第3話 悪い癖
「はあ、ようやく飲み込んだと思ったんだけどなあ」
一人暮らしになってから独り言が増えた気がする。
いや、それは違うか。
今までは独り言も拾ってくれる人がいたというだけだったのだろう。
もっと色々なことを話したかった。
考え方が好きだった。
もっと色々な景色を共有したかった。
自分とは違うまっすぐな捉え方が好きだった。
素直で心地いい程度の独占欲で甘えたがりの寂しがり。
心の底から惚れこんでいた。
「何を飲み込んだの?」
なかなか時間が経っていたようだ。
集中すると周りの音が聞こえなくなるのは悪い癖だ。
葵にもよく怒られたな。
振り返って息をのむ。
雨に濡れていた時とは印象が全く違う。
「なんでもないよ」
胸の底から湧き上がる熱いものを必死に抑えてそう答える。
「そうなの?なんでもないようには見えないけど」
俺は本音を隠すように、「社会人には悩みが尽きないんだよ」と濁した。
風呂から出てきた藍とは不思議と軽口が叩けるような雰囲気になっていた。
「あ、ごめん。部屋の準備まだなんだ。良ければ手伝ってくれない?」
「お構いなく。私はリビングの椅子でも貸してもらえれば」
「遠慮しないで。どうせ使っていない部屋だから」
「お風呂でも思ったけど、ここ結構広いよね」
「まあね。選ぶのに相当時間かけたから」
そんな話をしながらほぼ空き部屋となっている部屋へと案内した。
「何もない部屋だけど好きに使ってくれていいから」
言ってから気が付く。
最後に片付けて以来、掃除をしたのはいつだったか。
無意識に開けないようにしていたため忘れていた。
「……明さん掃除道具ってある?」
「……ごめん。最近忙しくて、使ってない部屋まで掃除が行き届いていなかった」
「一人暮らしなのにこんな大きな部屋に住んでるからだよ」
「全くその通り」
「引っ越しはしないの?」
「……そうだね。今は忙しいから」
引っ越しはできない。
いつまでも引きずるわけにはいかないと彼女のものは全て片付けたのに、いつまで経っても引っ越しに踏み切ることはできなかった。
彼女の居場所はここだけだったから。
「ごめんね。風呂上がりなのに掃除させちゃって」
「こっちこそ、仕事帰りで疲れてるだろうに部屋まで貸してもらってごめんなさい」
「それはいいんだ。誰でも雨の夜道に一人でいたら声をかけるよ」
「自分で言うのもなんだけど、あの時間の山道で雨に濡れてるぼろぼろの女なんて、普通にホラーじゃない?」
「それはそうかもな」
「でも明さんは普通に声かけてくれたね」
「まあ、それが俺の普通だからね」
「うわぁ、今の発言だけでもわかる。明さんモテるでしょ?」
「どうだろうね。まあ確かに、男女ともに友達がいないことはなかったかもね」
藍の言葉に少しだけ不快感を覚える。
「じゃあ、彼女――」
「そろそろいいかな。シャワー浴びてくるよ。服とか気になるなら隣の俺の部屋のタンスあさってくれていいから」
藍がそれ以上言う前に早口でそう言うと、俺は浴室へ向かった。
「……全然飲み込めてないじゃん」
だからその呟きが聞こえることはなかった。
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