冷徹と噂の伯爵様に仕えるメイドですが、主様の婚約者が駆け落ちして主様は捨てられてしまいました。
ちはやれいめい
第1話
「さようならレイド様。わたくし真実の愛を知ってしまったの。病めるときも健やかなるときも、本当に愛する人と生きたい」
主様の妻になるはずだった子爵令嬢、リリアン様は、結婚式場に飛び込んできた青年と手を取り合い去っていきました。
あとは結婚誓約書にサインをして誓いの口付けをするだけだったのですが…………。
主である伯爵、レイド・アルディー様は呆然と立ち尽くしています。
招待客の皆様もざわざわ。
自己紹介が遅くなりました。
わたしはメイ。アルディー家で働くメイドです。
式場の準備のお手伝いもしていたのですが、まさかこのような事態になるなんて予想外でした。
花嫁がいなくなってしまったのですから式を続行できるはずもなく。
そのままお開きとなりました。
主様は表向き何事もないように振る舞っていますが、もう三日、部屋にこもって出てきません。執事が部屋に食事を運んでも、手をつけていないのです。
「ご主人様大丈夫かな。このままでは体調を崩してしまう」
洗濯物を干しながら、他のメイドと話します。
「心配ですね。お部屋の掃除も断られてしまうんですよ。式から帰ってきてから、入浴もしないですし」
我らが主レイド様は今年で御年三十歳。
強面寡黙で淡々と仕事をこなす文官で、冷徹と評されてしまいがちです。
前にも何度か縁談が浮上しましたが、みんな「レイド様は愛想がなさすぎて愛してくれる気がしない」と言って破談になりました。
そしてようやく決まった新たな縁談で、今回のような事態になってしまいました。
使用人一同、悲しみに暮れております。
主様は寡黙なだけでいいところがたくさんありますのに!
「我らが主様の魅力に気付けないなんて、かけ落ちした令嬢は見る目がなさすぎるわ!」
私が拳を固めて力説すると、同じくメイドのユウも力強くうなずきます。
「わたくしもそう思います。ご主人様は物静かで思慮深いのです。これだから若いだけの小娘は!」
かけ落ちしたのは隣の子爵領の次女様です。
もう領地には帰れないでしょうし、この先どうするおつもりでしょう。
主様とお家を捨てた人の行く末なんて知ったこっちゃないですが。
「そうだ、好物。主様は好物なら食べてくれるかもしれません。私も、好きなものなら辛いときでも食べられるし」
「それはいい考えですね。マルセルさんにお願いしてみましょう」
洗濯を終わらせて、お屋敷の料理人マルセルさんにお願いします。
主様が幼少の頃から屋敷に仕えているベテランです。
私達の考えを聞いて、マルセルさんもすぐとりかかってくれました。
執事や侍女も話に加わって、どうしたら主様が元気になれるか臨時会議を開きます。
食事をしないことには体が弱ってしまいます。
体が不調だとお仕事ができない、ひいては領地の運営もまわらなくなってしまいます。
「私が食事を運びます! 主様にうっとうしいと思われてもかまいません。何度でも運んで声をかけます。……私、ここで雇ってもらえる前は孤児院にいました。お父さんに捨てられて、泣いていた私に、孤児院のみんなが毎日声をかけてくれて元気になりました。だから、主様も私たちがいるって思い出してくれたらきっと」
私の両親は、私が五つになる年に離婚しました。
母が外に男を作って出ていって、父はそんな汚い女の血を引く娘なんか要らないと、私を孤児院に置いていったのです。
主様が一人でこもっているのは、捨てられた日の自分のようで見ていて悲しいです。
「……そうだな。落ち着くまで一人で考える時間も必要だが、このままずっと何も食べないのでは体に障る」
執事のローエンさんも理解を示してくれました。
私はワゴンで食事を運び、主様の部屋を訪ねます。
「主様。お食事をお持ちしました」
返事はないけれどいるのはわかっています。
扉をあけて中に入りました。
カーテンが閉め切られて、昼間なのに薄暗い。主様は礼服のまま、ベッドの上で横になっていました。
カーテンを勢いよくひいて窓を開き、新鮮な空気を取り入れます。
責めるような目が向けられます。
「主様、起きてください。もうお昼ですよ。マルセルさんがプディングを作ってくれました。作りたてアツアツのうちが一番美味しいと思います」
「いらない」
上半身だけ起こして、主様は短く答えます。三日何も食べていないせいか、顔色は悪くて声はかすれています。
「主様が食べなかったら、これを捨てることになります。領民のみなさんが毎日頑張って育てた牛の乳と鶏の卵と、キビの糖蜜で作られたプディングです」
「きみが食べればいい」
「使用人が主様と同じものを食べることは許されません」
ベッドのところまで持っていき、スプーンですくい上げて主様に差し出します。
観念して、主様はプディングひとつだけ、食べてくれました。
ようやく、ようやくです。
「なぜ笑う」
「私たち使用人みんな、主様を心配しています。だから、少しでも食べてもらえて嬉しいんです」
「…………ようやく決まった婚約者に逃げられるような、情けない主だ。きみたちもこんな情けない俺にさっさと見切りをつけて、他の領主のもとに逃げてしまえば楽じゃないか」
表情の変化が乏しいだけで、主様はとても悲しんでいます。
これまでみんなを支えてくれた主様を放って、逃げるわけがありません。
「かけ落ちした令嬢の見る目がないだけです。他の家では、私のような孤児院育ちの子どもなど信用に値しないと言って雇ってくれませんでした。拾ってくれたのは主様だけです」
高位貴族に仕える者の多くは、下級貴族や良家の娘。それが侍女や執事です。
孤児院に恩返しするだけのお金を稼ぐには、貴族に仕えるのが一番。
でも身元の確かでない孤児院の子どもを率先して雇う人はいないのです。
「私は幼い頃から知っています。主様が領民のために頑張っておられることを。私はこの領地の孤児院で育ったのですから。だから主様には元気で、笑っていてほしいのです。一人で泣くよりは二人で笑うほうが楽しいですよ」
「……そうか」
それから主様は入浴して、少しずつ食事も取るようになりました。
二日後仕事に復帰して、屋敷のみんな一安心です。
ですがふた月後、アルディー家の屋敷の前に元婚約者様が現れました。
きれいなドレスと貴金属に身を包んでいたのに、すっかり庶民的な服になっています。
庶民的を通り越して、みすぼらしいです。
見たところ、駆け落ち相手は一緒じゃないようです。
「レイド様はどちらにいらっしゃるの?」
ローエンさんがゴミでも見るような目をして応対します。
「ご主人様に何用ですか。面会予約はないようですが」
「わたくしはリリアン。レイド様の婚約者。忘れたとは言わせません」
「婚約は破談になっております。どこかの令嬢が原因で。令嬢のご両親がレイド様に慰謝料を払ったときの書面をご所望ですか?」
ローエン様の後ろに、使用人一同、手に手にモップやホウキを持って揃います。
「あれはいっときの気の迷いですわ。愛想がなかろうとレイド様は伯爵ですもの。生活の安泰は保証されていますし……」
元婚約者様がおかしなことを言い始めたので、私は口を挟みました。
「貴女には真実の愛で結ばれた恋人様がいらっしゃるのでしょう。病めるときも健やかなるときも、そばにいると誓った恋人が。それなのに、なぜ主様のもとに来たのですか。もしかして恋人付きで嫁入りするおつもりですか」
「ち、違うわ! ただのメイドが今日から女主人になるわたくしにそのような態度を取って、許されると思っているの?」
この方。なぜ主様を捨ててかけ落ちしたのに、主様と寄りを戻せると思っているのでしょう。
まあ、生まれたときから贅沢な暮らしだったお嬢様です。
使用人なし、自分のことは全部自分でしなければならない庶民暮らしは肌に合わなかったようです。
「何を騒いでいる」
タイミング悪く、主様が帰ってきました。
馬から降りて、元婚約者と対面します。
「レイド様。わたくしです。あなたの婚約者のリリアンです。あなたの妻になるために帰ってきましたわ」
「……不審な侵入者がいるな。お引き取り願おう」
主様がパンと手を叩くと、屋敷の護衛が左右から元婚約者様を捕まえます。
そのまま敷地の外へと引きずっていきます。
「ちょっと、わたくしはこの家の女主人になる……」
「アルディー家の女主人なら、もうここにいる」
主様は手を伸ばし、私の手を取りました。
「帰りが遅くなってすまなかった、メイ」
「いいえ、レイド様。おかえりなさいませ」
無愛想で冷徹といわれたレイド様が、不器用な笑みを浮かべます。
とてもとても優しい笑顔です。
このふた月の間に私は主様に求婚されて、つい先日入籍をしました。
十も年が離れていますが、他の貴族に「所詮庶出の小娘だ」と侮られないよう、がんばります。
屋敷を追い出された元婚約者様は、ご実家から勘当されていてそちらにも戻ることが叶わず、真実の愛で結ばれたかけ落ち相手と小さなアパルトメントで暮らしているそうです。
市場で力仕事をする日々は彼女には辛いようで、喧嘩の絶えない家庭だと伝え聞いています。
いかなる障害も、真実の愛で乗り越えてほしいですね。
私はレイド様と結婚したあとも、こまめに孤児院に顔を出しています。
私のような事情で引き取られた子ばかりでなく、戦災孤児もいます。
この子達が安心して大人になれる良い領にしたいです。
こうして、無愛想で冷徹と呼ばれた伯爵様はメイドを妻に迎えて、まわりが驚くほどの愛妻家として名を馳せるようになりました。
冷徹と噂の伯爵様に仕えるメイドですが、主様の婚約者が駆け落ちして主様は捨てられてしまいました。 ちはやれいめい @reimei_chihaya
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