クリミネセブンパスト〜神の果実を拾い食いして不死になった俺と七姉妹の悪魔達〜
熊尾黒雛
神の甘味
第1話 天からの落とし物
世界を統治する絶対的な『唯一神』が人間界に落とし物をしたという情報が、懺天使オファニエルの耳に入ったのは、事が起きてから半刻ほど経ってからだった。
「至急『脳天使』達を集めろ。動ける者は全てだ。事は一刻を争うぞ」
直属の配下へ指示を出したオファニエルは、一人頭を抱えていた。
まったく困ったお人だ。貴方は試練を与えるのがお好きなようだな――我らが神よ。
天上世界である天界から下層に在る人間界に与えるものといえば、もっぱら裁きの天災だと相場は決まっている。だが、此度人間界に堕とされたモノは、世界の均衡を崩しかねない曰つきの代物だ。求められるのは迅速な解決であるとオファニエルは重々承知している。
責任ある立場として、身命を賭して己の職務を遂行する覚悟を決めたところで、各方面に散り散りになっていた脳天使達が、続々と集結しつつあった。
このことがこれ以上天界の外に漏れる前に、収集をつけねばなるまいな。
もしこれが外法者――特に“あの悪魔達”にでも知られると、かなり面倒なことになる。
オファニエルは眼前に並び立つ脳天使達の前で凛々しく告げる。
「諸君! 我々の任務は人間界に放たれた《神の甘味》の回収である! 人間界に一時とはいえ“存在してしまった”という事実の痕跡までも、残してはならない!」
その言葉を聞いた脳天使達に、わずかな困惑と重い緊張が走った。それを感じとったオファニエルはさらに言葉を続ける。
「もし件の物を口にした者がいれば、善悪の区別無く、種族を問わず、問答無用で抹殺せよ! これは我らが神より賜りし至上命題である!」
◆◆◆
天界で一部の天使達が秘密裏に動き始めようとしていた、ちょうどその頃である。
「はーッはっはっははァ! あの糞神様が! ついに! ついにやらかしてくれやがった!」
一人の少女が、闇夜の下で快哉を叫んでいた。
月光で照らされた黄金色の髪が妖しく光るが、その髪のみならず、少女の身体の至る所は血で赤黒く染まっていた。
そのまま一頻り高笑いを続けた後に、深く咳き込み、少女は血の塊を吐き出した。
そんなことは意にも返さず、少女は重い足取りのまま歩を進める。その度に足元には血が滴っていく。少女は左腕を欠損していた。
わずかに呼吸も乱れ、満身創痍な様子ながらも笑みは絶えることはなかった。
「アレさえ……アレさえ喰えば……あたしは誰にも負けない……! 厄介な欠陥とも金輪際オサラバだ……ははっ!」
待っていろ。神の甘味。
「喰い尽くしてやる……このペルゼビュートがな……!」
金色髪の少女――ペルゼビュートは、再び高笑いを続けながら、重い足取りのまま、森林のさらに奥深くの闇へと消えていった。
◆◆◆
ロザク・ネクタールは極めて深刻な危機的状況に陥っていた。
十七年というこれまでの人生を想起してみると、ろくでもない境遇、ままならない事態にばかり遭遇する、悩ましい不条理の連続だったけれど、これほどまでの苦境に立たされた覚えはない。
さらに思考を巡らせ記憶を遡ると、今現在に至った経緯も酷い有様だった。
それは半日前、ストルトという田舎町でのことだ。ロザクはこの町に滞在し一週間ほど日雇い仕事に従事していた。
ストルトの名主である貿易商の仕入れた数々の商品を、荷下ろししたり小売業の元へ配達するのが仕事で、こき使われる重労働ではあったが実入りが良かったので苦にはならなかった。
孤児院上りで、町から町へとあてもなく旅を続ける流浪無頼のロザクは、仕事を選り好みしている場合ではなかった。日銭ではなく、最低限ある程度の稼ぎがなければ旅を続けることは厳しくなる。稼げる時に稼ぐに越したことは無い。
そこそこの金が貯まると、次の町を目指してストルトを発つ前に、ロザクは商店に立ち寄り、紙袋から溢れんばかりの大量の林檎を購入した。
これはロザクがこの日、この商店へ配達した品物の一つだ。この林檎が次の町へ着くまでの食料である。
自身の大好物である林檎が、ストルトの名産品であることを知って滞在中に何度か食べてみたのだが、噂に違わぬ逸品だった。
店主の浮かべる怪訝な表情など意に返さずに別れの挨拶を交わすと、街中の風景にわずかな名残惜しさを抱きながら、片手に林檎を取り咀嚼しながら町の出口を目指す。
うーん、美味い。
濃密な酸味と甘味の調和。口腔内に広がる蜜の風味と、心地良い噛みごたえの瑞々しい果肉。
林檎は人間の罪を象徴する知恵の果実だというが、こんな美味い物、目の前にあったら手を伸ばさざるおえない。思わず齧りついてしまうだろうに。
原初の人間達に一方的な想いを重ねていた、その時である。
「待ちやがれ! この林檎泥棒が!」
と、後ろから聞き捨てならない声が上がった。
振り向くと、眉間に深々と皺を寄せた三人の男達が立っていた。
三人とも手には木の棍棒を携えている。
「な、なんだよ? 泥棒?」
ただならぬ男達の形相に一瞬怯むも、ロザクは平静を保ちつつ、慎重に言葉を返す。
「おいおい、勘違いしてるぜアンタ達。これはな、さっき俺が自分で買ったモンさ。自分の稼いだ金でな」
「しらばっくれんじゃねぇ! お前が今朝、俺の店に配達に来た余所者で、配達の時にウチの林檎をかっぱらったってことは調べがついてんだ!」
三人組の真ん中に立つ強面の男が、語気を強め、ジリジリとこちらへにじり寄ってくる。
よくその顔を窺うと、確かにロザクが二軒目に物品を配達した露店の店主だった。
店の後方に建てられている倉庫に、木箱を運び入れてやったことを思い出す。
「アンタ、ラジム商店の人だろ? そりゃあ言いがかりだ。あの時に木箱の中から林檎を掻っ払う暇なんてなかったろう」
「なら最初から中身をくすねて、どこかへ隠していたんだ!」
「中身を一緒に確認してから倉庫へ運んだろ? そこから中身を抜くなんざ、無理な話さ──」
「――うるせぇ! この余所者が!」
ここで憤りが臨界点に達したのか、店主の男は手にしていた棍棒をロザクに向かって乱雑に振り下ろした。それは彼の左側頭部中央に命中。何かが砕ける不快な音が、痺れを伴う電撃のような鈍痛と共に頭蓋内へ響いた。視界が一瞬白一色に染まる。
いきなりの痛みと衝撃に思わずロザクは倒れ込む。先程走った痛みとはまた違う、明瞭な輪郭をしたズキズキと疼く痛みや、身体が竦むような耳鳴りが、絶え間なく続いた。
「が、ぐがぁ……」
嘘だろこいつ! こんな躊躇なく人の頭殴りやがった!
声にならない呻き声をあげるロザクを前に、取り巻きの男二人は「やりすぎだぞ!」「これはマズいかもしれん……」などと、殴打した店主を責め立てた。
「ガタガタすんな! どうせ余所者のろくでもねぇ盗人相手だ。死んでも誰も構いやしねぇよ!」
我にかえったのか、店主はわずかに声がうわずっていたが、まだロザクの血がベットリとついた棍棒を手に握りしめたままだ。
このままでは、殺されるかもしれない。
ロザクの判断は早かった。それは孤児院育ちの彼が自然と身につけていた、身につけざるおえなかった、独りで生き延びるための生存本能の賜物。
彼は駆け出した。現状の打開策など熟考せず、身体の外傷は考慮しない。
ただがむしゃらに、この場から速やかに離れることだけを考えた。
当面の食料の林檎などその場に捨て置いた。
この一週間汗水垂らして稼いだ金が、懐から零れ落ちたことなぞ知ったこっちゃない。
ただひたすら、無我夢中で、眼前の道をひた走った。
男達の影がとうに消え失せたとしても、後ろを振り向かずに、ひたすら地を蹴った。
そして現在、彼は何処とも知れない、森林の中に横たわっていた。
どのくらい走ったのだろうか。いつの間にか周囲は闇夜に包まっていた。頭部の傷口は血が固まり、出血自体は止まっているが、これまでの出血はあまりに多すぎた。
視界が徐々に狭まり、靄がかかったように薄れていく。
身体中細かい切り傷だらけで、途中転倒した際に負傷した右下肢は、ドス黒く変色している。
そんなロザクが思うことはただ一つだった。
「腹、減ったな」
それは生物が決して抗うことのできない、根源的な大問題だった。
◆◆◆
彼の脳裏に浮かんだのは、孤児院で出会った一人の“少女”のことだった。
彼女の名は、思い出せない。
もしかしたら最初から知らなかったのかもしれない。
なにせ彼がまだ七歳の頃の記憶の断片。彼女の顔すら曖昧だった。同年代の少女であっただろうか。もしかしたら年上だったかもしれないし、年下でもおかしくない。
よくよく考えると、彼は彼女のことを、今も昔も、まるで知らなかった。
ただ、それでも、少女と交わしたこの会話だけは、彼の中に今でも残り続けている。
「世界には善も悪もないの。だから、幸福とか不幸とか、そういうのも、きっとないのよ」
そんなわけないだろ。
「それは貴方が善と悪を、幸運と不幸を、感じたり考えたことがないからよ」
きみは考えたことがあるの?
「わたしだって、全部が全部解っているわけじゃないわ。自分がただ信じているだけ」
じゃあきみがそう思ってるだけなんだよ。
「思ってるんじゃない。信じているの」
……? 同じだろう?
「全然違う。信じることは、力になるから」
力?
「そう。生きる力。それって、必要でしょう?」
そうなのかな。
「生きるってフツーにやってるけど、疲れるじゃない? だから要るでしょ、力が」
そうかな?
「そうだよ。まぁ力って言っても色々あるけどさ。でも生きるために必要な力が“信じること”なんじゃないかな?」
信じること……。
「善も悪もない。幸福も不幸もない。豊かさも貧しさもない。美しさも醜さもない。真実の平和も永遠の戦争なんてものもない世界なら、自分が信じることが、何より大事なんじゃないかな?」
自分が信じること……。
「だから君も、自分を信じなきゃね」
自分を、信じる。
そこで彼の記憶は閉じた。まだ彼女と話したことは残っているはずだが、今回はここで追想が途絶えてしまった。
何故今彼女のこの言葉が脳裏の表層に浮かび上がったのか。
彼女が何を伝えたかったのか。
その答えを、彼は未だ見つけられていない。
◆◆◆
彼女の脳裏に浮かんだのは、戦火の中相対した、忌まわしき“妹”のことだった。
愛憎入り混じる妹の名はサタナルゥ。
彼女と妹の因縁は、数えきれない。
もしかしたら最初から殺し合う間柄だったのかもしれない。
なにせこの衝突すら長々と続く因縁の断片。妹を愛していたことがあるのかすら彼女には曖昧だった。
ただ、それでも、妹と交わることで抱いたこの殺意だけは、彼女の中に今でも残り続けている。
「世界は退屈だ。貴様のように」
あ?
「貴様も感じているだろう。我等が逃れることのできないこの虚無感を」
何言ってんだテメェ。
「幾度となく壊しても、殺しても、生を実感することも、死を堪能することもできやしない」
何が言いてェんだ?
「貴様は何も解っていないのか。腹を満たすことにしか興味がないのだとすれば、ある意味幸せだな」
ただただテメェをブチ殺したくなってきた。
「殺せるのか? その有様で、無力な貴様に」
出来ないと思うか? このあたしに。
「無理だな。貴様の力では、我が“憤怒”に勝ることはない」
試してみるか?
「それだけの傷を負ってまだ吠えるか。情をかけまだ生かしてやってるということも解らんのか?」
そうかな?
「信じられん莫迦め。悪魔としての矜持か。他の連中もそうだが――苛立たしいな」
糞ガキがっ……!
「傲慢も謙虚も。色欲も禁欲も。暴食も節制も。怠惰も勤勉も。強欲も無欲も。嫉妬も憧憬も。そんなものに満ちた世界など、ただ怒りが湧き上がるばかりだ」
サタナルゥ……!
「だから我は、世界を滅ぼすのだ」
◆◆◆
どのくらい時間が経ったのだろうか。
いつの間にか気を失っていたロザクは、ゆっくりと夢から現へ。眼前には深い闇空が広がっていた。
憎らしいほどに綺麗な星々が燦然と輝き、月光が周囲を淡く照らしている。
そして自身の現状が何も変わっていないことを認識すると、深く溜息をついた。
夢の中で久々に再会したあの思い出の少女のことを、のんびりと考えている場合でないことは間違いなかった。
全身の痛みはともかく、この耐え難い空腹のことは、早く何とかせねば。
この空腹は、この現状を打破するための気力を根こそぎ削いでしまう。
それはつまり心身ともに衰弱し、そのまま緩慢な死に直結してしまうということだ。
懐をまさぐってみるが、食料の類は見当たらない。マッチや小銭がいくつかある程度だ。
そして逃げる際に汗水垂らして稼いだ金が零れ落ちていることも分かった。
追い討ちの心理的ダメージを負いながらも、ロザクはなんとか身体を起き上がらせようとするが、右脚に走った激痛に思わず身をよじる。
どうやら右脚は骨折しているようだ。この森林から出るどころか、立ち上がれそうもない。
もうただ呆然と天を見上げることしかできなかった。
「こんな風に死ぬとは、流石に思わなかったな」
ロザクは自嘲する。ただそれしかできないからだ。
このまま目を閉じて、現実に向き合うことをやめれば、楽になれるのだろうか?
生に対する抵抗をやめて、死を受け入れてしまうことが最善なのだろうか?
答えの出ない問いが、ロザクの脳を車輪のようにグルグルと廻り始める。
孤児院での境遇や今後の人生を悲観して、自ら命を経った当時の友人も、同じ答えに至ったのだろうか?
俺のやりたいことは一体なんだったのだろうか?
人並みの暮らし。人並みの幸せ。
そんな実体のないモノに縋っていた俺の人生は、最初から成立していなかったのだろうか。
なんなんだ? 俺の望みは。
何がしたかったんだ?
何が欲しいんだ?
「……あーもう嫌だ。腹減った! 考えるだけで腹が減るわ! 腹減ったら寝る! それが最善!」
ロザクは叫び、仰向けの姿勢から、自分が一番熟睡しやすい左横向きに寝返りを打った。
その時である。
前方から五メートル程離れた場所に、見たことのない果実が落ちていた。
色はこの夜の風景に溶け込んでしまいそうなほどの漆黒で、ところどころに赤のまだら模様が混じった、奇怪な果実だった。
周囲を見渡すが、その実が成っているような樹は見当たらない。
なぜこんなところに、果物がポツンと落ちているんだ?
ふと好奇心のようなものに駆られたロザクは手を伸ばしてみるが、届きそうにない。
少し迷ったが、勢いをつけゴロゴロと左回りに無理矢理転がり、身体に走る痛みに耐えながらも、実の側まで近づいた。
手に取って観察してみるも、得体のよく知れない果実だった。手触りは悪くはない。
実の大きさも重さも、ちょうど一般的な林檎と同じくらいだ。
何気なく匂いを嗅いでみると、非常に香ばしい、かといって他の何とも形容できないような、そんな芳醇な香りがした。
思わずロザクの腹の虫が鳴る。自然と口内には唾液が分泌されていた。
見た目は正直全く旨そうではないのだが、実直に、彼は、彼の身体の細胞の一つ一つは、この実を欲していた。
「これが最期の晩餐か――悪くねぇ」
ロザクは一心不乱に果実に齧り付いた。
そして充分な咀嚼もせずに、一気に飲み込む。否、無意識に、いつの間にか、腹の内に収めてしまった。
なんだこの果実は。
ナンダこの果実は。
ナンダコノ果実ハ。
ナンダコノカジツハ。
「美味ェええええええええええええ!」
そこから先の記憶はない。
ただひたすら果実を貪り喰った。
至上の幸福。
この世に存在する人間に与えられる幸せの許容量を凌駕する、圧倒的幸福。
たった一つの果実を咀嚼するこの僅かな時間は、永遠にも匹敵する、あまりに濃厚で濃密で無慈悲な時間。
度が過ぎる幸福はそれだけで人間を滅ぼす。
身体のみならず、魂でさえも歓喜に打ち震えたいたロザクに、その幸福と一緒に、まるで神の鉄槌のような、残酷な“しっぺ返し”がやってきた。
全ての歯が根元の神経ごと引き抜かれ、懇切丁寧にすり潰されたような痛み。
食道を煮えたぎるマグマが通過したかのような、地獄の業火に匹敵するような熱さ。
腹の中で、超星爆発が起き臓器が消し飛ばされたような衝撃。
これらが同時にやってきたと本気で錯覚するほどの、度し難い天罰。
声を上げることも、呼吸をすることもできない。
ロザクはこの世に存在する死の苦痛を、一身に味わった。
だから、彼は知る由もなかった。
自我が保てないほどの苦しみの渦中にいるロザクの側に、一つの影が忍び寄っていたことなど、彼には知る由もなかったし、心底どうでもよかった。
今はただ、この幸福と苦痛の奔流に、ただただ身をあずけていたかった。
その後の人生に待ち受ける事象など、蛆虫のようにほんの些細で矮小で、至極どうでもいいことにしか思えなかったのだから。
◆◆◆
「いい加減起きやがれ!」
ロザクの鳩尾に、上方から強烈な蹴りが入れられた。
「ガァっ!?」
唐突な腹部への痛みに呻き声を漏れる。蹴られた箇所を押さえながら、思わず咳き込んでしまう。
どうやらまた気を失ってしまっていたらしい。
呼吸を落ち着けて視線を上空へ向けると、仰向けに倒れ込む自分を見下ろすように、一人の少女が立っていた。
その姿は異様だった。
鮮やかな金色の髪に、同じく黄金色の大きな瞳。幼さは残るが、美しく妖しい色気を放つ顔つき。しかしそれより目を引くのは、彼女の全身が紅い鮮血に染まっていることだった。
服の至るところが破れ、そこにできた傷からは血が滴っている。
そしてよく見れば、左腕の肘の少し上から先が欠損している。鋭利な刃物で切断されたかのように綺麗な断面、そこからも未だ出血している。
いきなり眼前に広がる光景に、ロザクが唖然としたまま少女と顔を見合わせていると、もう一発先程と同じ箇所に、同様の力加減で蹴りが入れられた。
「ぐはぁっ!」
二度目の不意打ちの蹴りに再び訳もわからず悶絶してしまう。
「ジロジロ人の顔見んな」
少女は鬱陶しさを隠そうともせず毒づいた。
なんなんだこの暴力的な女の子は!
このまま寝そべっているのは危険だと判断して、ロザクは身を起こし立ち上がると、後退りして少女と僅かに距離を取る。
そして次に少女との対話を試みた。
「一体なんなんだお前は! ていうかその傷、大丈夫なのかよ?」
「ん? いきなりあたしの心配とは。意外と余裕だなお前」
「いや、余裕、ねーけどさ。普通心配するだろ。大怪我してるじゃんか」
「……」
ここで少女は面食らったような表情を浮かべたが、それはすぐに不敵な笑みに変わる。
「こんなの大したことねーよ。なかなか傷が塞がらなくてウゼェけど」
「そんな大怪我すぐになんとかならないだろ」
「いいんだよそんなことはどーでも。それより、お前のことだ」
「俺の……?」
「さっきの二度の蹴りで確信した。お前、喰いやがったな」
少女はロザクの腹の方を指差し、鋭く睨みつける。
「あたしの獲物――『
「ディオ、メレンダ……?」
「気を失ってブッ倒れる前に、変な果実を喰ったろう?」
「……!」
変な果実。
そう言われて、ロザクは先程の出来事を思い出した。あまりに現実離れしたことだったので、未だに実感はないが……。
と、そしてそこで一つ新しいことに気がついた。それは自身の肉体の異変。
これまでに負っていたはずの傷や痛みが、綺麗さっぱり無くなっているのだ。
殴られ割れた頭部も、たしかに骨折していたはずの右足も、傷一つ見受けられなかった。さっきまで立ち上がることすら出来なかったのだが、今はこの通り、なんの問題もなく二本の足で立っている。
ここに来る前までのことが、全て嘘だったと考える方が自然なほどの変わりようだ。
「一体これは、どうなってんだ!?」
「気がついたようだな。ついでに馬鹿なテメェのためにわざわざ教えてやるが、お前が喰った『神の甘味』ってのは、神や選ばれし天使しか食べることのできない、それはそれは美味いと評判の果実だ」
「は? 神? 天使?」
いきなり出てきた超常の存在に、ロザクはつい笑い飛ばしてしまいそうになる。
しかし少女は至って真面目な語り口を崩すことなく続ける。
「ソイツはとんでもない神力を秘めた果実でな。人間界にほいほい存在していいような代物じゃねーし、ましてや人間が口にして良いものでもねぇ」
一歩、彼女はロザクの方へ近寄る。
「だがお前は喰っちまった。偶然か必然か。神の甘味を完食した挙句、今もこうしてアホそうな面ぶら下げたまま生きている。人の禁忌に触れて、尚」
「人の、禁忌……?」
「さっきの蹴り二発は、半分お前を殺すつもりで蹴ったんだぜ? だが本調子じゃないとはいえ、あたしの蹴りを受けてもそうやって起き上がれるお前は、もう人間の領分を逸脱してしまってる」
「!」
「まず間違いなく、お前はもう人間と呼べる存在じゃない」
「……な、なんだよそれ? 俺が、人間じゃない……?」
「あぁ。そして人間じゃなくなったお前は、もう世界に存在を許容されることはねー。十中八九、始末される」
「……は?」
さっきから何を言ってるんだ? この少女は? 非現実的で空想が入り混じったような、言葉の羅列だ。
「うがぁあああああああぁ!!!」
と、ここで今まで冷静に話をしていたはずの、少女が突然吠えた。大地や木々が揺れるほどの、人間離れした強烈な咆哮だった。
混乱の渦中にいたロザクもその重圧に、気圧されてしまい、地面に膝をついてしまう。
「最悪だ。最悪だ。最悪だ! ったくよー! なんであたしの食事を横取りしたこんなクソヤローに懇切丁寧に説明してやらなきゃあならねーんだ? なんか腹立ってきやがった! 腹減ってんのにご立腹だぜ!」
怒りを発散するように叫び散らす少女を前に,ロザクは身じろぎ一つ起こすことができずにいる。
その瞬間。
ロザクの胸の中央を――少女の右腕が貫いていた。
いつの間にか彼の眼前に接近していた少女は、そのまま思い切り腕を引き抜く。
ロザクの胸中から飛び散る鮮血は、彼の瞳には趣味の悪い噴水の様に映った。
痛みを自覚する間もなく、ロザクは再び地面に倒れ込む。
既に虚な視界には、小刻みに拍動を続ける赤黒い塊を握っている少女。
彼女の手に握られていたのは、ロザクの心臓だった。もうロザクは指一本すら動かすことはできない。
さらに返り血に塗れ、さらに全身の赤き装飾が増えた彼女は、倒れ込むロザクを酷く冷たい表情で見つめているだけだった。
まるで心臓を鷲掴みにされるようは恐怖を与える冷酷は眼差し。
まぁ文字通り彼女の掌にて、己の心臓は握られているのだが……。
「果実を喰った“罪”は、テメェの身体を食料として提供することで、償ってもらう」
「……だ……」
「あ? まだ喋れんのか」
「……誰なんだッ……お前は……!」
「あー? 冥土の土産にあたしの自己紹介がお望みかぁ?」
「否――その必要はない。貴様のことは知っている」
「!?」
少女は目にも止まらぬ速さで、瞬時に、自身の背後から突如現れた“その声の主”から、ロザクの側まで移動することで距離をとり、そして臨戦態勢に入った。
「誰だテメェは。自己紹介してみろよ」
「下賤な悪魔に名乗る名などない」
ロザクと少女の前に立っていたのは、天界より舞い降りた使者──懺天使オファニエルだった。
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