第三十六筆 まりあ様、社会へと還る!
読者諸君に問おう。
鬼丸より出た『黒鳥響士郎』の名前を覚えているだろうか。
そう、Web創作界隈の裏で流れる創作論『書籍化を呼ぶ雄鶏』の著者である。
プロのラノベ作家であり、ラノベ専門学校の講師、何冊も本を敢行させた本物。
遂には作品がアニメ化も果たしている筋金入りの男なのだ。
「業界最高峰の先生から、まさかメッセージが来るとは思わなかった」
鬼丸が述べる通りである。
この黒鳥という男は現代ラノベ界の最高峰に位置している。
業界では――。
曰く『ラノベの申し子』。
曰く『黒い不死鳥』。
曰く『業界一の名伯楽』。
――と様々な異名で呼ばれ『その名を知らぬものはいない』。
彼の創作論に影響されたワナビは延べ数千人いると言われ、彼に影響を受けた作家は数多い。
それが黒鳥、黒鳥響士郎という男なのだ!
「……どんなメッセージだったんですか」
龍は神妙な面持ちなで尋ねる。
「再生してあげるって――ただそれだけ」
静かに、実に静かに鬼丸は答えた――。
それは色を失ったラノベ作家『まるぐりっと』を再び蘇らせるという言葉。
黒鳥再生工場の宣言であるというのだ。
「さ、再生ってどういう……」
「自分の指導通りにやれば再び輝けるってこと」
「それはつまり?」
「彼の創作論『書籍化を呼ぶ雄鶏』通りに執筆すればいいのよ」
「ああ、あの創作論ですか」
「ええ……」
書籍化を呼ぶ雄鶏。
詳しくは第十五筆『黒き創作論!』を参照してもらいたいが、もう一度おさらいしておこう。
これは黒鳥が生み出したWeb小説界隈の裏で出回る創作マニュアルの一つである。
内容はほぼWeb小説に特化したものであるが、これを実践したものの多くは書籍化にこぎつけたという。
それはまさに『魔法の書物』と呼ぶに相応しいものであるのだが――。
「でもね……あれは『Web小説に特化したランキング攻略法』よ」
「こ、攻略法ですと?」
「中身が殆どそうじゃない。Web読者のために作られたような内容だもの」
「そうと
「ランキングを駆け上がらない限り、本を出せなかったもの」
鬼丸まりあ、実は気付いていた。
この創作論は所詮は『Web小説に特化したランキング攻略法』であると。
純粋な物書きのための創作論ではない。
まるでゲームを攻略するような創作論、彼女自身はそれはわかっていたのだ。
だが、もう一度プロのラノベ作家になるために自分を押し殺して、黒鳥の創作論通りに作品を書くことにした。
溺れる者は藁をも掴む、そのために自分の作風を完全に消すことに決めたのだ。
「幸い、ここ数年はストギル内でも異世界恋愛が流行してたから、あの『攻略法』はガッチリはまった。彼の言う通りにするとみるみる作品のランキング順位は上がったし、同時に読者からのコメントやDXのフォロワーも増えたわ。もちろん出版社からの拾い上げもね――」
どこか寂し気に語る鬼丸。
黒鳥の『書籍化を呼ぶ雄鶏』はまるで魔法のようであった。
プロ経験はあるも作品を書いて投稿しても、なかなかランキングトップテン内に入ることが出来なかった。
ところがこの創作論を実践したら、たちまちランキングトップテンにランクイン。
付けられるブクマ、増えるポイント、数の文だけ読者からの肯定的なコメントは貰え、SNSでは賛辞するリプが送られる。
ついには出版社から拾い上げされ、再び書籍化作家として復活。
以降は何作品か商業として自作を世に出すことになった。
そして、界隈では一家言持つ作家として徐々に信者を増やしていき、異世界恋愛を専門とした『異世界令嬢教』の教祖となるのはご存じの通りだ。
「でもね、復活したところで私の生活は苦しいまま……ギアドラゴン、あなたもそれは見て感じたでしょう」
「え、ええ……」
「あれが『現実』よ」
ワナビはまるぐりっとを『成功した書籍化作家』に感じるかもしれない。
でも、作家としての鬼丸は満たされたなかった。
ラノベ作家としてある程度の収入はあるが、依然として収入は少ないまま。
鬼丸は出版社からの拾い上げなので、コンテストの賞金はなく原稿料として初回に30万円ほど支払われるのみ。
以降は巻数が続けばマネーは貰えるが、残念ながら殆どは二巻ほどで打ち切りとなる作品ばかりだ。
人気のコミカライズも漫画家と収入を分けあわなければならないので思ったよりも少ない。
一度、そのことで原画を担当する漫画家とケンカになりかけたこともあるほどだ。
ラノベ作家を続けるという夢は厳しかった。
年収にして百万から二百万ほどの厳しい年収の状態だ。
生活を切り詰め、ご飯ではなくスパゲティに変え、納豆の豆だけを食す日々――。
足りない時はSNSで
「現実と仮想、鬼丸まりあとまるぐりっとの間……私の心を不安定にさせた……」
プロの世界は常に恐怖との戦いだ。
作品の打ち切りや出版社との契約が切れるか怯えなくてはならない。
暗い自分、毎日毎日叱られるだけの毎日、前の生活には決して戻りたくない。
その結果、鬼丸は不安定となり誰かにマウントを取り、精神を安定させていた。
つまらない鬼丸まりあではなく、プロラノベ作家まるぐりっとであり続けたかった。
異世界令嬢教の教祖として、ずっと輝き続けたかったのだ。
「でもね……社会から逃げちゃならないな、とやっと気づいたの。あなたのお陰でね」
「俺の?」
「人から面と向かって叱られたのは数年ぶり……」
鬼丸はケーキを一気に平らげ、お茶をゴクゴクと飲み干した。
ゆっくりと龍の両眼を見るとニカリと笑った。
「あなた、絶対に書籍化作家になりたい?」
「え?」
「どれだけ綺麗ごとを言ってても、ワナビなら書籍化を目指しているわよね?」
龍はこれまで書籍化作家の悲哀を見た。
それはこの鬼丸だけではない、合コンで出会った不破もそうだった。
この残酷な現実を、輝くWeb小説界の裏で涙する人々を見聞して龍はどう思うか。
「俺にはわかりません」
答えは出なかった。
自分は何故『書籍化』を目指していたんだろう。
根本的な問題だ。
何故、Web界隈の人々は書籍化を目指しているのだろうか。
自分の作品を世に出したい、人から褒められたい、印税収入を得たい等々。
しかし、明確にはどうだろうか? 本当に自分は書籍化作家に――。
「登らなければ、やってみなければわからない境地もあるでしょう」
鬼丸は珍しく大きめの声で述べた。
「黒鳥先生は誰でもフォローバックしてくれるわ」
「え?」
「DMで送りなさい『まるぐりっとの紹介がありました』とね」
ゆっくりと立ち上がる鬼丸。
彼女はそのまま店の出口まで歩いて行く。
「ど、どこへ?」
「ハロワよ、あなたが紹介してくれた『求職者支援訓練』を受けるの」
「ど、どういうことだってばよ!」
「――私は社会と向き合う」
「む、向き合う!?」
「臆病な私から少しづつ卒業していく」
そのまま鬼丸はつかつかと歩み、店員に何かを伝える。
「ありがとう阿久津川さん」
鬼丸は明るくそう述べると外の世界へと飛び出した。
それはどこか晴れ晴れとした姿、女神のような微笑みを浮かべていた。
どうやら『社会という現実』にきちんと還ると腹をくくったようだ。
現実の鬼丸と仮想のまるぐりっと。
その二つが一つとなり成長したのだ。
もうそこには弱々しい現実の鬼丸と、尊大な書籍化作家まるぐりっとはいない。
人間まりあが力強く歩み始めたといえよう。
龍の熱い言葉のお陰で、彼女は現実に向き合うことを強く決心したようだった。
「ちょっと待て……」
といい話になりかけたところで龍があることに気づく。
「あいつのケーキとお茶代は俺が払うのかよ!」
龍は密かにテーブルに置かれた伝票表の存在に嘆く。
まりあ様が飲み食いした代金を払わなければならないのだ。
それはまるで頂き女子されたような気分だった。
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