第6話 ボクの宣戦布告

「ど、どういう事ですか?先生」


 佐々木先生の突然の問いかけに、ボクは思わず聞き返してしまった。


「……怪我している人を、そのまま出すわけにはいかないでしょう」


 え?怪我人?。もしかして、恵子が?さっきたくさん防具つけてない所叩かれてたし。


 だけど佐々木先生は、恵子じゃなくて美咲に声をかける。


「大野さん、手を見せて」


 美咲は言われて少し決まりが悪そうに右手を差し出す。


 人差し指の付け根が赤くなり、少し腫れていた。


「多分、突き指ね……接触した時になったのね。なんですぐに言わないの?」


 佐々木先生の声がいつになく厳しい。


「いやぁー……試合終わった後は全然痛くなかったし…今もそんなに…」


 タハハって美咲が弱々しく笑った。

 佐々木先生はいつもの優しい感じじゃなくて、厳しい様子のままできっぱりと言う。


「ダメよ。怪我を甘くみちゃダメ、決勝は欠場しなさい……という事なんだけど、藤野さん大野さんの代わりに先鋒お願いできるかな?」


 佐々木先生が真っ直ぐボクを見つめた。ボクの返事は一つしかない。 


「はい、大丈夫です。行きます!」


 正直怖さとか不安もあったけど、ここで躊躇するような補欠はいる意味がないと思った。




 昼食の後、ボクらは軽く体を動かしてアップを始めた。

 そんな時美咲が声をかけてくれた。怪我をした指には白いガーゼが巻かれている。


「ゴメンね……祐希ちゃんを信じてなかったわけじゃないの。これぐらい大丈夫って思ってたから」


 美咲が本当にすまなそうにしている。ボクは全然気にしてない。



「もういいよ美咲。美咲がそんな人じゃないってのはわかってるし、頼りない控えだけど任せてよ」


 もうすぐ決勝戦が始まる。ボクは先生や美咲への言葉とは裏腹にちょっと緊張してきていた。


「…試合デビューが馬津との決勝か……祐希って運が良いのか悪いのか分かんないわね」


 恵子が息を吐きながら言った。


「馬津と中央ってライバルなんでしょ?」


 愛ちゃんが恵子に問いかける。


「そうよ。中学でも高校でも、ずっとね。一回戦で勝ったBチームよりも、だいぶ強かと思うわ」


 うっ……そんな話を聞くと余計に緊張してしまう。でも、ボクが口を挟む間もなく、愛ちゃんが嬉しそうに笑った。


「愛理、アンタ楽しそうね」


 恵子が少し呆れたように愛ちゃんに声をかける。


「分かる?強い相手とやれるって、すごくワクワクしない?」


 なにその発言。完全にスポーツ漫画の主人公じゃん……。ボクにはそんな余裕、正直ないんだけど。


 それでも、愛ちゃんの笑顔を見ていると、不思議と緊張が少しだけ和らぐ。

 愛ちゃんのそのどこか無邪気な楽しみ方が、ボクにも少し分けてもらえた気がした。



 そうして決勝戦が始まる。ボクは美咲の代わりなので、先鋒だからもう面を着けている。

 挨拶の時向こうの先鋒と目が合った。なんだか面越しにこっちを睨んでる……ような気がした。


 念願だった試合に出られる。


 でも、期待と緊張が入り混じったこの感覚は、思っていたよりずっと重い。


「祐希、頑張って。楽に楽に」

「祐希ちゃんならいけるよ」

「ユウちゃん、ファイト」


 みんなの声もどこか遠く聞こえる。

 審判の先生がボクの名前を呼んだ。


「赤、藤野選手」

「ひ、ひゃいっ!」

 やばっ、声が裏返っちゃった気がする。


 恥ずかしさと不安と、ちょっとの高揚感がボクの身体いっぱいに広がっている。

 開始線の前に立ちボクも相手も構える。確か久保田とかいう名前じゃなかったかな。

 ボクより結構背が低いけど、とても強そうに見える。


「はじめっ」


 審判の先生の声がかかる。


「オオッ!」


 掛け声が、大きい。佐々木先生が言っていた、声を出せば怖い気持ちが逃げてくって。


「やーっ!」


 ボクはせめて気合いで負けないように、ボクなりの大声を出してみた。

 確かに不安が薄れたような気もした。


「コテェ!」


 うぐっ。思わず小さな声が出た。久保田はいきなりボクの小手を狙ってきた。

 

 あ…危なかった。ギリギリだ。


 佐々木先生が『藤野さんは背が高いからきっと小手とスネを狙ってくるわ』って言ってくれてなかったら絶対打たれてた。

 だけど、小手を着けていない所を叩かれたからビリビリ痛い。


 久保田は間を空けずに次々と攻撃を仕掛けてくる。

 

 負けないぞ。ボクも攻撃するんだ。


 そう思ってボクも薙刀を振り回すんだけど、久保田はボクが一回攻撃する間に二回、下手したら三回仕掛けてくる。


 ……何でか?簡単だ、ボクより薙刀の扱いが上手いんだ。くそぉ!何でボクはこんなに下手くそなんだ!


「祐希!力抜いて!力みすぎ!」

「祐希ちゃん、軽く軽く!」


 みんなの声が響く。最初に教わったことを思い出す。薙刀は思い切り握りしめるものじゃない。力を入れすぎたら動きが鈍くなる。


 頭では分かっている。分かっているのに……相手と向き合って戦っていると、それが全然できないよ!


「スネェッ!」


 ボクの頭も動きもぐちゃぐちゃになっているのを、久保田は見逃さなかった。

 ボクの足にピシッと鋭い衝撃が走る。


「スネあり!」


 審判の先生の旗が上がる。ボクはその時頭が真っ白になった。

 負ける。そんな思いが心を埋め尽くしていくのが、怖いくらいにはっきりとわかった。


「両者、戻って」


 やばい負ける。どうしよう。いや負けるのは覚悟しているけど、まだ何もしていない。


 このまま何もできずには負けたくない。


 けど、どうしたら……体に力が入らない。そしたらどんどん血の気が引いていくのが分かる。

 ……ボクって最低だ。負けず嫌いのクセに、途中で諦めようとしてる。


 やっぱり向いてないんだとか、初めてだし仕方ないよとか、言い訳が頭をいくつもよぎる。

 ああもう…情けないよ。ボク、全然ダメじゃないか。


 ボクがそうやって、どんどん自分を責めていた時、後ろから高い声が聞こえた。




「ユウちゃん、がんばれぇっっっ!!」






 愛ちゃんの声だった。 


 ボクは何だかその声にハッとして、我に帰ったような気がした。



 ……そうだよボクは一人じゃないんだ。ボクが負けても恵子と愛ちゃんがいる。

 初めての試合で舞い上がって、余計なことばかり考えていたんだ。落ち着け……まだ時間はある

 そう思ったら、不思議と肩の力がふっと抜けた。


 試合が再開した。久保田はさっきみたいには果敢には攻撃してこない。

 きっとポイントを取られて、焦ったボクが出てきた所をポンって打つつもりだったんだろう。

 少し落ち着いたからかな。そんな狙いも分かるから、ボクは雑には仕掛けなかった。


 でも、それだけじゃ勝てない。それも分かっている。このまま守り合っていては、久保田がリードを守りきるだけ。

 ……だったらイチかバチか…習った薙刀の構えの中で一番強そうに見えたアレで──!




 久保田と何度か打ち合い、離れた時ボクはいつもの中段じゃなくて、薙刀を振りかぶってその構えをとった。





 久保田の顔が一瞬「えっ?」と驚きに固まった。




 上段の構え。防御できないし隙は大きいけど、攻撃的な構えって佐々木先生が教えてくれた。

 ポイントが負けている今の状況には、ピッタリだと思った。

 それにこれは背の高い人に向いているとも教わった。

 ボクの取り柄は身長ぐらいしかないし、いつか試合に出たら絶対使おうと思ってたのにそんな事も忘れてたんだ。


 ボクはジリジリと、久保田との間合いを詰める。

 久保田は、逆にボクから離れようとする。戸惑っている。ボクは咄嗟にそう感じた。

 きっと上段の構えをする相手に、慣れてないのかも。ボクは構わず詰め続ける。


 ──今だ。時間もない。これが最後のチャンスだ!


 覚悟を決めて、大きく踏み込み、全力で薙刀を振り下ろした。

 


「めんっっ!」




 ボクはその時初めて、自分の振る薙刀から「びゅんっ」と良い音が聞こえた気がした。


 ボクのその一撃は、まぐれかもしれないけど久保田の面を捉えていた。


「面ありっ!」


 審判の先生の声が聞こえる。自分の後ろのみんながワッと盛り上がるのも分かった。


 やった………やったよ!一本取るのってこんなに気持ちいいんだ!

 ボクは思わず、ガッツポーズを取りそうになった。

 武道でそれはやっちゃダメなんだよね。

 

「そこまでっ!」


 ボクが一本を取り返した後すぐに試合は終わった。

 互いに一本なので引き分け。けどボクは勝ったような気持ちだった。

 どこかふわふわした感じで、自分たちの方に戻ると次の中堅で戦う恵子が右手を上げていた。


「お疲れ。私も続くけんね」

「……うん、頑張れ恵子」

 

 ボクらはそう言って右手を叩く。椅子に戻ると美咲と愛ちゃんが出迎えてくれる。


「祐希ちゃん、凄かやん!初めての試合で上段の構えで、一本取るとか中々おらんよ」 

「ユウちゃんの上段カッコよかった〜私も頑張るからね」


 2人の明るい声に、ボクは照れくさくて小さく笑った。

 目の前では恵子の試合が始まっている。


 恵子はクラブの同級生の中で、愛ちゃんの次に上手いと思う。

 だけど相手も強い。攻撃のペースは同じぐらいだし、防御もどっちも上手い。


「薙刀がかみ合いすぎている…これはお互い決め手がないかも」


 佐々木先生がポツリと言った。

 ボクはその言葉の意味が良くわからなかったけど、試合は二人ともポイントがないまま進んだ。

 試合終了のブザーが鳴る。ボクも恵子も引き分け……つまり勝負は―――。


「よし、じゃあ行ってくるよユウちゃん、美咲ちゃん」


 チームの勝敗がかかっているというのに、愛ちゃんは全然気にしていないように見える。

 でもそんな姿にボクは安心する。きっと愛ちゃんに任せれば大丈夫だって。

 愛ちゃんと入れ替わるように、恵子が戻ってきた。


「お疲れ、恵子」

「……取り切れんかった」


 悔しそうに面を外して、ぐしゃって感じで頭の手拭いを外す。

 はぁはぁと息が乱れている。ボクは今日初試合だったけど、恵子は3試合目だ疲れてても当然だ。


「…ああーもう…もっと積極的に行かんばやった!」

「大丈夫だよ。大将は愛ちゃんだし」


 ボクはちょっと能天気な感じで言った。まだ一本を取れたことで気持ちがふわふわしていたのかもしれない。


 恵子は黙ったまま、ふっと目を伏せる。そして、小さな声で呟いた。


「……愛理頼みじゃダメばい」


 その言葉は、ボクに向けたものというより、自分自身に向けたもののようだった。

 小さくてかすかな声に、恵子の本気の悔しさと責任感がにじんでいた。

 ボクは恵子の言葉で、一気に浮かれ気分が冷めるのを感じた。


『……愛理頼みじゃダメばい』


 その呟きがどすんとボクの胸に、乗っかってきたような気がした。

 そうだ……そうだよ。ボクはなにを一本取り返して、引き分けたぐらいで浮かれてたんだ。

 しかもチームの勝ち負けを愛ちゃんに投げて。


 初心者だとか、初めての試合だとか、そんなの関係ない。



 甘えてた、頼っていた――愛ちゃんに。



 目標にするのと甘えて頼るのは違う。

 ボクは薙刀を始めてどうなりたいの?強くなりたいんでしょ。


 誰かに甘えて強くなれるの?そんなの無理に決まってる。



 ボクはその時、気がついてしまった。強くなるためには、愛ちゃんみたいになりたい──じゃきっとダメなんだ。

 それじゃ何年やっても追いつけない。愛ちゃんに追いつくには……。


 ボクの心がグルグルと回る。その視線の先では、愛ちゃんが馬津の大将の榊原って子と戦っている。

 きっと相手も凄く強いんだろう。レベルの高い攻防が続いているようにボクには感じた。


 頑張れって何度も声援を送るけど、多分それもどこか中身がない感じがした。

 心の中では、自分自身に問い続けているからだ。


 ボクはこの先どうする? 本当に強くなれる? ただ憧れているだけでいいの? 違う。絶対に違う。


 愛ちゃんに任せておけば勝てる――そんな甘えてた自分が嫌になる。

 でも、その甘えを越えて、次に進むためには何が必要なのか、まだ答えが見つからない。


 榊原との一進一退の攻防を繰り広げる愛ちゃんの背中を見ながら、ボクの心の中で葛藤が続いていた。

 ――なんだか近いはずなのに、とても愛ちゃんの背中が遠い気がした。




「はーい皆笑って」

 賞状を持って並ぶボクらにそう言っているのは佐々木先生。

 ボクら中央なぎなたクラブAチームは、錬成大会で見事優勝を果たした……愛ちゃんのおかげで。


 愛ちゃんは試合終了間際に、きれいなカウンターでなんと胴を決めて榊原に勝った。

 剣道と違って薙刀で、胴を打つのは難しいしくて珍しいらしい。


 記念撮影の後、ボクは来ていたお母さんから「祐希の面打ち、凄かったね!」って言われたけど、どこか他人事みたいに聞いてた。


 愛ちゃんの試合を見ながら生まれた疑問。ボク自身に問い続けたその答え………みたいなものがぼんやりとだけど形になりつつあった。


 こういう時普段ボーっとしているから、考え込んでても誰も変に思わない。

 試合後のガヤガヤの中、ボクがそうしていると胴着の袖を誰が引っ張っているのに気がついた。


「ユウちゃん、時間ある?」


 愛ちゃんだった。相変わらずくりくりの大きくて少しだけ茶の混じった黒い瞳。

 その瞳がちょっと上目遣いで、ボクの目をまっすぐに見つめてた。


「…うん、あるよ」

「今日さ私のママが来てて、同級生のみんなを紹介したいの」


 なるほど。愛ちゃんのママ、多分きれいな人なんだろうな。

 愛ちゃんに連れられ、恵子と美咲を呼びに歩いている。

 その時ボクは愛ちゃんの背中を見ながら、さっきのぼんやりとした答えが急にはっきりとした形になるのを感じた。


 ───そうだよ。簡単な事じゃないか。


 ボクは足を早めて、愛ちゃんを追い越してその目の前に立ち塞がるように出た。


「んん?どうしたのユウちゃん」


 ちょっと戸惑っている愛ちゃん。


 本当はガラじゃない。こんなセリフ言うボクじゃないはずなんだけど、もう止まらなかった。


「……愛ちゃん、前にボクにさ、薙刀ば始めた理由聞いたよね」


「…あっ、うん。聞いたよ」


 愛ちゃんが首を傾げる。

 

 今その理由を言わせて。と言ってボクはちょっと息を吸い込んで続ける。


「ボク……実は愛ちゃんみたいに、強くなりたかって思って薙刀始めたとさ」


 愛ちゃんがびっくりした感じで目を見開いた。

 ボクの口は、心と繋がったみたいに止まらない。


「だけど………今は違う。キミに勝ちたか…愛ちゃんより強くなりたか!」


 ボクはそう九州弁で宣言をした。愛ちゃんのくりくりの目が少しだけ歪んだような気がした。


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