第2話 プロローグ ②
夜、衛星の一つもない満天の星空が鮮やかに広がる中、王宮は静寂に包まれていた。廊下の先を巡回している機械が通り過ぎる音だけが、静寂をかき乱す。そんな中、廊下の壁の影にハイドロリーヌは身を隠していた。
腰には全長45センチの二面刃の剣を差し、薄い布で何かを包み込むように抱えながら、彼女は慎重に足を進めていた。その瞳には固い決意が宿っている。
彼女の目的は、王宮内にある王族専用の港へ向かうことだった。
進む途中、不意に廊下の角で人影とぶつかる。
驚きのあまり目を大きく見開き、叫び声を上げようとしたハイドロリーヌだったが、その口を素早く覆われて声を封じられた。
「お前は……王妃、ハイドロリーヌ様ではないか?」
「ニュートロンハイム様……」
「シーッ、大声を出すな!」
低い声で囁く相手の顔を見て、ハイドロリーヌは落ち着きを取り戻した。
その男は短く刈り上げられたベリーショートの髪に、鼻から口元へと赤い髭をたくわえ、鋭く尖った耳を持つ人物だった。彼こそ、現皇帝ヒイロフェンニシス・カプテリオン16千世の弟であり、40光年離れた星を統治する王侯ニュートロンハイムである。
「こんな夜更けにどこへ行く?その包みは何だ?」
ニュートロンハイムが包みの一部を開けると、そこには熟睡する王子ネプリュティオの幼い顔があった。
「王子をどこに連れて行くつもりだ?」
「私は……この子を流放させたいのです」
その言葉に、ニュートロンハイムは目を細めた。
「選別祭を勝ち抜けない子女は王権の継承を認められない。赤子の王子を流放するなど、重罪だぞ!」
「お願いです……」
ハイドロリーヌは息子を抱きしめ、涙ながらにニュートロンハイムに懇願した。
「私が産んだ子供たちは、何人も選別祭で命を落としてきました。もう耐えられません。この子も生き残る希望がないのです……3999人目の子供まで失った私に、これ以上の苦しみを強いないでください!」
泣き崩れるハイドロリーヌを見て、ニュートロンハイムは深い溜息をつきながら言葉を続けた。
「……王子の未来を占ったのか?もし流放が露見すれば、お前には死よりも辛い刑罰が待ち受けているぞ」
「構いません。この子さえ生き延びられるのなら……」
その真剣な瞳にニュートロンハイムは理性を揺さぶられた。ハイドロリーヌの美貌は、魅了術が一切効かない男でさえ惑わせるほどだった。彼は心の中である算段を立てる。もし彼女を救えば、自分の妃として迎えられるのではないか、と。
「わかった。俺に任せろ……ついて来い!」
ニュートロンハイムの保護のもと、ハイドロリーヌは無事に港へと辿り着く。
港の管制部に潜入したニュートロンハイムは護身用の銃を手に取り、強電流を放って管制機械を操作不能にした。そして、使える船を呼び寄せる準備を整える。
「王子を送る場所は決めているのか?」
「帝国の手が届かない、遥か遠い場所へ……」
その言葉にニュートロンハイムは一瞬驚いた。
「それでは、王子と二度と会えなくなるぞ」
「それで構いません」
ハイドロリーヌの真っ直ぐな眼差しを見て、ニュートロンハイムは覚悟を決めた。そして制御パネルを操作し、帝国の領域外に設定を調整する。だが、選べる船は一隻しかなかった。それは緊急脱出用の小型船で、乗員一名が限界の救命ボートのような船だった。
港の平台には大きな穴のような口が開き、格納庫から小型船がゆっくりと登ってきた。船は鋭い楕円形で、まるでアーモンドのような形状をしている。長径4メートル、最も長い短径は2メートルほどで、その小さな姿はまるで救命ボートのようだ。船体を覆う謎めいた滑らかな材質は、鏡のように周囲の光景を映し出している。
「時間がない。もうお別れの時が来た」
「はい……」
ニュートロンハイムはハイドロリーヌを護送しながら船のそばまで進む。港の平台に踏み出した瞬間、鳥型の監視ユニットが2人を捉えた。鋭い警報音が響き渡る。
王宮の兵士たちが現場へと急行してきた。
兵士たちは銃を構え、声を荒げる。
「王妃ハイドロリーヌ様、あなたはすでに罪を犯しています。今すぐ王子を置き去りにして立ち去りなさい!」
ニュートロンハイムは補給装置や停泊している船艦の陰に身を隠しつつ、応戦する。銃撃戦が始まり、彼は見事な腕前で兵士たちを次々に撃ち倒していく。
「ハイドロリーヌ様! 俺が兵士を食い止める間に、王子を船に乗せてください!」
「わかりました……」
ハイドロリーヌはネプリュティオをしっかり抱きしめ、全力で船へと駆け出した。
激しい銃撃戦の末、ニュートロンハイムは兵士たちの攻撃に倒れた。
銃声に目を覚ましたネプリュティオが、かすかな声で泣き出す。ハイドロリーヌはその泣き声に心を痛めながら、ついに船のそばへとたどり着く。彼女は外部の鍵スイッチを押し、船の背面にあるキャノピーを開けた。
中は赤子一人が十分に収まる広さだった。彼女は泣き続けるネプリュティオを慎重に船内に寝かせると、その小さな頭を撫でながら優しく語りかけた。
「泣かないで、我が子ネプリュティオよ。たとえ母子が離れ離れになったとしても、君が星々の海の果てで健やかに生きてくれるなら、それだけで母は幸せになれるのよ……」
彼女は右腰から家宝である剣を抜き取り、それをネプリュティオのそばに置いた。これは王族の証として生まれた子供に与えられるもので、一生を通じて持つべき品だ。
「この剣は、君に一生の勇気を与えてくれるでしょう」
続いて、銃撃を受けながらも、ハイドロリーヌは頭飾りを外し、それをネプリュティオが包まれている布の中にそっと忍ばせた。
「この王女の証を、私の形見として持っていなさい……」
麻酔銃の痛みに耐えきれなくなった彼女は力尽き、上半身が船体に寄りかかる。最後の力を振り絞り、かすれた声で囁いた。
「……達者に……気楽に生きておくれ……」
彼女は鍵を押し、キャノピーを閉じると、船は自動制御でゆっくりと宙に浮き上がる。微速で進みながら、港を離れ、空へと飛び立っていく。
「星々の海を司る神よ、どうかこの子に祝福を与えたまえ……」
平台に横たわるハイドロリーヌは、穏やかな笑顔を浮かべたまま、飛び去る船を見届けた。
船は港の発進ルートを抜け、先にある巨大な環に接近する。その環は凄まじいエネルギーを一点に集中させ、渦のように回転しながら次元の穴を開いた。船は光の矢のような速さでその穴へと飛び込み、一瞬にして光速を超えて消えた。
* * *
時空を超えた船は、銀河系を抜け、青い地球の姿を捉える。次元の穴が開き、船は光の渦から飛び出すと、地球の生命反応を探知して一直線に向かった。
その頃、地球では――
平安時代。平安京の貴族たちは夜空を眺めていた。突然、燃え上がる青い星が放物線を描きながら空を切り裂き、赤と青の炎に包まれた火球となって西の地平線へと消えた。
遠く出雲の国では、昼頃、波静かな海で漁をしていた漁師たちがその異変を目撃する。
「おい! あそこに何か光っているぞ!」
青年漁師が指差す方向に、小舟を漕ぐ白髪の翁が視線を向けた。光る物体へと近づいてみると、牛車より倍に大きいそれは鏡のように周囲を映し出す、不思議な物体だった。
「なんじゃ、これは……?」
「海に流される宝箱か?」
翁は驚きの声を上げ、船体に触れてみる。すると上部が静かに開き、その中には一人の赤子が眠っていた。
「こりゃ、財宝じゃなく赤子じゃな」
目を覚ましたネプリュティオは翁を見上げ、小さな手でその白髪の髭を引っ張った。
「白い肌に青い髪……。化け物の子か?」
「いや、宝剣に華奢飾りを持って、こりゃ神の子に違いあるまい」
翁は赤子を優しく抱き上げると、赤子がくしゃみをした。その瞬間、強風が吹き荒れ、漁船は大きく揺れた。
「くしゃみ一つで風を起こすとは……間違いなく神の子じゃ。この子を大切に育てねば、神罰を受けるやもしれん」
漁師たちはネプリュティオを引き取り、船は再び海の中へと沈んでいった。
こうしてネプリュティオは漁村で育てられることとなった――。
時は流れ……
長い年月が過ぎ、時代は大きく移り変わる。暦は新暦100年を迎え、物語は新たな展開を迎える――。
アステリアンの子 響太 C.L. @chiayaka1207
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。アステリアンの子の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます