ラドワと、ぬこ
意を決した
胸元には「にゃーん」とこの場に似つかわしくない甘ったれた鳴き声の主。白い毛並みがもふもふしていて非常に愛くるしい。
この光景、前にも見たよな、と仕事の話をしていたレンナートとキアラは既視感にめまいをきたす。
数秒揺らいだ隊長の空気が、キアラを全面拒否担当大臣に任命する。小さく頷き、キアラは椅子から離れてラドワと対峙した。
「またですか」
キアラの声に反応した子猫が、水晶玉みたいにまるっと大きな蒼い目を向ける。
「可愛いだろう」
確かにめちゃくちゃ可愛い。この場でなければ、いやレンナートが不在なら抱き取って喉元をくすぐって腹部をすーはー吸いたいくらいには可愛い。
だからこそキアラは同意できなかった。共感すれば最後、それは
キアラは自らを律した。強い気持ちで、背筋を伸ばす。
「猫は飼っちゃダメって、前に申し上げたはずですが」
「猫ではない。ぬこだ」
「ぬこ?」
「ぬこなら良いだろう」
ちゃぶ台返ししたくなるほどの脱法行為である。なんか似たような判例があったなとキアラは現実逃避する。あれだ。『たぬきとむじな事件』。
いやしかしラドワは『猫』を『ぬこ』と言い換えているだけだ。悪質な確信犯である。というか何だ、『ぬこ』って。
思わず反論を止めたキアラに代わり、レンナートが重たい息をつく。
「何回も言わせんな。うちにはすでに白ウサギがいるって言ってんだろ」
「隊長。私じゃないですからね」
「何言ってんだ。動物みてぇに予測不能な動きしやがって」
「うわぁ酷い」
仮にも婚約者を飾る言葉だろうか。この会話もなんとなく覚えがある。
「庁舎に迷い込んだらしい。門番の奴らが扱いに困っていたので保護したところだ」
「……野良ですか? その子」
「首輪がないからな」
首輪はないものの、ふわふわした白い毛は洗われ
「で、第三小隊長はその子をどうしたいんですか?」
「『番犬』という言葉がある。番ぬこにするのはどうだ」
「番ぬこ」
なんかまた新しい用語を増やしてくれた。ラドワしか使わない。
「いやそもそも番犬なんていらないし……」
「ぬこパンチ」
「ふっおおおおおおおお……!?」
ラドワが猫の前足を取り、肉球をふにとキアラの袖越しの腕に押しつけてきた。ふっくらした薄紅色の、完璧な形をした肉球。これに堕ちない人間はいまい。
キアラは手を差し出した。察しの良いラドワが柔らかな肉球を直接当てがってくる。
少しひんやりとしたぷにぷにの弾力。たまらない。しばしキアラは放心状態になる。
しかしラドワ。真顔で「ぬこパンチ」などと口走らないで欲しい。表情に困る。
キアラがラドワの術中にはまりかけているのを悟り、レンナートを中心に極寒の猛吹雪が展開される。板挟み状態のキアラは内心、頭を抱えた。
――――猫は……ぬこは、可愛い。
キアラの頭も「ぬこ」の文字に塗り替えられていく。
危ういところでノックが響いた。扉が開かれ、無精ひげのスターリングがひょこっと頭を覗かせる。
「さーせん。猫がこっちの方角に逃げてった、つう女の人が門でわめいてるらしくって。ラドワさん連れてってませんかねー……って」
タバコ代わりのパンの耳をくわえていたスターリングが、猫の肉球を堪能するラドワとキアラを交互に見やる。どす黒い
ラドワの色
******
「第三小隊長。お気持ちは分かりますけど」
「…………」
「どの道飼えなかったわけですから元気出してください」
「…………」
「あの、お仕事戻って……」
ぬこ改め猫を引き渡したラドワの様子は、明らかにしょげ返っていた。巨体をソファに沈め、ずーんと落ち込んでいる。その隣でキアラは大きな背中をぽんぽんと慰めていた。数人掛けのソファがすでに窮屈だ。
「そうですよ。ラドワさん。猫が欲しいなら隣にいるじゃないですか。毛並みはすっごく良いと思いますけどね」
なぜかやってきたリュジニャンがけらけらとキアラを指す。ラドワは見向きもせず即答した。
「肉球がない」
「そこですか?」
さすがのリュジニャンも予想外すぎる反応だったと見えてたじろぐ。
「リュジニャン。人を猫呼ばわりするのはよせ。失礼に当たるぞ」
「でしたら第三小隊長。『雪ん子』もやめてくれませんか?」
無視された。キアラの扱いが悪化している。
やがて何かを決断したようにラドワが軽く両膝を叩き、立ち上がった。
「行ってくる」
「どこにですか?」
「決まっている。コックの家だ。子猫の様子を見てくる」
キリッとした顔でラドワは「午後には戻る」と言い置いて身だしなみを整え、外に出た。巨体ではあるも、足取りは軽い。
早すぎる切り替えにリュジニャンのからかいも追いつかず、彼もまたラドワを黙って見送った。キアラに向き直り、首を傾げて曖昧に微笑む。
我関せずだったレンナートが、書面からふと顔を上げた。
「……マジであいつ、猫のためだけにこっち来たのか? え、マジで?」
そんなことないよな、と存在しない答えを求めるような呟きに、誰も返すことができなかった。
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