第23話 誓い



 気がつくと、自室の奥の寝室で寝ていた。

 慣れた部屋の雰囲気にほっとする。


 頭がくらくらして、心臓が鼓動を打つたびに痛む。

 だが、少しずつ痛みが和らいでくる。


「……リリアーナ?」


 心配しながら名前を呼ぶ声が、そっと響く。


 そういえば、やけに手があたたかい。

 誰かに握られている。

 ともすれば沈んでいきそうな身体が、その手に繋ぎ止められているかのようだった。


 この手を知っている。この声を知っている。この暖かさを知っている。この感覚を知っている。

 レイヴィスの魔力が流れ込んでくる感覚だ。


「レイヴィス様……?」


 ぼやける視界にレイヴィスの姿が見えて、目が合う。

 レイヴィスはほっとしたように息を吐き出した。


 段々と意識がはっきりしてくる。


「私……どうして……」


 どうしてこの場所でレイヴィスに手を繋がれているのか。それまでの経緯を思い出せない。


「――君は、無意識のうちに刺繍に魔力を込めすぎて、それで魔力のバランスが崩れてしまったんだ。いまは俺が調整している。気分はどうだ?」


 問われ、自分の状態を確認する。

 まるで陽だまりの中にいるかのように、ふわふわと暖かくて、安心できる。


「とても……気持ちいいです……」


 レイヴィスから与えられるその感覚があまりにも心地よくて、だからこそ切なくて、涙が滲みそうになる。


「……ご迷惑をおかけして申し訳ありません」

「迷惑なんかじゃない。悪いのは俺だ。君がこんなになるまで気づかなかったなんて――……」


 レイヴィスは自分を責めている。彼にそんな顔をさせてしまうのが辛かった。


 レイヴィスはリリアーナの手を握りながら、悔やむように口元を歪めた。


「嬉しすぎて……」

「……嬉しい?」

「君が、俺のために贈り物をしてくれたことに浮かれすぎて、刺繍に込められている魔力にすぐに気づけなかった……! 君の状態にも……」


 リリアーナは目を丸くした。


(そんなに嬉しかったのですか?)


 さすがに驚く。

 喜んでくれている気はしたが、少し大げさに言ってくれているのだと思っていた。まさかそんな本気で喜んでいてくれていたなんて。


 呆然としたが、どうしようもなく嬉しいと思った。


「――やはり、魔力のコントロールを覚えた方がいい。魔力訓練を再開しよう」


 レイヴィスが強い決意を込めて言った提案に、リリアーナの心臓が跳ねる。

 ――魔力の特訓。それは以前レイヴィスに断られたことだ。

 リリアーナに魔力教導はできないとはっきりと断られた。


 ――となると、別の人間に教導を受けることになるのだろうか。他の、相性のいい相手に、委ねることに。


 想像するだけで、身体が強張る。


「……レイヴィス様、ありがとうございます。でも、結構です」


 リリアーナは、できるだけ深刻にならないように、軽い調子で。


「刺繍が原因なら、もう刺繍はしません。それだけのことです」


 不自然に強張らないように、微笑む。


「私にそこまでしていただかなくても大丈夫です。大人しくしていますから」

「……リリアーナ、頼むから、そんなことを言わないでくれ……」


 レイヴィスはひどく傷ついたような顔をしていた。

 リリアーナはそれを見て、「ひどい」と思ってしまった。


 握ってくれている手はこんなに優しいのに。


「だ、だって、その、……他の方に教えてもらうことになるのでしょう……?」


 他の人とこうして手を握り合い、無防備な状態で自分を任せるのは、相手にもレイヴィスにも申し訳ないが、抵抗がある――


「誰が他の男に任せたりするか!」


 レイヴィスが驚きと焦りと怒りがこもった声で叫ぶ。


「レイヴィス様……?」

「す、すまない、大きな声を出して。本当に、君を他の男には指一本も触れさせるつもりはない」


 では誰に教わるのか。


「あの……女性の方はいないんですか?」

「魔力の性質的に、女性は教導に向いていないんだ。女性の魔力は受容――受け入れ、内に留める性質だからな」


 となるとやはり男性の教導を受けることになるが、高魔力で知られるレイヴィス・エルスディーンが他の男性に妻を任せることは外聞が悪い。


「では、レイヴィス様が……?」

「最初からそのつもりだ」

「でも、私には教えられないって――」

「それは――前も言った通り、君を研究対象にしたくなかった。君への負担が大きすぎるし、俺の身勝手で振り回したくなかった。それに――」


 そこで言葉が途切れる。

 だがリリアーナはその先が聞きたくて、レイヴィスをじっと見つめる。


 レイヴィスはぐっと唸って目を逸らす。


「――あの頃は、俺の方の制御が効いていなくて……暴走しかねなかった……」

「そんなに大変だったんですか……? ごめんなさい、気づかなくて……」

「い、いや……もう大丈夫だ……大丈夫……だがあの時は、君を傷つけかねなくて、距離を取ろうとした――」


 レイヴィスは悔いるように眉根を寄せた。


「だが、間違いだった。途中で手を離すほうがずっと無責任だった。リリアーナ……もう一度、俺を信じてくれないか?」


 金色の瞳が静かな決意を湛えてリリアーナを映す。


「身勝手なことばかり言ってすまない。今度はちゃんと、君が安定するまで――自信を持てるまで導きたい」

「ですが……」

「もちろんこれは研究じゃない。君を治療したいんだ。君が安心して、好きなことを我慢せずに、穏やかに過ごせるように……」


 レイヴィスの提案に従って、彼の魔力教導を受けるのが、一番いい選択なのだろう。


(でも……)


 リリアーナには懸念があった。

 魔力教導は、とても親密な行為に思える。大人の男女が行うには親密すぎるぐらいに。


 答えないリリアーナを見て、レイヴィスが苦しそうに言葉を紡ぐ。


「いまの君はすごく危険な状態なんだ……」

「危険?……魔力が暴走しかねない、とかですか?」

「高魔力持ちの男にとっては、いまの君は、大好物のご馳走が食べてくださいとばかりに置かれているような状態だ……」

「はい……?」


 冗談?

 ――いや、レイヴィスは真剣なように見える。彼はこんな冗談を言うような人間ではない。


「――……いや、もちろん、理性や、いろんな枷で、我慢するが……飢えていれば、理性を吹っ飛ばして獣に堕ちかねない。いや、俺は大丈夫だが」

「…………」


 レイヴィスのとても言いにくそうな説明を聞きながら、信じられない気持ちながらも、ようやく理解してくる。


 ――リリアーナはいま、無自覚に高魔力男性を誘っている状態だと。


「…………」


 言葉が出てこない。頭がうまく働かない。


 男性のそういう衝動の強さは、女であるリリアーナにはわからないが、生物は子孫を残すのが本能だ。

 魔力の高い男にとって、自分の子どもを生める女が、魔力を振りまいてうろついていたら、誘惑しているようなものなのだろう。


 ――はしたない。

 そして、レイヴィスが心配する気持ちもわかる。自分の妻がそうやって他の男性を誘惑していたら、醜聞でしかない。


「…………」


 ――受けるしかない。

 治療を受けるしかない。魔力をコントロールできるようにするしかない。これから先の人生のためにも。このままではこの家の庇護を失えば――修道院に行ったとしても――……


「たっ……助けてください……!」


 リリアーナは飛び起きて、レイヴィスの手を両手で握って叫んでいた。


「あ――ああ、もちろんだ。レイヴィス・エルスディーンの名と紋章にかけて、君を助けると誓う!」

「研究対象にでも実験台にでもしてくださって結構ですから――」

「だから、そんなことはしない!」

「だって私、してもらうばかりで何も返せない―私には何もない……」

「そんなことはない。君は、俺にとって、何より――」

「うええぇん……!」

「わ、わかった。わかったから泣かないでくれ」


 あまりの怖さに混乱してしばらく泣きじゃくっていたが、レイヴィスはリリアーナが泣き止むまで待ってくれた。





 しばらく泣いて、ようやく少し落ち着いてくる。


「リリアーナ。俺は、君を責任をもって教導していく。ただし、一つだけ約束してくれ」

「はい。なんでも言ってください」

「自分なんてとか、自分には何もないとか、自分を卑下するのは禁止だ」


 真剣な声で、真剣な眼差しで言われ、リリアーナは言葉を失う。


「君のそういう言葉を聞きたくない」

「そ……そうですね。私は、レイヴィス様の妻なんですから、堂々としていないと……」


 形だけでもエルスディーン家の妻なのだ。

 卑下する姿を見せるのは、家の威厳にも関わる。


「……他人の目は関係ない」


 穏やかながらも強い決意を込めた、低く落ち着いた声。

 表情は真剣そのもので、そして瞳にはあたたかさと、わずかな寂しさが浮かんでいた。

 その目が、まっすぐにリリアーナを見ている。


「俺は、俺の大切な存在を、君にも大切にして欲しいと思う」

「は……はい……」


 思わず、頷く。

 レイヴィスの本心はわからないが――レイヴィスがそう望むなら、自分に価値がないとは思わないようにする。――せめて、口にはしないように。


(……大切な存在?)


 レイヴィスの言葉が、リリアーナの中で響く。

 ――あまり、深くは考えないようにした。そうでないと、ずっとそのことばかりが気になりそうで、他のことが何も手につかなくなりそうだったから。


「え、ええと……私も一つだけお願いしたいことが」

「なんだ?」

「申し訳ないのですが、皆には魔力教導のことは内緒でお願いできますか……?」


 リリアーナはエリナに――物語の主人公にだけは知られたくなかった。

 レイヴィスとリリアーナの魔力教導なんて親密そうなシーンは小説にはなかった。たぶん。

 物語の流れから大きく外れないためにも、エリナとレイヴィスの恋を邪魔したくない。


 あまりにも流れが変われば、未来が大きく変わってしまいそうで。

 リリアーナはあくまで「白い結婚」のまま円満に離婚して、慰謝料を貰って、修道院に行きたいだけだ。

 二人の幸せの邪魔や、聖女の邪魔はしたくない。


(そういえば、二人の仲は進展しているのかしら)


 この一週間こもっていたから情勢に疎い。

 いや、こもっていなかったとしても、進展には気づかないだろう。

 恋人とは他の誰もが知らないところで燃え上がるものだ。


(二人は運命なのだから心配することはないわよね)


 だから本人には聞かない。野暮というものだ。聞かされた時に大げさに驚いて祝福する。これだ。そして、こちらから円満離婚を提案する。これだ。


「……わかった。では場所はどうするかな。居間や図書室は人の出入りがある。どちらかの部屋も使用人がいるしな……」


 レイヴィスは少しの間考え、そしてぱっと顔を輝かせた。


「そうだ。皆に内緒でできる場所が、ひとつだけある」

「どちらですか?」

「寝室だ」

「…………」

「夜の寝室なら誰も入ってこない」

「それは――……」


 それはもちろんそうだろう。

 当主の夜の寝室に、誰かが無断で入ってくることは考えられない。


(い、いいのかしら……?)


 そんなプライベートな空間に入るなんて。なんだか本末転倒な気がする。


「もちろん手以外に触れない」

「それは信じていますが……その、誤解されないでしょうか?」

「むしろ安心される。いつまでも行為がないと知られると、変なおせっかいをされそうだ」

「そ、そうですね……」


 自分たちは夫婦で、跡継ぎを作る義務がある。

 むしろ、一緒に寝ていない方がおかしい。その件で既に使用人たちにも噂されてしまっている。

 それにレイヴィスはリリアーナに触れないと言っている。何かが起こるはずもないので、『白い結婚』は保たれる――


 エリナも『義務感だけの愛のない行為』と思ってくれるだろう。


「――よろしく、お願いします」








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