一話 吸血鬼-5

 ガラリ、と無遠慮に戸を開いた。

 チャイムがないのは確認したがそれでいいのか。


「御免ください」


 決して大きくはないがよく通る声で白雨は言った。

 サッと冬の風が吹き抜けていったような寒気を足元に感じた。

 隙間風だろうか。

 不意に服の裾を引っ張られた。振り向かせるくらいのけっこう強い力だ。

 京一は勢いよく振り向くがその場所を見ても何もいない。


「あれ……?」


 京一はあたりを見渡した。

 店の中はトンネルのように暗く橙色のぼんやりとした明かりだけがあたりを照らしている。真ん中を突き抜けるように奥に行く通路があり、左右は棚で埋まっている。

 一つ一つの名前はわからないものが多かったが皿に湯呑み、蓄音機、筆立て、硯、花瓶、他にもさまざまなものが雑多に置かれている。

 骨董屋とは聞いていたが並べ方を見ると商売する気が感じられない。

 いや、それよりも。

 カタカタコトコトと道具が勝手に揺れている。

 それは意思を持っているような動きで。

 見られている。

 なぜか値踏みされていると京一は感じた。


「これは……」

「静かに」


 ピシリと白雨に言われて京一は忙しなくあたりを見ていた動きを止めた。


「おそらくいきなりの来客に気が立っているんですよ。しばらくしたら落ち着きます」


 白雨は笑ってそう言う。しかし、その声はいたって真剣だ。


「あなただって初対面の人にじろじろ見られたら嫌でしょう?」


 それはそうだ、と思う。

 思うが。

 当たり前のように物と意思疎通しているのを受け入れていることがしっくりとこない。少し前では考えられないことだ。


「どちら様かな?」


 奥から声がした。

 靴を引きずるような音を立てて奥から老人が出てくる。

 背は曲がっているがしゃんとした雰囲気で、丸眼鏡の奥の目がしっかりとこちらを見すえている。


「訪問に気づかなくてすまないね。今日約束はなかったはずだが」


 物腰は穏やかだが口ぶりはしっかりしている。


「いえ、約束はしていないんです。突然おしかけてすみません。どうぞ構わずお座りください」


 目を瞬かせてこりゃどうも、と言うと奥から小さな椅子を引きずってきて腰かけた。

 よく見ると老人は足が悪いようだ。


「二人ぶんの椅子はなくてね。悪いがこのまま話をさせてもらってもいいか?」

「ええ、構いません」


 白雨は愛想よく頷いた。


「それで今日はどういったご用件で?」

「吸血鬼の話です」


 そんな直球な、と思ったが老人はほおと言った。


「私の証言など気にされてないものかと思っていたんだが。なんせこんな年寄りの記憶力ではな」

「僕は信じますよ」


 ニコリと白雨は微笑んだ。


「この店の奥の路地で姿を見かけたと仰っておられたと聞きました。それで詳しいお話を直接したいと思い訪問させていただきました」


 老人は奇妙なものを見るように目を瞬かせる。


「警察には一応話したんだが……お前さんらはどうしてその話を?」


 まあ白雨は中学生くらいにしか見えないからそうだろうと京一は思う。


「被害者の方と知り合いでして。素人ながら捜査の真似事をしているんです。本人はショックを受けているので放っておけなくて」


 嘘八百を平気な顔で話す。

 やっぱり食えないやつだと思った。 


「それはお気の毒に」


 視線を落として老人は言った。


「あれは月も出ていない暗い晩のことでね」


 その日のことを思い出しているのだろうか、老人は宙を見つめる。


「来る途中で気づいたかもしれんがここらにはあまり街灯がなくてね。普段はあまり外に出ないんだが買わなきゃいけないものを思い出して外に行ったんだ」


 掠れた声を出してゴホゴホと咳をする。風邪気味なのだろうか。


「そこでやつを見かけた。黒い姿で……、服についてる帽子をかぶってね。最初は女の子を連れて歩いているのかと思ったがその女の子はどことなくふらふらした千鳥足でね。酔っていて帰るのを手伝っているのかと思ったんだよ」


 だから放っておいた。

 だが、翌朝ニュースで路地裏で女性が血を抜かれる被害にあって倒れていたことを知った。


「あの時の子だと直感したね」


 そう言って暗い顔でつづける。


「もうちょっとよく見ていればよかったと思ったよ。なにか出来たとは思えないけどね」

「それはこの先の道のことですか?」


 白雨が問いかける。

 たしかに路地はもう少し奥まで続いているようだった。


「ああ」

「犯人の顔は見えなかったということですが、男か女かはわかりますか?」

「男だね」


 ふん、と鼻を鳴らした。


「女の子はほとんど寄りかかっている状態で運んでいたからね。あと、服のサイズや体型から見てもあれは男だった」

「年齢のほどは?」

「そこまではねえ。何せ暗かったことだし。こんな年寄りじゃないことはたしかだが」


 そう言って老人は乾いた笑いを浮かべた。


「なるほど」

「あと、世間は吸血鬼だなんだと叫んでいるがあれは人間だね」


 こともなげに老人は言う。ここでもオカルト話か。


「なぜですか?」


 白雨が言うと老人は短く答えた。


「カーブミラー」


 老人の答えに思わず京一は間抜けな返事をする。


「へ?」


 カーブミラーがどうしたというのか。


「鏡に姿がはっきり写っていたんだよ。お兄さんは知らないかい。吸血鬼は鏡に写らないんだ」


 初耳であるしそんなことを言われても、と京一は思う。


「大変参考になりました。ありがとうございます、松下まつしたさん」


 そう言って白雨が微笑んだ。

 ん?と京一は思う。

 会話の間で名前を聞いたか?いや、聞いてないはずだ。いくら京一の記憶力が乏しいとはいえ。


「なぜ名前を?」


 老人、松下も不思議そうな顔をする。


「あそこに名前が書いてあるのが見えたので」


 古ぼけた額縁を指差す。

 言われればなんということはない。

 たしかにだいぶ黄ばんでいるが古物商認定という文字と隣に店主の名前、松下まつした風之介かぜのすけと書いてある。隣には『松風』と書いてある松の木を描いた水墨画が飾ってあった。

 なるほど。


「あんた目がいいなあ」

「それほどでも」


 ニコリと笑い、続けて言う。


「そう言えば名乗っていませんでした。不躾ですみません。僕は三輪みわ白雨はくうと申します」


 そう言って小さく頭を下げる。


「変わった名前だね」

「よく言われます」


 三輪?と京一は思った。苗字があったのか。


「三輪ねえ……。なんだかどこかで聞いた気がするんだが」


 松下が遠い目をした時に唐突に白雨は言った。


「ご家族の方が茶道をたしなんでおられるのですか?」


 いきなりなんでそんな質問をするんだ?京一は思ったが松下は意外そうに目を瞬かせた。


「母がね。……もう随分前に亡くなったが。なぜわかったんだい?」


 白雨はすいと指で空中を示すような仕草をする。どうやら宙に文字を書いているようだ。


「松下風之介さん。遊びですが上と下の一字を繋げると『松風』となりますね。壁にかけてある水墨画にもそう書いてあります」 


 すらすらと白雨は言う。


「松風は松の木々の間を風が吹き抜けることを示します。転じて茶の釜が沸く音に似ていることから釜の煮えのことをそういうんです。茶道の用語なのでそこからとったのかと」


 そして悪戯っぽく笑う。


「また屋号にいおりとついていることも繋がりがあるのではないかと考えました」


 松下は感心したように眼鏡のつるを持ち上げた。


「いやはや恐れ入ったね。お若いのにそこまでものを知っているとは」


 京一も鋭いなと感嘆して頷く。

 若いのかはわからないが博識なことだ。そして頭の回転も速い。


「それほどでもありません」


 得意がることもなく、白雨は言った。

 そして袂から紙片を取り出す。


「今日は貴重な話をありがとうございました。また何か思い出したことがあれば、ここに連絡ください」


 携帯電話を持っているのか?と京一は思ったが番号は京一の電話のものだった。

 なるほど。都合がいい使い走りというわけだ。


「ああ。犯人見つかるといいね」


 困ったように眉を下げて松下は言った。

 心根の優しい人物なのだろう。京一は好感を持った。


「ええ。僕も出来る限りのことをします。今日は貴重なお時間ありがとうございました」


 腰を曲げて礼をするので慌ててぺこりと同じ姿勢で京一も頭を下げた。


「こんな年寄りでもよければいつでも寄ってくれて構わないよ」


 ここは少々不気味だが松下さんはいい人そうだ。

 その時、棚から何かが飛び出してきた。


「おっと」


 京一に飛びこんでくるように落ちてきたので慌てて受け止める。


「万年筆?」


 それは古ぼけているが黒い光沢がある立派なものだった。高そうだ、と思ってしまった自分が貧しいようで京一は少し悲しい。

 手に握ってみるとなぜかしっくりときた。

 おや、と松下が言って目を細める。


「あの、これ……」

「もらってやってくれないか。お代はいらないから」

「え、でもそういうわけには」


 京一は無一文だったのでなんとか諸経費くらいはとこれも彪から財布を預かった。

 例によって出世払いだ。

 余計な買い物をするわけにはいかないが、なぜかこの万年筆を引き取りたいと思ってしまった。

 何となく困惑する。


「いいじゃないですか。いただいていきましょう」

 

 なぜか白雨までもそんなことを言う。


「お前さんが気に入ったみたいだからな」


 そう言って松下は頷いた。

 それはまるで万年筆に意思があって京一を選んだ、と言っているようだった。 


「それじゃ、あの……。もらいます。ありがとうございます」


 頭を下げてそっとポケットの中に入れた。

 入ってきたガラス戸を白雨と潜る。


「縁があったらまたおいで」


 暗い店の奥から、穏やかな声で松下は言った。


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