたしは怨獣の居場所をラピス様よりも早く、正確に知ることができます。それを他の人には知られたくありませんでした」
「アニマも持たない人間が? それをこの場で信じるほど私は甘くはないが」
「わたしは怨獣を退治できません。だからラピス様に協力したいのです」
「なぜ退治できないと断言できる。さっきは追い払った方法さえわからないと言っていたはずだ」
「ごめんなさい、今は言えません」
「話にならない」
「怪しいですよね。でもラピス様なら敵意がないってわかると思います。それにわたしなんかじゃラピス様をどうしようもできません」
この少女がどんな意図で行動しているのか。皆目見当も付かないが、一つだけ彼女は正しいことを言っていた。
――危害を加えるような動きをしたら、焼き尽くすのは容易いか。
ラピスは問答を続けても時間の無駄だろう、と判断した。
「前を歩け、私の視界から消えるな。わかったな」
「ありがとうございます!」
シディアはふぅ、と大きく息を吐き汗を拭く。
そして無邪気そうに笑った。
「こっちです。ラピス様!」
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