第9話 裏路地をゆく者

スラムの奥地。


違法建築で縦に建てられまくり傾いた小屋は、かつて中国にあった九龍城砦のような有様。


そして、無縁仏に奥まった路地……。


お手本のようなスラム街だ。


そんな街の狭い路地で蹲る、片脚のない禿げた男が、俺にこう言ってくる。


「あっ……、先生じゃねえですかい。こちらにいらっしゃるなんて珍しい、どうなさったんで?」


こいつは『片脚』。


スラムにいるような奴らは、名前はないか、あっても名乗らない。或いは名乗れない……。


だから、こんな風に特長でそのまま呼び合うか、適当な仮称を付け合う。


「バルはいるか?」


「バル坊ですかい……?ああ、あのガキ共!またサボってるんで?!」


「残念ながら、な」


俺はため息と共に少し笑って見せる。


「はぁ〜……、ちょっとお待ちくだせえ、すぐに呼んできますわ」


片脚の男は、そう言って、廃材から作った義足をつけると、器用に立って歩き奥へと向かった……。


そして五分後。


「いってぇ!おい『片脚』!なんなんだよ?!なんで殴るんだよ?!」


「るっせぇ!先生がお呼びだ、早く来い!!!」


「先生……?あっ!や、やべぇ……!」


「あっ、こら!逃げるな!」


そんな会話の後に、小さな影が俺の手前を通り過ぎようとするので……。


「えい」


「ほギャッ?!!」


転ばせて、捕まえた。


「よう、バル。元気そうじゃないか?」


「せ、先生……?!へ、へへへへへ、げ、元気でーす……?」


地面に転がったのは、子供。


十二歳くらいの、黒髪を短く雑に刈っているガキだ。


つぎはぎだらけの、大人用のコートをベルトで無理矢理調節して着込み、ボロ布をバンダナのように巻いた少年だ。


顔は生意気そうで、鼻筋や頬に切り傷がある。


これで女の子なら可愛がってやるんだがなあ……。女の子は娼館に行くか、私娼か、それかスリに飯炊き人とかだしなあ……。


「そりゃそうだろうな、仕事をサボってるんだ、疲れないから元気だろうな」


俺はバルの頭を踏んだ。


「あでででででで!!!待って!理由が!理由が!」


「言ってみろ」


「く、訓練をしてたんだよ!ストライダーになるための!」


ほーん。


確かに、スラムのガキが真っ当に成り上がるなら、ストライダーになるくらいしかないだろうな。


読み書きも、畑の耕し方も、飯炊きの仕方も分からない。


身分の保証も市民権もない。


そんな奴は、ストライダーにでもなるしかないだろう。


だがな……。


「それは、仕事をサボって良い理由にはならないな」


再度踏む。


「いってええええ!!!」


「それに、棒振り遊びを修行とは言わん。遊んでいる暇なんて、お前にはないだろうが」


「あっ、遊びじゃねえ!ちゃんと修行で……!」


「誰に師事してんだ?」


「お……、俺みたいなスラムのガキが、ちゃんとした剣技なんて習える訳ないだろ!」


「そうか?スラムには元剣士なんてゴロゴロいるぞ。お前がやるべきは自己満足の修行ではなく、周りの年長者にものを習うことと、地道に働いて金を貯めることだろうな」


「それは……」


「俺の店の前を掃除する仕事だって、本当はなくても困らないんだ。なのに、何故俺がわざわざお前らを雇ってやっているか、分かるか?」


「……分からない、です」


「スラムの顔役の、『鉤爪』に頭を下げて頼まれたからだ。彼は、お前らのようなガキにもチャンスを与えてやってほしいと言っていた。お前が仕事をしないのは勝手だが、そうなった場合、代わりに誰が頭を下げることになると思う?」


「……『鉤爪』さんだ」


「そうだ、『鉤爪』だ。あの人は、お前だけじゃなく、スラム全体を守ってくれている人だ。つまりは恩人だな。……その程度のことを理解できないなら、ストライダーになんかなっても、早晩仲間に捨てられて終わりだよ。やめた方がいい」


「……お、俺、そんなつもりじゃ!ご、ごめんなさい!」


「謝るんなら『鉤爪』に謝れ。俺は何とも思ってないからな」


「……お、俺、謝ってくる!そしたら、ちゃんと掃除しに行く!ごめん、先生!」


俺は、駆け出していくバルの背中を眺めつつ……。


「……悪かったな、『片脚』。『鉤爪』にも、迷惑をかける」


と、『片脚』に詫びた。


「いや……、ガキなんてみんなあんなもんだ。ちゃんと謝れるだけ、アイツはマシだよ」


『片脚』は半笑いでその場に座り込み、義足を外した。


身体に合わない、廃材で作った義足だ。


恐らくは、着けて歩くと、突っかかって脚が痛むんだろう。


「これ、うちで作った牙イノシシのハムだ。『鉤爪』に渡してやってくれ」


「ああ、いつも悪いな、先生」


「気にするな、余り物だ。それに、『鉤爪』には、昔俺も助けられた身だ」


「はは……、『鉤爪』の旦那は、いつも先生に助けられたと言ってましたがね」


「じゃあ、お互いにってことだろうよ。それに、俺だってこの街で産まれた訳じゃないからな。横のつながりは大切にしたいんだ」


「……ありがとうよ、先生。『鉤爪』には会っていきやすか?」


「いや……、あいつにも仕事があるだろう。俺のような、遊んで暮らしている奴が顔を出すのは嫌味でいけない」


「旦那は気にしやせんよ」


「まあ、またいずれ、な」


そう言って俺は、スラムを去って……。


表通りへと向かった……。

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