第2話 カスの嘘

「ううっ、ひどい目に遭ったでありますぅ……」


 爆発で弾き飛ばされた女は、血と煤と何だかよくわからない液体などに塗れた自身の軍服を見やりながら、己の背に背負ったベルへ声をかけた。


「でも助けていただいて感謝するであります。まさか動けなくなるほど魔力を消耗されるとは……」

「アレめっちゃ魔力使うんだよオ。おかげで、ゴフッ!」


 ベルはおもむろに血を吐きながら、くったりとした。

 この世界において、魔力とはただ魔法を使用するための動力源というだけではない。魔力とは、自身の身体を守る機能でもある。周囲に高濃度に満たされた魔力の圧力――魔力圧から身体を守るために、体内魔力が一定量必要なのである。

 つまり、体内魔力をある上限まで使い切ると内臓に負荷がかかり、ベルのように血を吐く羽目になる。


「おぉ……大丈夫でありますか……。お礼に小生何でもお手伝いいたしますゆえ、お申し付けくださいであります」

「あぁ、ワリィな……じゃあとりあえずベルちゃんが行きつけだったバーまで頼む。真っ赤な外観の……。てか、そういや君の名前なんてーの?」

「小生、タイニーキャットと申すであります! 貴殿はベルちゃん殿でよろしいかな?」


 普通にベルでいいのだが、とはいえ訂正するほどのことでもない。ベルは頷いておくことにした。


「うん、それでいいよ。しっかし、この辺も結構変わったなァ」

「ベルちゃん殿はここに住まれている訳ではないのでありますか?」

「前は住んでたんだけど、まっ色々あってさァ。今日はちょっとお出かけに来たの。君は? ここ長いの?」

「生まれてからずっとここに住んでるであります。とはいえ大戦後生まれのベイビーでありますが」


 大戦。それは100年ほど前のかつて、天国側の陣営と地獄側の陣営が戦った大規模な戦争のことを指す。


「へェ、ホントにベイビーじゃねえか。カワイイなァ、うりうり」


 ベルは背に乗っているのをいいことに、キャットの頭をぐしゃぐしゃと撫で繰り回す。


「でゅあっ! やっやめるであります! 自分で言っておいてアレでありますが、見た目ならベルちゃん殿の方がベイビーであります!」

「オイオイ、ベルちゃんがすこぶる可愛いのは分かるけど、先人は敬わなきゃダメだぜ?」

「えぇっ、ではベルちゃん殿は先の大戦に参加されていたのでありますか?」

「まァな。っってもベルちゃん低級悪魔だしー、大した話はできねえぜ」

「ふうむ、というよりそもそも、小生、地獄自体がよく分かっていないのであります。地獄とは何なのでありますか?」

「んーそうねェ、地獄ってのは天国側に負けて世界の一部から分離したとこなワケ。その昔神様の子ども二人がバトっちまってなァ、デカい戦争になったのよ。んでェ――」


 そのとき、ベルの説明を遮るように、雄叫びにすら聞こえる男女の野太い声と嬌声が響き渡る。

 ベルが思わずそちらへ目をやると、路上で臓物をまき散らしながら性交してる男女三人組がいた。男を中心に本来絡むべきではない色んなところが絡んでいる図は、まさしく地獄に相応しい。


「なっはっ破廉恥であります!」

「おァ~、勘弁してくれ。昼間だぞ。こんな愛らしい見た目のベルちゃんにンなモン見せんじゃねーよ」


 ベルは目を背けつつ悪態をついたが、彼女の視線に気付いた三人組の一人が手を振ってくる。


「あんたらも混ざる~!? 歓迎するよ〜!!」

「あー、ありがとありがと。でも結構」


 さくっと誘いを躱しつつ、二人は――というかベルを背負ったキャットがそそくさとその場から立ち去る。 


「いやァ、さすが地獄。相変わらずヤベー性癖のヤツ多いなァ。ま、ベルちゃんも他人のことは言えねーけど」


 ちなみに、悪魔は自然発生することもあれば、悪魔と悪魔の間から生まれることもある。自然発生した者は子ども時代がなく、概ね成体のまま発生することが多い。

 食事なども取れるなら取るが必要性はなく、彼らは空気中の◆◆◆――『魔力』を栄養源として生きている。そのため、老衰という概念がない。死ぬ場合は、殺されるか自死するかのどちらかである。


「あっ、バーってあそこで合ってるでありますか?」


 キャットが指さした先には、血の赤を塗りたくったような外装と派手なネオンが輝くバーがあった。


「おぉ、あれあれー。見た目変わってなくてよかったァ」


 言うと、ベルはひょこりとキャットの背から降りた。おかげさまで魔力が少しだけ回復し、内臓の負荷は回避できるようになったのであった。


「送ってくれてあんがとなァ」

「いえ、小生も助けていただいて感謝であります。それでは小生、少しばかり用事がありますのでここで失礼するであります」


 キャットはそう言うと、手を振って去って行った。

 ベルはその背を見送りながら。


(アイツ、最初から最後まで一切嘘つかなかったなァ)


 内心で呟く。

 ベルは嘘が分かる。正確には、嘘をついた相手の本心がわかる。

 無論、一級悪魔や何らかの対策を講じている悪魔には無理だが、それ以外の者相手であれば彼女に嘘をつくことは不可能である。

 ゆえに、ベルはキャットが物珍しかった。出会ってから一度も嘘をつかれずに別れた相手はいつぶりであっただろう。


(悪魔には珍しい、純粋っぽそうなヤツだったなァ)


 ベルはそのように零したあと、年季の入った木製扉へと手をかけた。カランコロン、と軽やかな鈴の音が店内に響き渡る。

 広々とした空間にはシンプルな木製のテーブルが並んでいて、大勢の客で賑わっていた。奥にはバーカウンターがあり、バーテンダーの後ろには妙な形をした色とりどりのボトルがずらりと並んでいた。


「ここも変わってねえなァ。相変わらず曲のセンスが良いんだよなァ~♡」


 店内に流れるオルタナティヴロックにニコニコと一層もちもち頬っぺを持ち上げながら、ベルは店内を進む。

 小さな身体がトテトテと歩くにはかなり場違いな場所ではあるが、地獄の住人にそんなことは関係ない。見た目と年齢が合わない者などいくらでもいるし、意図的にそう繕っている者も数多いる。


「見ない顔だねぇ、案内しようか?」

【金持ちか、ふんだくってやろう】


 親し気な笑みを浮かべて近づいてきた獣人らしき若い犬男の横を、ベルは笑みを浮かべつつするりと通り抜ける。


(嘘)

 嘘。


 それもありふれていて、つまらない嘘だ。

 発言した者の本心がある程度わかるベルは、内心でそう呟く。

 更に一歩進めば、耳の長い――おそらくはエルフ、否、最近ではダークエルフと呼ばれている種族であろう女が、美しい笑みを湛えてベルに声をかける。


「お茶しない?」

【かわいい〜〜食べた〜〜い!!】

(これも嘘)


 さらりとかわせば、次は小人のような似姿をした爽やかスマイル。性別は不詳。

 一瞬ドワーフかと思ったが、ドワーフは小さくても大抵老人のような顔つきをしているため、すぐわかる。ドワーフと何か別の種族の混血だろう。


「あんた可愛いね」

【ヤりてえ~~】

(こいつも嘘)


 嘘、嘘、嘘、とそのまま立て続けに断定していきながら、結局バーカウンターに辿り着いても、面白そうな情報を持った者も、面白そうな者もいなかった。


「はあ~~もっと面白えやついねえのかよ~」


 ベルがカウンターに項垂れながら溜息をついた、そのとき。


「そう、僕はこの目でサタン様を見たことがあるよ。それはそれはお美しい姿でね、大きな黒い翼が二対あって瞳は金色に輝くんだ」

【本当は見たことないし、サタン様の姿は白い翼が二対に瞳はサファイアのようなブルーだそうだけどね】


 何やらベルの背後でそのように話す声がした。

 サタンとは地獄を生み出した存在と言われており、先の大戦で――ベル曰く『バトった神様の子どもの一人』である。伝承によると、白い翼が二対に瞳はサファイアのようなブルーだと伝えられていた。

 誰かに嘘を教えているらしい人物は、さらに続ける。


「そう、ここは五大都市のひとつだからね。平和主義のシドナイっていう男が治めてるから平和だよ」

【本当は六大都市だし、シドナイは平和とは無縁のクソ野郎だけど】

(ま~た特大の嘘ついてるやついんなァ)


 ちらりと視線を向ければ、赤黒いフードを目深にかぶった金髪の何者かが、年若そうな少年に話をしているらしいと悟る。

 中性的な顔立ちをした何者かは、ミステリアスに微笑みながら尚も口を開く。


「都市の紋章は黒薔薇が使われてるんだけど、黒薔薇の花言葉は『大いなる力』なんだよ」

【本当は都市の紋章なんかないし、黒薔薇の花言葉は『憎しみ』だけど】

(その嘘いるか?)


 ベルは内心でツッコみながらも、二人の会話――否、その怪しい“何者か”の話にひっそりと耳を傾ける。


「そう、シドナイは最近ヨガに凝ってるそうだよ。愛犬の柴犬と毎朝ヨガをするのが日課なんだって」

【本当はヨガじゃなくて古文書に凝ってるし、シドナイに愛犬なんていないけど】

(……なんかコイツ……)


 話を聞いている内に、ベルは段々と気付いてくる。


「そういえば知ってるかい? 地獄の犬は実はみんな柴犬なんだ。ケルベロスも変身してるだけで元は柴犬なんだよ」

【本当は全然そんなことないし、ケルベロスはカーネ・ディ・マチェライオっていう犬種をモチーフに作ったものだけど】

(いやコイツさっきから嘘しかついてねえ! しかもそこそこどうでもいいカスの嘘ばっかついてやがる!)


 そう、この怪しい“何者か”、先ほどからずっと嘘しか言っていないのである。

 時たま嘘を言っているのなら理解できる。会話の中に嘘を混ぜるのも理解できる。ただ、嘘“しか”ついていないのは、あまりにもベルの興味をそそった。

 しかもその嘘の内容がかなりどうでもいいのである。調べればすぐに分かるような内容だったり、その嘘をつく必要性がないような場面でくだらない嘘をついている。

 完全に、嘘を吐くことを意図して話しているらしかった。


(え~~おもしろ〜〜。つか地味に博識なの何なんだよ)


 しかし、そこでベルは思い直す。


(いや、“絶対嘘を吐くため”には博識である必要があんのか)


 そう、“絶対に”嘘を吐くためには真実を知っている必要がある。真実を避けて嘘を吐かなければいけないからだ。道化が道化を演じられるのは誰よりも滑稽であるからではなく、誰よりも“普通”であり、“まとも”であるからなのだ。

 面白え~~、と再度内心でベルはわくわくと胸を躍らせる。


(あえて嘘を言ってるだけあって本当のことを知ってるから、逆に一番信用できるまであるなァ)


 矛盾めいたことを考えながら、話しかけようかな、などと様子を伺っていたそのとき、ベルの隣に影が差し込む。


「あいつが気になるのかい?」

【おっこっち見たやっぱ可愛いな~】


 ハードボイルド風にキめた妖精が目を細めながら低い声で尋ねる。妖精特有の透明な羽が背でパタパタと揺れた。

 ベルは少し興が削がれたような気持ちになりながらも、折角なので本来の目的である情報収集に努めることにした。


「誰なんだ、あいつ?」

「一応情報屋で何でも知ってるらしいが、とにかく嘘しかつかねえ。だから皆は“エイプリルフール”って呼んでる。ただあいつが言ってることは全部嘘だから、手掛かりのない情報を得るときにたまに役立つんだ」

【ヤりてえ~】

「『馬鹿と鋏は使いよう』を地でいく奴だな」


 相変わらずの本音という雑音を聞き流しながらベルは笑むが、妖精は掴みはばっちりだと言わんばかりに一層口元を吊り上げると、羽を再びパタパタさせる。


「ところでよ……あんたは”どっちも持ってる”タイプか? 俺は片方だけだが、両方上手いぜ。どうだい、俺と今夜」

【ヤりてえ~】


 恭しく片手を差し出しながら誘う妖精に、しかしベルは表情を崩さない。ただ、いつも浮かべている笑みだけをそのままに。


「あぁ、悪いね。ベルちゃんはそういうの、興味なくてね。ただ、」


 きっぱりと断りを入れて、それから妖精の方へ向くと。


「――あんたが、骨ごと食わしてくれるってんなら別だが」


 笑みを浮かべながら大口を開けたベルに、妖精はぞっと背筋を震わせる。

 先ほどまでと同じ笑みなのに、同じ愛らしい顔なのに、どこまでも恐ろしくて、どこまでも禍々しい暗闇の渦のような、悪魔の表情。

 妖精はさっと目を逸らすと、及び腰になりながら何とか腰を浮かせようとして。

 その時だった。


 ドゴォオッッン!! とまるで地面に何かを叩きつけたかのような衝撃音がした。

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