検非違使忠明、罷り通る!

クワノフ・クワノビッチ

第1話 天火様(1)

 雨になるかもしれない。

 足場が悪くなってから面倒なことに巻き込まれたくはないが、それも、今日は避けられないだろう。

 三日後には盂蘭盆うらぼんが始まる。都の全ての機能が止まる前に、せめて賊の足取りだけでもつかみたい。


 その一心から、一人の青年が馬上、清水寺ヘの坂道を上っていた。

 彼の名は、美努理明びどのただあきである。

 身分は低いが検非違使けびいし庁で働く者なのだ。


 検非違使とは、平安時代に、主として京中の非違ひい(法的にはずれている行為)を検察するために設けられた役職である。

 もともとは、衛門府えもんふ(宮中の諸門を守備警護していた役所)の武官が弓箭きゅうせんび(弓矢など武器を持って)宮城内の巡察を行っていたのだが、やがて治安の悪化と共に、それは市井への取締りにまで拡がり、社会情勢の変化とともに新たに編成されなおし常設となった。

 つまり、今で言うところの等に匹敵する仕事だ。

 だが、当時は、犯人の追捕のみならず、裁判や科刑の判断、民事訴訟の受理、そしていち(市場)の管理や、道路・河川の修復などと、細かな民政にまで関与していた。


 当初、理明は犯罪者捕縛に携わる下人(放免ほうめん)らの束ねのようなことをやっていたのだが、ある事件をきっかけに名が知れ渡り、今では捜査の仕事が中心になっている。

 いや、むしろ腕が立つので、事務方の仕事をしたくても、その機会を逃しているのだ。

 そして今日も、捜査を兼ねた参詣にわざわざ出向いている。


 季節は夏。ここは京の都。

 この物語の時代は、平安時代の九九〇年代と随分と昔だが、今の京都と同様に都の夏は蒸し暑かった。いや、むしろこの頃のほうが、気温が高かったらしい。



 そんな、今にも雨が降りそうな都の夏の暑さの中でも、やはり、多くの人々が清水寺に来ている。

 とにかく、高貴卑賤にかかわらず、人々は良縁や繁栄を願い清水詣でに寄り集うのだった。

 また、この清水寺の参道を少し離れると鳥辺野とりべのと呼ばれる地がある。

 そこは人々が極楽を信じて終末を迎え、野辺のべに送られる処でもあった。

 つまり、人々にはばかられる場所で、得体の知れない連中の隠れ場所にもなっていたのである。

 そこで、捜査も兼ねて定期的に見廻っているのだ。


 だが、理明のにはもう一つの目的があった。

 参詣に来る若くて高貴な娘たちの姿を垣間見ることだ。



 幼い頃、理明は亡くなった母に連れられて清水寺で参籠さんろうしたことがある。

 その当時、寺では昼夜こもって祈りを奉げる人々のために、簡単な個別のスペースが用意されており、そこに泊まって祈りを捧げる習慣があった。

 だが、宿泊できるとはいっても、それほど立派なものではない。

 御仏らが奉られている内陣の外側にある外陣部分に、屏風びょうぶ間仕切まじきりを使って小さな空間を作り、畳を敷いて仮眠できる程度にしつらえた簡単なものだった。

 そして理明が母と共に籠ったのは、そんな狭い、およそつぼね(部屋)とは言えないほどの空間だったのである。


 とにかく、そんな限られた空間の中で人々は寝起きし、仏にひたすら祈っていた。

 ある者は官職や位を得る為、また子宝に恵まれたい夫婦、そして病気平癒などと、目的は様々ではあるが、皆一様に真剣な面持ちで祈りを捧げている。

 いや、祈ることでしか、運命が変えられない、……そんなふうに信じられていた時代だったからだ。


 そんな中でも、一角に目隠し用のすだれがひっかけられ、四方から見えぬように囲った、少しだけ広めの局があった。

 おそらく、身分の高い人々がいるのだろう。そんな風に見て取れた。


 当然、そんな場所に連れてこられた子供は落ち着かない。

 最初の頃は、理明も母と共に誦経の真似事をしていたが、すぐに飽きると、堂内をうろつき始め、いろんな人々の顔を覗き込むなど、だんだん悪戯がエスカレートし始めた。

 そして、とうとう退屈しのぎに例の局の簾を上げると、中の人々の顔を覗き込んだ。

 すると、そこには美しい貴族の奥方と、若い侍女、そして理明より少し年上に見える男の子がおり、案の定、この不躾な行動に怒った男の子と喧嘩になってしまったのである。

 その後、騒ぎはすぐに収められたのだが、身分の低い下級貴族の理明の母は、相手方の親が思いの外、高貴な身分なのに驚いた。一歩間違えば面倒なことになるかもしれない非礼だったからだ。ところが、この止事無やんごとない身分の奥方は、心も高邁こうまいな人物で、叱責されるどころか、同じ年頃の子を持つよしみで、菓子を分け、子供同士の仲までとりなしてくれたのである。


 理明は、今でもその時のことが忘れられない。

 局に招かれた時のことや菓子の味まで、それはまるで夢のような一時だった。

 とりわけ、奥方の侍女などは、若くて見眼麗しく、初夏の汗ばむ蒸し暑させいか、衣装を着崩しており、その艶やかな姿と、衣からほんのりとの感じられたこうの香りが脳裏に焼きついて、今でも忘れられない。

 妙な話しだが、この強烈な思い出のために理明は未だに幸せになれずにいる。

 つまり下級貴族でありながら女性に対する嗜好が非常に高くなってしまった。

 そして、今日も懲りずに、この清水坂を上っている。

 もちろん信仰の為だけではない!

 ……とは言え、この時代の人間なので全くのというわけでもないのだが。


 そして、この日の清水寺詣では、彼の人生を大きく変えるきっかけになったのである。



 とうとう、雨が降り始めた。

 従者の若竹丸わかたけまるが、

『ほら見たことか! 』

 という顔で理明の方を見る。

 若竹丸は十五歳になったばかりの利発な少年で、頭の回転が速い子だ。だが、少々、正直過ぎる所がある。

 理明の乗った馬の鼻を軽く撫でると、いかにも

『しょうがないな……』

 と、言いたげに歩みを速めた。

 馬もイヤイヤしながらも坂を急いだ。


「もし、……もしや、天火てんか様ではありませんか? 」


 だらだら続く坂道を行くと、急に、男が馬の前にしゃしゃり出てきた。

「危ないではないか、……誰じゃ? 」

 すると、男は妙に馴れ馴れしく話しかけてくる。

「いや、それ、寺に参られるのですか、……今から? 」

 何かいぶかしがっているようにも見えた。

の知ったことではなかろう? 」

「雨も降りますでしょうに、……それに、今日は厄日ですぞ! 」

 何だか口幅くちはばったいことを言う奴だ。

 そこで、らちが開かぬと馬を速めようとした。

「その……、天火様、今日は、お止めになった方が良いかと」

 男は、まだついて来る。

「おい、……その名を誰から聞いた」

「いや、では、天火様といえば、知らぬ者はおりますまい…… 」

 その一言は、ちょっとした嫌味に聞こえてムッとした。

 だが、その言葉が切掛けで何となく思い出すことができたのである。


 この男は以前、西のひとやに捕われていた者だ。名前までは思い出せないが、見たことのある顔だった。

 さては、にでもなっている者か。

 ……と言っても、放免などは検非違使庁の下働きとして山ほどいるので、いちいち覚えていない。


 ちなみに放免とは、刑を満たした囚人を出獄後に検非違使庁の下部として雇い、最下級の職に付けたものである。

 もともとは再犯防止が目的であったが、犯罪者ならではの情報網にも通じている上に、追捕や囚人護送の最前線で、暴力を伴うの執行も任せられているので、それなりに重宝されていた。


「貴方様のご活躍はよく伺っております。ただ、あまりに忙しくなされますと、今日は余計な騒ぎに巻き込まれないとも……」

 男は好意から話しかけてきたのかもしれないが、理明は無視するように馬を進めた。

「……今、寺に有象無象うぞうむぞうの輩が集っております。まさかの事態が起こらぬとも限りませんので……」

「そうか、では早速、願いが叶うな! 」

 そう言うと、理明はニコリと笑った。

「思いのほか大人数ですぞ、お気を付け下さいませ……! 」

 男の声が遠のいていく。


 折しも、俄かに空が曇りだし、大粒の雨がポタリポタリと落ち始めた。

「やれやれ……」

 横を早足で歩いていた若竹丸が駆け足になる。そこで理明も馬を急がせた。

 すると、とうとう灰色の空から遠雷が聞こえ始めたのである。



 やっとの思いで清水寺にたどり着き、馬駐うまとどめで馬を降りると、理明は、大塔を過ぎた辺りで奇妙な光景を目にした。

 一人の若い女が橋殿はしどのに佇んでいる。

 橋殿とは、清水寺の御堂の前に突き出した部分で、現在の舞台に該当する場所だ。


 女は、次第に激しくなっていく雨にも無頓着むとんちゃくな様子で、放心したかのように、ただ空を仰いでいた。

 すくなくとも、理明には女に見えた。が、女というより、もっと若い、子供なのかもしれない。

 とにかく、薄汚れた衣を着ているが、そのほっそりとした立ち姿は、決して下賤の生まれの者のようには見えなかった。

 激しい雨が降りだし、屋根に打ちつける大きな音が響く。

 ボタ…ボタ……と、激しく雨粒が流れ落ちていく中、そんな音にも動じることなく、女はじっと濡れそぼっていた。


 もしや……?

 脳裏にある考えが浮かんだ。


 ……まさか、飛び降りるつもりか。

 ……確かに、究極の願掛けとして、橋殿から谷へ飛び降りる輩もいるようだが、よりにもよってこのような日に!


 と、そんな女の姿が、今日の理明には何故だか忌々しく思えてきたのである。



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