第14話 ボクの初の……

 10月、秋のはずなんだけどまだまだ暑い。今週の日曜日はついに試合がある。

 場所は隣のF県K市。名前は確か秋季北部九州武道大会とかなんとか。

 …まあボクにとっては大会の名前よりも内容が大事。


 3月の試合は美咲のケガというアクシデントで出ただけだし。

 これが本当の、ボクのデビュー戦だと思う。 


「いやー祐希の試合本当に楽しみやなぁ」


 晩ごはんの時、お父さんがそうニコニコしながら言った。

 日曜はお母さんと見に来ると、張り切ってる。


「祐希、緊張しとらんね?」


「もうっ……今から緊張しとったら日曜まででおかしくなるって」


 ボクもそう言いはしたけど、お父さんもお母さんもこんなに楽しみにしてくれてる。

 

 ちょっと恥ずかしいとはいえ嬉しい。


 ………頑張らなくちゃ!ボクはご飯を食べ終えると部屋に戻って、水の入った2リットルのペットボトルを掴んだ。

 でも水を飲むわけじゃない。これで手首を鍛えるんだ。

 

 ベッドに腰掛けて、ペットボトルを片手で掴んだまま、上下に振る。

 これを始めて2月ぐらいになるけど、効果出てるかな?いや、そんなこと考えなくていいや。

 とりあえずお風呂に入るまでに、右手と左手で100回ずつはやろう。

 

 美咲を押し退けてボクは試合に出るんだ。

ボクが恥ずかしい試合をしたら、美咲までダメって事になっちゃう…そしたら最悪だ。


 とにかく少しでも強くなるために、できるだけのことはしないと。


 なんて思いながらボクはペットボトルを振り続けた。


 そうして試合の日が来た。ボクはお父さんお母さんと一緒に、家の車でK市に来ている。

 試合のあるK市スポーツアリーナ。そこでクラブのみんなと待ち合わせをしている。


 大きな駐車場に車を止めて、ボクは薙刀と防具を持ってみんなを探しながら歩き出す。

 

 正面に見えるスポーツアリーナは、大きくてきれいだ。S県立の武道館といい勝負かも。


 周りはボクみたいに胴着を着た子や柔道の道着を着ている子も、たくさん歩いている。

 武道大会だから薙刀以外の競技の人もいるんだ。

 大会の雰囲気に、自然と気持ちが引き締まる。




「おーいユウちゃーん!」


 ボクを呼ぶ高い声に気が付いてそちらを見ると、胴着に袴姿の愛ちゃんが手を振っていた。

 愛ちゃんの周りには佐々木先生や先輩たち、恵子の姿も見えた。

 ボクと川井先輩以外は先生の車でここに来ている。


「藤野さん、おはよう」


「先生、おはようございます」


 ボクが頭を下げると、お父さんたちも挨拶をする。


「佐々木先生、初めまして祐希の父です。うちの娘がいつもお世話になっております」

「いえいえ、祐希さんはとてもまじめで素直に取り組んでいるので、お世話することもあまりないんですよ」


 うーん、親の前で先生に褒められるってなんだか変な感じ。

 先生がにこやかに答えるのを聞いて、なんだかムズムズしてしまった。

 愛ちゃんや恵子も、ちょっとこっち見てすました顔しているし。


 挨拶がすむと、川井先輩もやって来てお父さんたちと別れて部員たちだけになる。


 ……ボクはこれからチームを代表して試合に出るんだ。やっぱりちょっとだけ重い。けど、この重みを忘れないようにしなきゃ。


 なんて思いながら会場に向かっていると、恵子が話しかけてきた。

 

「どがんね祐希。緊張しとる?」

「昨日の夜が一番緊張したかも。今日の朝はむしろあんまりしなかったかな」


 ボクがそう言うと、愛ちゃんが頭を掻きながら話に入ってきた。


「私今日も寝坊しちゃいそうだった」

「アンタはちょっと緊張せんね愛理…大将やけんね?」


 なんてやりとりをしながら、歩いてると自然と顔が笑ってしまう。


「今日は団体が先やけん、私と祐希はちょい暇かもね」


 今日来ている6人のうち個人にしか出ないのはボクと恵子だけ。


 待ち時間がけっこうあるんだ……集中を切らしたり、気が抜けたりしないようにしなきゃ。

 気持ちを引き締めながら、ボクたちは会場の中へと歩いていった。


 恵子の言った通り薙刀の試合は団体戦から始まった。

 参加チームは大体ボクたちS県と地元のF県、K県からも来ている。


 ぼくら中央なぎなたクラブの初戦の相手は、F県の昼倉ジュニアなぎなたクラブ。


 他県だしよく知らないけど、川井先輩が言うには勝てない相手じゃないらしい。


 ボクと恵子はコートからちょっと離れた所で、観戦と応援をすることにした。


「始まるよ恵子」


「うん」


 ボクの視線の先には一番小柄だけど、堂々と大将のポジションに立つ愛ちゃんがいる。

 友達だけどライバル、大好きだけど勝ちたい人。


 まだまだ遠いなあ。ここからコートまではすごく近いのに、愛ちゃんの背中がとても遠く感じるよ。


 ボクも少しは強くなったけど、3月から少しは距離を縮められただろうか?


「……ねぇ、恵子。ボクたちもさ、個人戦だけじゃなくて団体にも選ばれるごと、頑張らんばね」


 この遠さを埋めるためには努力しかない。


「…そうやね。美咲や唯や明日香も毎日頑張ってるもん。その気持ちば忘れたら、すぐ置いてかれるばいね」


 恵子の言葉に黙って頷く。少しのざわめきの中団体戦が始まろうとしていた。


 川井先輩が勝てない相手ではないと言ったように、試合はほぼ互角に進んだ。

 中堅戦まで終わって1勝1敗の五分。川井先輩が二本勝ちをしてくれた。

 なのでポイントは有利だけど、大将の愛ちゃんにチームの勝利がかかる展開だ。


 3人団体は5人団体よりも、そうなりやすいって恵子に教えてもらった。

 愛ちゃんにファイトって声をかける。全然プレッシャーとか感じてない様子。いつも通り落ちついてる。


「始めッ」 


 審判の合図と一緒に愛ちゃんと相手は高い声で気合いを入れた声を出した。

 薙刀の切先同士が、生き物みたいに動き回りながらぶつかり合う。

 そうしながら愛ちゃんも、相手も間合いを探っている。


 でも愛ちゃん相手に、切先をあんまり絡ませてると……。


「めんっ!」

 

 相手の薙刀を持つ姿勢が、崩れた瞬間愛ちゃんが面を打って旗が上がった。

 出た。愛ちゃんお得意の巻き落としだ。


「出たね…愛理の巻き落とし。アレ分かってても中々対応しきらんとよね」

 

 恵子が唸るように言った。ボクも同感だなぁ、本当に分かっててもやられちゃう事あるし。


 二本目。開始の合図とともに、後のなくなった相手が積極的に攻めてくる。

 ボクなら慌てちゃうか、自分もたくさん攻撃を出すところ。


 しかし愛ちゃんは冷静にその攻撃を捌きながら、カウンターであっさりスネを仕留めて二本勝ち。

 これも愛ちゃんの得意技だ。分かっていたけど、やっぱり愛ちゃんは強い。


「やった!これで一回戦突破やね」


 恵子とボクは顔を見合わせて笑う。競争も大事だけど、仲間が勝つのも当然嬉しい。

 

「凄いなぁ、愛ちゃんは…当たり前みたいに勝つんだもん」

「……やけど、次の相手はFの中島学園やね」


 笑ってた恵子の顔が曇る。


「強かと?」


「優勝候補やろ。中島は私たちみたいにクラブじゃなくて、部活やけん練習量も多かし、中島高等部の薙刀部は全国常連やしね」


 ボクはそれを聞いてちょっと声が詰まった。そんな強いところと2回戦で当たるなんて……。

 やっぱりどんな勝負も、勝ち進むのって簡単じゃないみたい。



 そして恵子の言ったように、中島学園は強かった。

 ボクたちは先鋒も中堅も、頑張ったけど負けちゃって2連敗。

 つまりここで敗退確定……愛ちゃんの大将戦は勝っても負けても同じの、消化試合ということになってしまった。



 だけど愛ちゃんは、まったくそんなことを感じさせない戦いぶりだった。

 中島学園の2年生相手に一歩も引かない勝負をした。


 お互い打突にフェイントを交えながら、間合いを探り合う高度なやり取り。

 ボクも隣の恵子をついつい見入ってしまって、あんまり応援できなかったくらい。

 

 試合終了間際、面を狙って振りかぶった相手の胴を狙いすましたように、打った時。

 ボクは思わず『上手かぁ……!』って声を出しちゃった。


 旗が一本しか上がらず、結局大将戦は引き分けで終わった。

 けれどボクも薙刀で、胴を狙う難しさぐらいは分かるようになった。

 だから愛ちゃんの技術の高さに、感心するしかなかった。


 だってタイミングも間合いも完璧だったんだもん。

 確かに少し薙刀がハネちゃったけど、旗が上がらない事にボクと恵子が、軽く文句を言ったぐらい。


 消化試合なんてとんでもなかった。愛ちゃんは最後まで、真剣勝負をしたんだ。

 その姿に、ボクは友達としてもライバルとしても、ただ尊敬せずにはいられなかった。




 団体戦終了──佐々木先生と話す団体戦メンバーにボクも恵子も、かける言葉は見つからない。

 それでも、『気持ちを切り替えて個人戦を頑張りましょう』と声をかける川井先輩。

 

 やっぱりキャプテンらしいと思う。

 その言葉には悔しさを飲み込む強さと、次を見据える前向きさが詰まっていた。




 ボクは個人戦の組み合わせ表を手にして眺める。

 薙刀はマイナー競技だと思っていたけれど、エントリー数は思ったより多い。

 

 


「えーっと、ボクの1回戦の相手は……」

 

 組み合わせ表に目を落として確認すると、F県の筑後なぎなた会の、中学1年生の人だと分かった。

 小学生の頃みんなが戦った所だ。もうちょっと懐かしい。


 でも、そこからふと目線を上に辿ると――ん?待って、これって……。


 間違いない!もしボクが2回勝って、愛ちゃんも2回勝てば、ボクたちが戦うことになるんだ!


「……ほんとやね!」


 ボクがそれを言うと、隣で一緒に組み合わせ表を覗き込んでいた恵子が驚いたように声を上げた。


 ボクは胸の奥で、何かがポンッと弾けるような感覚を覚えた。

 自分の中でスイッチが完全に入った!クラブ内の順位戦じゃない。公式戦で愛ちゃんとやれる。

 頑張る理由がまた一つ増えた。よーし、やるぞ!


 愛ちゃんに挑むチャンスを手に入れるためにも、まずは目の前の相手に全力でぶつかるしかない。

 ボクは心を静かに燃やしながら、試合に向けて気持ちが高まるのを感じていた。




「はじめっ!」


 そしてしばらく待った後、ボクの個人戦1回戦が始まった。相手は小柄な愛ちゃんより小さい。

 身長だけはあるボクとは大分差がある。


 だけど、それでやり易いかというと全然違っている。

 下から何度も何度も、内に潜り込まれてスネや小手を狙われた。


 むしろ自分より大きい人相手の方が、やり慣れているのかもしれない。


 粘り強い薙刀ってこういうスタイルの人を言うんだと思う。

 …でもボクだって粘りなら負けないし、ここで終わるつもりもない。


 自分の背が高い分、懐に潜られて小手やスネを狙われた時の防御。

 その練習はボクも、普段からやってるんだから。その成果を今見せるんだ。


「コテッ!」

「っ……スネ!」

「うっ……!」


 ボクのコテは相手の二の腕に当たり、相手のスネ打ちはボクの足首に当たった。


 こんな感じで試合は進むけど、未だにポイントは0対0。

 ボクの攻撃を掻い潜って懐に入ってきた相手の攻撃をボクが防ぐ。

 そんな展開が続く──我慢くらべみたいな展開。


 似たような感じの夏合宿の榊原との練習試合では、ここで負けたっけ。


「祐希ー!そこよー!」

「がんばれ祐希!先に先に!」


 お父さんお母さんの声も聞こえる……その応援が背中を押してくれる。

 絶対に練習試合と、同じ負け方をしたりするもんか!


 ボクも相手も攻めあぐね続けた終盤。ついにチャンスが来た。

 ボクから離れようと後ろに退く相手。だけど、そこはボクなら踏み込んで届く場所だ!



「面っっ!」


 ボクは思い切って前への踏み込みから、面を打った。

 この試合で一番綺麗に振れたと思った一撃が、上手く当たってくれた。


「面ありっ」


 旗が二つ上りボクにポイントが入る。油断するわけじゃないけどこれで決まりだと感じた。


「そこまでっ」


 それからすぐに、審判の声がかかって試合が終わった。

 ボクの全身を安心感と、勝ったという実感が包む。


 3月の試合で初めて一本を取った時もなんだかふわふわしたけど、今はその何倍もふわふわする気分。


 ………勝った。ボク、勝ったんだ。薙刀を始めて、公式戦で初めて。

 

 嬉しさがどんどん湧いてくる。今ボクどんな顔をしているんだろう。

 自分的にははしゃぎたいぐらいなんだけど、『無表情ガール』のボクだもん。

 

 他人から見たらいつも通りかもしれない。



 礼をして戻ると観客席からお父さんお母さんが、ボクに何か言ってるけど2人とも喜びすぎ。


 公式戦初勝利を、どこかボクより喜んでくれてる。

 なんて言ってるのか全然わかんないから、

とりあえず手を上げておく。


 喜ぶ2人を見ているとなんだか、胸が暖かくなる気がする。

 ……とりあえずボクはこの瞬間をずっと忘れないと思う。


 「藤野さん、お疲れ様。そしておめでとう」

 川井先輩が、笑顔で出迎えてくれたのでお礼を言う。

 個人戦は同時に何箇所かでやるから、佐々木先生が来れない代わりに、様子を見てくれているんだ。


 自分の試合もあるのに。やっぱり川井先輩は優しい。



 面を取って手ぬぐいで汗を拭いていると、また嬉しさが込み上げて来た。


 気がつけば自然と笑顔になっていた。




 ……いや、これ笑顔じゃなくて……絶対、ニヤニヤ顔だ!

 ──あっ、ヤバい。今絶対ボク、1人ニヤけている変なヤツだ。



 なんて考えてたら目の前に誰かやって来たから、ニヤケ顔を慌てて戻す。 


 ………来たのはなんと、愛ちゃんだった。


「えっ、愛ちゃん?」


 ちなみに愛ちゃんはもうとっくに一回戦を軽く突破していた。


「どうしたの?愛ちゃん」


 愛ちゃんは答えない。黙ったまま少しだけ笑って指を一本だけ立てる。

 そして小さく「ユウちゃん、初勝利おめでと」って言って去っていった。



 えっ? えっ? ボク、今の……。めちゃくちゃ嬉しいんだけど!

 泣いて良いなら、泣きそうなぐらい、正直一番嬉しい人が言ってくれた。


 だけど…あの指一本ってやったのもしかして……。

 お互い後一勝したら、対決だねってのと、ボクの一勝目をかけてるの?




 ………もう、カッコよすぎ。


 まるで『私寝坊しちゃいそうだった』の愛ちゃんと、同じ人には思えないよ。


 うん、ボクやっぱり愛ちゃんとやりたいな。

 後1つ勝って、絶対そこまで行くんだ。


 ボクは自分の手ぬぐいを、ギュッと握りしめる。


 ──よし、次も頑張ろう。

 嬉しさを胸に刻みながら、ボクは次の試合に向けて気持ちを切り替えた。

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