第1章:好奇心の扉
第1章①:ハロルドの才能と好奇心
活気ある街並みから少し外れた路地裏に、小さな工房があった。
表通りの喧騒とは対照的に、この路地は静かで落ち着いた空気が流れている。
工房の年季の入った木製の扉の上で、真鍮の風鈴が夕風に揺れていた。
工房の中は、様々な機械の部品や工具が整然と並べられ、独特の雰囲気を醸し出していた。
最新のマイクロプロセッサや光学センサー、精密な電子部品が並ぶ作業台。
壁には複雑な回路図が何枚も貼られ、部屋の隅には修理を待つロボットやドローンなどが静かに佇んでいる。
はんだ付けの香りと新品の基板の匂いが漂う空間で、古いラジオから流れる静かな音楽だけが、時間の流れを知らせていた。
作業台の前で、ハロルドは黙々と作業を続けていた。
彼の手元には、警備会社から依頼された監視ドローンのAIモジュールが分解された状態で広げられている。
「ふむ…」
ハロルドは眉を寄せ、AIチップの一部を注意深く観察する。
作業着の胸ポケットから精密ドライバーを取り出し、微細な調整を加えていった。
その手つきは、17歳とは思えないほど熟練している。
幼い頃からコンピュータや電子工作を続けてきた彼の指先は、まるで機械と対話するかのように繊細に動く。
「やはりここが問題なのか…」
ハロルドは分解したモジュールの中で、過負荷で傷んだ演算素子を見つけ出す。
それは一般の工房では入手困難な特殊なAIプロセッサだったが、ハロルドは作業台の引き出しから、自作の改良チップを取り出した。
「このチップなら、演算速度は30%上がるはず。消費電力も抑えられる」
独り言を呟きながら、ハロルドは慎重にチップを取り付けていく。
夕陽が工房の窓から差し込み、作業台の上でホログラムディスプレイが赤く輝いた。
完成に近づくにつれ、彼の目は熱に浮かされたように輝きを増していく。
「カチッ」
最後のコネクタがはまり込む音と共に、ハロルドの表情が明るくなる。
診断プログラムを起動すると、改良したAIモジュールが安定した動作を始めた。
システムログには想定を上回る性能向上が記録される。
「よし、これで完璧だ」
満足げに頷くハロルドだったが、動作を確認する目は依然として真剣そのものだった。
彼の技術力は街でも評判になっており、複雑な修理依頼やカスタム開発の依頼が絶えることはなかった。
老舗の工房で働かせてもらえることは、ハロルドにとって何よりの幸福だった。
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この世界は30年前、大災害によって一変した。
ABYSSと呼ばれる絶望の怪物が王都を焼き尽くし、王家と貴族のほぼ全てを含む、数百万の命が滅び去った。
それまで社会を支配していた特権階級が一斉に姿を消し、辛うじて生き残った人々は、混乱の中で新たな秩序を模索した。
その結果として生まれたのが、市民が選んだ代表たちが話し合って政治を決める合議制だ。
合議制のもとで急速に街の復興が進む中、科学技術もまた飛躍的な発展を遂げた。
AIやロボットは一般化し、人々は街の至る所でその恩恵を受けていた。
しかしその一方で、急速な進化は裏社会をも育てた。
大災害後の社会の混乱で、見捨てられた難民や孤児たちが大量に流入し、裏社会は膨れ上がっていった。
その日を生き延びるためにあちこちで起きていた小さな犯罪は、やがて武器や麻薬の取引、店舗や銀行の襲撃などといった凶悪な組織的犯罪へと変わっていった。
裏社会は警察や治安維持組織すらもがうかつに手を出せない、危険な無法地帯となった。
裏社会に住む人間は、自衛のために武装することを余儀なくされた。
ハロルドが営む工房は、平和な表社会と危険な裏社会が共存する、混沌とした社会の片隅にあった。
彼の夢は、技術者として名を上げ、科学の力で世界をより良くすること。
そのために彼はこの小さな工房で、日々技術を磨き続けている。
---
工房の外では、日が傾き始めていた。
街灯に火が灯り始める頃、風鈴が微かな音を立てる。
工房のドアが静かに開かれ、黒いフードを被った男が無言で入ってきた。
男はゆっくりとテーブルに近づき、防弾ケースを置いた。
ロックを解除すると、そこには見たことのない造りの銃器が姿を現す。
ナノマシン制御回路と量子暗号装置を組み込んだような複雑な機構に、ハロルドの目が釘付けになった。
「これは…?」
ハロルドは思わず息を呑む。
銃器を手に取り、細部を観察していく。
通常の銃には見られない特殊な機構、最先端の電子制御システム。
その技術的な洗練さに、ハロルドの職人魂が刺激された。
「かなり特殊なモデルですね。改造のご依頼ですか?」
男は静かに頷き、詳細な改造内容が記されたタブレットを差し出した。
それは通常の改造とは次元の異なる、高度な技術を要する内容だった。
ハロルドはデータの内容を確認しながら、徐々に興奮を覚える。
これまで見たことのない制御方式、試したことのない量子回路の応用。
その全てが、彼の好奇心を強く刺激した。
「…面白そうだ。やってみましょう」
ハロルドの返事に、男は小さく頷く。
そして机の上に小さな箱を置き、来た時と同じように静かに工房を後にした。
箱の中には、改造に必要な特殊パーツと、報酬らしきクレジットが入っていた。
「親方、少し残業させてもらってもいいですか?」
工房の奥から現れた親方に声をかけると、温厚な笑顔で「かまわないぞ、好きなだけやっていきな」と許可をくれた。
ハロルドは早速作業の準備に取り掛かる。
作業台を片付け、必要な工具を並べ、ホログラムで設計図を展開する。
夜が更けていくのも忘れ、彼は未知の技術に没頭していった。
工房の明かりは、その夜遅くまで消えることはなかった。
街の喧騒が静まり、月が高く昇る頃、黙々と作業を続けるハロルドの姿があった。
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