第17話 sideレイヴィス【制約の鎖】





 ――妻の様子がおかしい。


 王妃主催のお茶会に呼ばれたリリアーナのドレス姿を見たとき、レイヴィスは息を呑んだ。最初に会った時から可憐な容姿だとは思っていたが、その時は本当に妖精のようで一瞬見惚れてしまった。


 しかしその後よく確認してみると、彼女の魔力が身体から溢れだしてしまっていることに気が付いた。


 その魔力はまるでとろりとした蜜のようで。

 甘い香りを発して男を誘うものだった。


 ――おそらく。

 いままでは体内で安定してとどまっていたものが、まるで花が開いたかのように、表に出てきてしまったのだろう。芳醇な魔力を漂わせているリリアーナを見た瞬間、レイヴィスが抱いたのは欲望と危機感だった。


 この状態は危険すぎる。

 魔力の高い男がいまの彼女を見れば、我を忘れて引き寄せられるだろう。抗いがたい誘惑に理性を削ぎ落されるだろう。


 おそらく、きっかけはレイヴィスが行なった魔力教導だ。


 通常は、魔力を目覚めさせる目的で、幼いうちに熟練者から指導を受けるものだ。成長してから行うのはあまり例がない。


 リリアーナのやる気に刺激され、ほんの少しの興味と研究心で行なったことで、いままで安定していたものがバランスを崩し、外にまで漏れ出してしまったのだろう。


 もしかすると、鍵は刺繍かもしれない。集中して行なう手仕事には無意識のうちに魔力が注がれることがある。時にそれは素晴らしい芸術品や、奇跡を起こす魔導具や、おぞましい呪具にもなるが――それはまた別の話だ。


 ――ともかく。

 魔力教導によってリリアーナの秘められていた花が咲き、男にとって堪らない芳香を漂わせているのは事実なのだ。


 危険すぎる。

 高魔力の男にとっては特に――いや、そうでなくとも、あの可憐な容姿に、少し儚げな雰囲気、いまにも折れてしまいそうなのに、芯の強さを感じさせる健気さ……どれも男の庇護欲を刺激するもので、魔力など関係無い。


 彼女は美しく、か弱く、それなのに体内に高い魔力を持ち、そして無防備だ。


 ――だが、しばらく注意深く観察しているうちに、少しずつ落ち着いていくのを確認した。だからこれ以上は魔力を刺激しない方がいいだろう。


 魔力教導を重ねれば、自分自身の魔力をコントロールする方法も身に着けていくだろうが。

 そこに辿り着くまでに、彼女の身の安全が保障できない。


 そして本人にこのことを伝えるのもやめておいた方がいいだろう。


 リリアーナはただでさえ男に恐怖心を抱いているのに、自分が男の浅ましい欲望の対象になっていると教えられれば、もっと怖がるだろう。


 怖がらせたくない。

 彼女の平穏を守りたい。


 ただでさえ自分と結婚したばかりで慣れない環境なうえ、実家の弟妹からもひどい仕打ちを受けている彼女に、これ以上の負担を感じさせたくない。


 ――ただ。

 一番の問題は自分だ。


 守るとか、怖がらせたくないとか言っていて。

 一番危険なのは自分だ。


 本当はリリアーナに触れたい。

 あの美しい髪に口づけしたい。

 あの柔らかな身体を抱きしめたい。白い肌に触れ、自分のものだと印をつけたい。

 可憐な花を手折り、溢れ出る蜜を貪りたい。自分の子を産ませたい。


「……おぞましい……」


 自己嫌悪に満ちた低い呟きが耳に響く。

 目を開けると、見慣れた部屋の姿がぼんやり見えた。


 レイヴィスは王城内の研究室の、仮眠用の長椅子で眠っていた。今日は特に仕事に打ち込んだ上、王の戦闘訓練にも付き合わせてもらったのでよく眠ることができた。


 身体を起こし、椅子に座る。

 室内には他に誰もいない。

 暗い部屋の中で、小型模型の上のピラーだけが輝いている。


 一人きりの研究室でため息を零す。

 最近はここに籠りきりだった。リリアーナとできるだけ距離を取っておきたかった。


 でないと自分が何をするかわからない。

 彼女の姿を、彼女の香りを、思い出すだけで胸の奥が疼いて、衝動が身体を支配しそうになる。できるだけ本人を前にしたくなかった。


(心の準備ができるまで待つとか言っておいて……)


 自ら宣言を破りかねない、この獣欲がおぞましい。


 この獣欲をリリアーナに知られれば、きっと彼女は怯えるだろう。


 だが、おそらく断らない。裏切りにショックを受け、怯え傷つきながらも逃げないだろう。婚姻での力関係が、実家との関係が、彼女から逃げるという選択肢を奪っている。静かに耐えて、声を殺し、涙を見せずに泣きながら、心の奥底でレイヴィスを拒絶するだろう。


 ――それだけは、耐えられない。


 過ちを犯さないために、己の醜さを知られないために、レイヴィスはリリアーナを避けた。

 だがそのたびにリリアーナが見せる悲しそうな顔に、レイヴィスの中で罪悪感が膨れ上がっていく。


 守るべき相手を結果的に悲しませている。


 ――夫婦生活に必要なのは会話だという、王の言葉を思い出す。


 レイヴィスは深くため息をついた。


 そして、リリアーナとちゃんと向き合う決意を固める。

 ――だが、だが自分の醜さは知られてはならない。リリアーナは守るべき相手で、汚い欲をぶつけていい相手ではない。


 でなければ彼女は、本来守ってくれるはずの相手からも裏切られて、傷つけられて、本当に孤独になる。


 ――人間には理性がある。自制心がある。

 獣に支配されて、一番大切にするべき相手を傷つけるなんて許されない。


 ――許されないが、本当に抑えきれるだろうか。彼女の魔力は非常に強力で、抑制しきれる自信がない。


「……制約を付けるか……」


 レイヴィスは魔術によって己に制約を付ける決意をした。

 こんなものに頼ること自体が恥だが、背に腹は代えられない。


 ――彼女の手と、彼女から許された場所。

 そして緊急時以外は自分からは触れられないように――


 両方の手に、魔術による鎖を固く施した。




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