文学は、自然に、思うがままに綴るべし。
「はああっ!?」
——なんで、僕が!?
「何をそんなに驚くんだよ。普通に考えたら、この場で三木のことがわかるやつは俺とあんた以外いないだろ」
「そうですけど……」
「三木は作品を完結させられなかったことが心残りなんだ。あんたが『異物』の続きを書いて、終わらせればいい」
うろたえる西宮を置きざりにして、店主は本を西宮に手渡してきた。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。何で僕なんですか!?」
「今までの聞いてりゃ何となくわかるんじゃねえのか?」
「何もわかりませんよお!」
西宮の悲痛な叫びが、安アパートの部屋の天井にこだまする。
「察しの悪い奴だな」と言いたげな店主が、あきれたようにため息をついた。
「三木は俺に話をする前から、あんたの前に姿を見せている。それに、あんたにも直接『頼む』と言ったんだろ? 実の姉には何も言わなかったというのにだぜ」
「どうしてお姉さんには頼まなかったんですか」
「知らねえよ、そんなの。俺はあいつじゃねえ。けどよ、あんたの部屋を見てれば何となくわかる気がするぜ」
そう言って目を細めた店主は、西宮の背後を見ていた。 視線の先には、本が詰められた備え付けの本棚。
「類は友を呼ぶっていうしな。本好きの魂は本好きに惹かれるってことだろうよ」
「それなら本を大量に集めて売っているあなたの方がふさわしいのでは?」
「ったく、ああ言えばこう言うやつだな。俺は古書店なんざやってるが、それほど小説が好きってわけじゃないんでね。三木とはそりが合わないと思うぜ」
……そうなのだろうか?
上手く言い逃れをされた気分になる西宮。
「それに三木はこうも言っていたぜ。『あの青年なら、自分の作品を美しく終わらせてくれるような気がする』と」
店主は懐からさらに新たな道具を取り出し、手渡してきた。
それは、金メッキ軸の万年筆だった。
「俺からも頼むよ。三木の魂を救ってやると思ってさ」
「だけど本当に、どうして。僕は小説なんて書いたこともないのに……」
万年筆を持つ手が震える。万年筆本体の金属が氷のように冷たいからだけではないだろう。
「一つ聞くぜ、あんたは何で『異物』を買おうと思ったんだ。必死こいて俺に売ってほしいといったのはなぜだ?」
はっとした西宮の頭が動き始める。
そうだ、なぜ自分はあの本を買おうと思ったのだろう? 店主が「売り物じゃない」と渋ったのに。
やはり三木の魂が自分を呼んでいたからなのだろうか? いやいや、それは店主が言っているだけで、確証など取れない話だ。
わかっている。自分が『異物』を強く求めた理由はちゃんとある。
「面白そう、読んでみたいと思ったからです。『異物』という小説が」
「じゃ、それでいいんじゃあねえか?」
店主は白い歯を見せてにっと笑い、懐から薄い紙を取り出した。
朱色のインクで文字のような絵のような文様が書かれているそれは、お札に見えた。
「何かあったら助けてやるよ。こっちの方面には強いんでな。三木だって、あいつから頼んでるんだから、危害は加えないはずだぜ」
店主の顔を数秒見つめた後、西宮はもう一度本を開いた。
一頁ずつゆっくりとめくっていく。一文字、一文字はっきりと書かれていた文字は後半から崩れていく。文字通り、三木が命を削りながら書いていた証拠だ。
最後の頁、最後の一行にまでたどり着いた。
「……何と書けばいいんでしょうか」
緊張で、声が震えた。
「思うがままに、書けばいいさ。三木の書いたものをあんたが読んで、出てきた言葉を綴ればいい」
店主の言葉は、どこまでも抽象的だった。
「……わかりましたよ。やってみます」
「おう」
渡された『異物』を再び開く。深呼吸をすると、古書のなんともいえない匂いが鼻孔をくすぐった。
頁をゆっくりと捲っていき、最後の頁にたどり着く。左端、最後の一行に自然と目が行く。
「目の前をかけていった猫の後頭部についた顔がそう言って笑いました。それが恐ろしくて、恐ろしくてたまらない。今すぐここから逃げ出したい。」
何と異様な世界だろう。
作り話だとはわかっている。しかし、語り手の気持ちを考えれば、恐怖が身を包み、絶望がこみ上げる。
自分が同じ状況になったらどうすればいいだろう? どう終わらせるべきなのだろう?
目の前の頁から視線を感じた。彼は見ている。西宮が何と書くかを。
万年筆の蓋は、カチリと硬い音を立てて開いた。三木が書いた最後の二文の左隣には、ちょうど一文が入るマス目が残っている。
万年筆を握る西宮の右手は、予想以上にすらすらと動いた。
——これで、いいのだろうか。
最初から決まっていたかのように、西宮の考えた一文はマス目にぴったりと収まった。
ほう、と息を吐いたそのときだった。
——ありがとう。
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