第23話 固有名詞

「──リリスと申します。どうぞ、お見知り置きくださいませ」


 そして彼女は両手を下腹の、白く仄光る清楚な淫紋の上に重ねて、美しい角度の礼をしてみせた。

 この裸身、よく考えれば私自身のものなのに、羞恥心より高揚感が勝ってしまう。になりそうでちょっと怖い……。


「……リリス……だと……」


 向き合うゴルゴーンは、呆然とその名を復唱します。


 神によってアダムと共に作られた、地上で最初ひとりめ。されど神の意に叛いて楽園エデンを出奔し、悪魔と交わり数多の悪魔を産み──自身もまた悪魔となった。

 その由来を遡るならば夜魔サキュバスの祖、人類最古たる古代バビロニア神話の風と夜の魔処女リリトゥに至るとも。

 

 ──あるいは、魔王サタンの花嫁。


 それがこの世界におけるリリス。

 そして「夜の魔王」──それが異世界におけるリリス。

 異なる世界であろうとも、同じ名を持つ者はそれに相応しい力を持つのが摂理ルール──彼女自身ゴルゴーンが言ったこと。


 屋上に対峙する、二体ふたりの転魔。


 一体ひとりはゴルゴーンを名乗った。三姉妹のメデューサでも、エウリュアレでもステンノでもなく、ただゴルゴーンと。それは彼女の名ではなく、魔物としての種別の呼び名。

 一体ひとりはリリスを名乗った。より明瞭に強き名前──すなわち、固有名詞ネームド


「ッああア! 喰らい尽くせえッ!!」


 確信していた圧倒的優位が足元から覆ったとき、ひとはこんな風になってしまうのか。

 上空から冷静に見下ろす私の視界のなか、蛇髪かみを振り乱す彼女の絶叫に、呼応した蛇たちが四方からリリスを襲う。


「そんなに取り乱して、どうしたの。そっちの世界にもリリスわたしに類する名を持つ誰かがいたのかしら?」


 しかし彼女リリスは、紅い翼を縦横に閃かせて蛇たちをことごとく斬り払いながら、再び小首を傾げてみせた。逆撫でするように。


「だッ……だまれ! だまれだまれッ!」


 図星を突かれたか、さらに激昂した生徒会長ゴルゴーンは胸前で両の手指を複雑に組み合わせる。

 増大していく魔力プレッシャー

 ここで、すべて出し切るつもりなのでしょう。


「そそり立て、無限大呑蛇ウロヴォロス──!」


 屋上に溢れる大小すべての蛇たちが、黄金の燐光に包まれながら彼女の前方に殺到し、絡み合って巨木のような一匹の巨蛇を形作ってゆく。

 黒猫わたしの真横を通り過ぎ、天高くもたげられた鎌首の先で、大型車サイズの頭部があぎとぐわり・・・と拡げた。そして巨大な牙を剥き出し、眼下の獲物リリスを目掛けて垂直落下に転じる。


 加速しながら再び真横を通り過ぎた黄金の巨蛇の頭を、私は小さな翼を羽ばたかせて追います。意識体このすがたでは何もできないけど、なるべく近くで見届けたいから。


 ──夕陽が落ちて藍色に染まった空を背景に、圧倒的質量で襲う捕食者をまっすぐに見上げるリリス。


大魔獣あのこ肉球あれと比べたら、かわいいものね」


 微笑みながら呟いて、頭上に右側の翼をふわりと掲げ──


「──黎伐天刃レーヴァティーン


 魔名をべば、キィンと涼やかな金属音を響かせて翼長がさらに倍以上に伸びます。

 その名称は北欧神話における最強の魔剣だったはず。リリスとは出自のズレ・・を感じるけれど、もしかしたら「同じ名を持つモノは相応の力を持つ」法則によって、転生時に相応の伝承を持つ魔剣ものを与えられたのかも知れない。

 もはや紅の超大太刀と化した片翼で彼女は、巨蛇のあぎとが迫る直上を──天を薙いだ。


 落下と斬撃の激突が、空気を震わせる。


 巨蛇の上顎に並んだ二本の太牙きばの側面に紅の刃が喰い込み、互いにぎりぎりと刃軋はぎしりを響かせ拮抗していた。


 そのとき黒猫わたしは、巨蛇の後方で静かに佇むゴルゴーンから、微かな嘘の匂いを感じました。意識体このすがたのせいで過敏になっているのかも。

 きっと何か企んでいる──直感に従い、ぱたぱた飛んで暗い巨蛇の口の奥を覗き込むと、そこから二又に分かれたピンクの舌がチロリ顔を出す。


『──リリスわたし!』


 私の声にならない声は、間に合うのか。

 一瞬で伸びたそれがリリスの白い喉元に迫る。二又に見えた舌先は、口をいっぱいに開いて牙を剥きだした蛇の頭でした。巨蛇の舌に擬態していたのは、それだけでも充分にアナコンダ級の大蛇。


 しかしその牙は、リリスの艶めく白肌に届く寸前で、静止していた。


 彼女の背後から伸びて蛇体に絡みつくのは真紅の大蛇──いえ、大蛇それと変わらぬ太さの真紅の尻尾でした。その先で相応しく大判になったハートが、尖端から大きく裂けたを開け、鋭く並んだ牙で蛇の喉元に噛みつき拘束しています。


「フフ、いい子ね。たすかったわ、ありがとう」


 グルルルと猛犬じみた唸りをあげるハートの頭(?)を優しく撫でながら、発した彼女の言葉の後半は、私にも向けられていた気がする。

 その眼前では、蛇の牙先からしたたり落ちた透明な液体が、しゅうしゅうと白い煙をあげ足元のコンクリに底の見えない穴を穿つ。


「もう、そんなにあふれさせて、はしたない」


 顔をしかめながら彼女は、指先でするりと蛇の下顎をなぞる。舌に擬態するためか、あるいは魔力リソース切れか、ピンク色の大蛇には鱗がなかった。

  

 ──そう、対魔術防鱗アンチマジックスケイルのない剥き出しの肉に触れて。


「……魔性癖變フィリアライズ……」


 囁いたのは、琳子わたしが使いこなせなかった第三の魔性技ゼク・スキル

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る