幸せになれない話
緑町坂白
第1話
私の世界は幸せだった。
母がいて父がいて、姉がいて。幸せだった。何物にも代えがたい程に幸福であった。
けれどそれはあっさりと崩れ去って、私の全てを奪っていく。
父は経営者だった。良くは知らないが、そこそこ有名だったらしい。休日になれば遊びに連れて行ってくれる、慈愛に満ちた人だった。母は専業主婦でいつも私たち姉妹を優しく包んでくれた。”あなた達は私たちの宝物だよ”と耳にタコができるほど言い聞かせてくれた。優しい母だった。
その両親が変わったのは、父の会社の経営が傾いてから。母の手作りの夕飯からコンビニの菓子パンに変わった。母はまるで興味が無いかのように生活していた。父は酒に溺れ一日中飲んだくれ、時に暴れ、私たちを罵倒するようになった。私はそれが怖かった。変わっていく父が、それを諦観している母が。私の拠り所は姉しかいなかった。姉は私を守ってくれる。どんなものからも、どんなことからも。全てから守ってくれる、私の私だけの騎士だった。姉は、マシロは私の全てだった。世界の全てだった。明るくて友達も多い私の自慢だった。「どうしたのミツキ?そんなに泣いて。また父さんに怒鳴られた?それとも母さんのご飯が恋しいの?」「どっちもよ……どうしてマシロはそんなに明るく居られるの?」なんだそんなことかと笑いながらマシロが言う「別に期待してないからね!父さんも母さんもどうしようもなく人間だからさ。だから仕方ないかなって」”この家に居られるだけいいんじゃない?” そうあっけらかんとして笑う。言われてみればそうかもしれない。追い出されるよりもマシかもしれない。雨風が凌げてご飯が食べられる。それなら居心地が悪くてもいいか。姉が、マシロがいるならそれでいい。私の半身。私の光。願わくばどうかマシロとずっと一緒にいられますように……。
アタシはミツキが嫌いだった。いつもアタシの後ろをついて回ってばかりで、ヘラヘラしていて、泣き虫で……。妙に癇に障るやつだった。でもこの家の中じゃ唯一手を出してこない奴でもあった。要は利害の一致。だからアタシはこいつの面倒を見てやっている。父親は酒に飲まれてるし、母親はアタシらに興味無いし。だから、そうだから仕方なくミツキのそばに居るだけ。だから「マシロぉ〜!お父さんに酒買って来いって言われたけど、何がいいかな?!ウイスキー?ハイボール?それとも生ビールかなぁ」「種類なんていつも飲んでるのでいいじゃん。あの、レモンのチューハイ。あれでいいでしょ」だからアタシは悪くない。ミツキが酒を買いに行って10分後、父は機嫌が悪くなった。”遅い”だの”どこまで買いに行ってんだあのノロマ”だの。しまいにテーブルをひっくり返すものだから、「あともう少しで帰ってくるよだから」もう少し待っていて、そう続くはずだった言葉は遮られた。理解ができない。何があった?右の頬がジンジンと熱を持つ。叩かれたのか。そう理解したのは数秒経ってからだった。「うるせぇなぁ!さっさと買って来いって言ってんだろ!」ミツキはまだだろうか。出かけてからまだ13分。あのコンビニまで片道8分かかる。少なくともあと5分は帰ってこない。あの子のことだ、何を買えば喜ぶかを考えることだろう。いや5分じゃきかないかもしれない。それまでアタシがこの怪物を食い止めなければならない。母は早々に男を作って出ていってしまった。 強かな女だと思う。あの人はアタシたち姉妹のことなんて愛していなかったのだろう。父は……、父はアタシたちを愛しているんだろうか。眼前に迫る拳を見ながらそんなつまらないことを考えていた。
あの子が帰ってきたのは家を出てから20分後のことだった。部屋はぐちゃぐちゃ、テーブルも椅子もひっくり返っていて、床にはチラシや書類が散らばっている。父は酒が回ったのかいびきをかいて寝ている。「マシロ!どうしたの?!大丈夫、じゃないよね。とりあえず止血しないと……」大丈夫。鼻血だけだし。そういってミツキの手を振り払う。「駄目だよ!ほっぺも赤くなってるし、腕だって」軽く冷やしたら平気だから、と顔も見ずにキッチンへ向かう。小さな保冷剤をタオルに包んで頬に当て「それで?お酒は買えたの?」「あ、うん!買ってきたよ!」”これがいつもので〜、こっちは美味しそうだなぁって思って買ってきたの!それから〜……。”あぁこれだ。こっちのことを何も考えていない。こういう所が嫌いなんだ。自分の気が済むまで買い物して、その間のことはこっちに任せっきり。ずるい。あんたも殴られてみればいいのに。なんて、姉らしくはないか。
幸せになれない話 緑町坂白 @ynanknyn0718
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