悪役令嬢アトリーチェ・シルバーハートは前世の記憶を思い出せそうで思い出せない

街野一角

第1話

 ガシャン!


 白磁のティーカップが盛大な音を立てて砕け散った。周囲の侍女たちが息を呑む微かな音が聞こえる。

「だぁれ!?こんなにあっついお茶を出したのは!!」

 次の瞬間部屋に響いたのは、頭が痛くなるような金切り声。声の主は、黒々とした美しい髪に紅玉のような大きな緋色の瞳を持った、それはそれは美しい少女だった。

「しかしアトリーチェお嬢様…先日紅茶は熱いままでと申したのは…」

「うるさい!アンタたちのせいで、あたしヤケドするところだったのよ!?セキニン、とりなさいよね!」

 年配の侍女へ躊躇う様子もなく、次から次へと怒りをぶつける。一人の侍女が謝っている隙に、他の侍女たちは慣れた手つきでカップの破片と飛び散った汚れの始末をし、つんと澄ました顔の少女へと新たに用意した紅茶を手渡した。こんな流れは、この邸宅では日常茶飯事であった。

「ふん、あたしに逆らったらどうなるかわかってるわよね?アンタたちがこれ以上ブレイを働いたら、ぜーんぶお父さまに言っちゃうんだからね」

「承知いたしました。お嬢様。」

 少女は得意気な様子で、温かい紅茶を啜った。


 ――――


『シルバーハート家が長女、アトリーチェ・シルバーハート!汝に、首斬りの刑を命じる!』


 はっ?

 

 気がついた時、あたしは暗い部屋にいた。目の前にあったのは明るく光る綺麗な絵。下半分は見たことない文字みたいなのが書いてあって…。なぜだか読めそうな気がする。…アトリーチェ・シルバーハートって、あたしの名前よね?あたしは絵をよく見てみた。黒髪で、赤い瞳のキレイな人…酷く世界を恨んだような表情をした人が両手を縛られて、どこかへ連れて行かれそうになっている。―――これって、未来のあたし!?

 だめよ、待って。そう言おうとしたのに。


「あはは、やっと処刑まで来れた、長かった〜」


 わたしの口はわたしの意思とは勝手に動き、なにか意味フメイなことを呟く。そして絵は移り変わる。


『アトリーチェ、お前は自分の罪を自覚しているか?』


 そんな声とともに金髪に青い目をした青年が映る。イケメン…じゃないわ!これはあたしの知っている人!オスカー王子よ!


 絵の中の大人のあたしは、返事もせず色っぽく笑うだけ。


『そうか…もう弁護の余地も無いな』


 また絵は切り替わり、あたしは、何かの台に頭が固定されている。あたしは頭が真っ白になった。ねぇ、これって、これって、なんで、どうして!


『只今より、死刑を執行する!』


「やったー!これでようやくクリアだー!」


 シケイ。その言葉の意味はあたしでも知っている。なのに!なのに!ねぇ、どうして、


あたしは、笑っているのよ――――――


 ――――――


「………!」

 天蓋付きの大きなベッドの上で、少女は突然起き上がった。美しい黒髪はめちゃくちゃに乱れ、血色のいい肌は冷や汗が流れ真っ青になっている。

(夢……いま…、とても怖い夢を見てたのね)

 思い出そうとするほど、夢はどんどん輪郭を失ってゆく。あたしは、あたし自身がショケイされる様子を見てた…はず。……あたしってショケイされるの!?なんで!?……いや。ただの夢よ。なにもホントの未来じゃない。あたしにはいつもお父さまがいて…守ってくれるのよ…。

 そうして、少女はまたふかふかのブランケットを被り直した。

(………。)

 しかし。

(…………!)

 少女は再び起き上がった。


 *


「い、一体どうしたのですか!こんな夜中に、貴女が!」

 ここは侍女たちの居住間。侍女長のジェーンは、突然の予期せぬ来訪に肝を冷やしていた。

「ジェーン……ごめんなさぁい…あ、あたし…ひっく、」

「まぁ、とにかく落ち着いてくださいな。…貴女に何があったのですか?」

「…夢を…見たの…」

「夢?」

「そう!あたし…ころされるのよ!あたしが!みんなをいじめたから!」

「お、お嬢様…」

 まさか日々世話してきたワガママお嬢様からそんな台詞が飛び出るとは。しかし流石は百戦錬磨の侍女長。ここで狼狽えてお嬢様を更生する機会をみすみす逃すようなことはしなかった。

「確かに、最近の貴女様のワガママは度が過ぎましたね…これではいつか処刑されてもおかしくないですね」

 そう言うと、少女の顔はわかりやすく青くなっていった。ふふ。やっぱり子供だわ。このことはシルバーハート卿に伝わったらお叱りものだけれどね……

 アトリーチェのワガママは、度々侍女を困らせてはいたものの、まだ子供だからと見逃されてきていた。しかし、彼女ももうすぐ12歳。侍女長のジェーンは、13歳でスクールに入学する前までに癇癪持ちの彼女をどうにかして改善させたいと思っていたのだった。

「じゃ、じゃあ、あたし、どうすればいいの?あたし、このままじゃしんじゃうの!?!?」

「いいえ。まだ間に合います。あなたがしっかりと生きてゆける方法を、私めが教えて差し上げますからね…」


 *


「ごめんなさい!」

 そんな台詞を聞いて、二人の少年は耳を疑った。一人は金髪に青い瞳の自信ありげな、もう一人は白髪に金色の瞳をした温厚そうな表情。どちらも目を惹く美しい顔立ちをしていた。ここはシルバーハート家が管理する美しい庭。少年たちはよくここに招待され、度々ティーパーティーを楽しんでいた。

「ああっと…何があったの?いきなり」

 温厚な少年がそう尋ねる。

「ベルカント様…あたし、あなたに今までたくさんのブレイを働いてきましたわ…だから、謝っていますの。許してくださる?」

「…………」

 状況を理解できず、少年たちは目を見合わせる。

「オレは?」

「おおおオスカー様!も同様でございます、どうかショケイだけは勘弁してくださいまし!!」

「ショケイ?」

「ああ…えっと…そのぉ………」

 結局、アトリーチェは事の発端を話すことになった。


「…ふっ、はははっ、あっははは!」

 オスカーと呼ばれた自信ありげな少年は、我慢できずに笑い出した。

「笑わないでくださる!?」

「いや、だって、夢!怖い夢って!アトリはお子様だな…ふっ」

「ふふふ…まさか、アトリがそう言うなんてね…」

「何がおかしいのよ」

 温厚な少年、ベルカントの代わりに、オスカーが率直に答える。

「だって、いっつも自分が大好きで気に入らない人は全員追放!即解雇!って感じだっただろう?そんなアトリがまさか謝るなんて…しかも理由が夢!…オレが処刑したんだろ?どんな夢だったんだ?」

「………詳しくは覚えてませんわ。…オスカーにショケイされた以外は」

「なんだよそれ」

「ふふ…変なの!」

「ベルまで…」

「…とにかく!あたしは死にたくありませんの!でもジェーンいわくあたしは癇癪持ちだから…ふとしたときに誰かに怒ってしまうかもしれない。だから貴女たちに協力してほしいの!あたしがショケイされないように」

「へぇ、君が癇癪を起こさないようにか…いいよ。ぼくたち、協力するね」

「ああ。アトリは黙っていたほうがキレイだからな!」

「はぁああ!?!?!?なんですってぇえええ!?!?!?!?!?!?」







 あたしは、絶対に死にたくない。だから、もう絶対怒らないの!

――どうしてこんなに追い込まれているのか、あたしでもわからないけれど。

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