朱い夜の祭

ゐ己巳木

序章

その日は、赤い月が出ていた。


家に居るのがどうしようもなく嫌になり、辺りは暗いというのに家を飛び出してきてしまった。息が荒い。一人呼吸を整える。


「……誰もいないな。」


とりあえず、よく家出をするいつもの公園に行ってみたが、もちろん人っ子一人いない。


走ってのどが渇いたので、飲み物を買おうと自販機に寄ったが、本当に急いで出て行ったので、スマホと僅かなお小遣いしか持ち合わせていない。


本当はあまり使いたくないが、仕方なく水だけ買った。


大切な水をチビチビ飲んでいると、遠くから何かが聞こえるのに気づいた。


ヒュロロロロロロロロロ


「笛の音?」


半ばその音に誘われるかのように、気づけば音の主の元にたどり着いていた。


長い長い石階段の上にある、朱色の大きな鳥居。


先程の笛の音に加え、太鼓の音も聞こえる。これは間違いなく祭囃子だ。きっとこの上の神社でお祭りでもしているのだろう。


とにかく、あの静けさから抜け出したかった。



◇◇◇◇◇   ◇◇◇◇◇   ◇◇◇◇◇



決して静かなのが嫌いなわけではない。むしろ、好きなくらいだ。


いつも家では父と母が喧嘩していた。物が倒れる音も、障子が破れる音も、母の悲鳴の後に聞こえる父の怒鳴り声も、嫌というほど聞いてきた。その度に自分の部屋に引きこもっては、母のすすり泣く声と父の謝る情けない声を聞いた。


こうして夜勝手に出歩くのも一度ではない。

一人夜空の下過ごしていると、あれだけ怯えきっていた心がだんだん落ち着いてくる。だから静かなのは好きなはずなのだが.........


今回は違った。


家でも外に出ても、何か心の底から恐怖を感じていた。外を走っているときも何かに追われているような気配がしてならなかった。


自販機の灯りを見てようやく落ち着いた所に、“あの音”が聞こえ、導かれるようにここに来たのだった。



ふと、おいしそうな匂いが鼻をくすぐる。


露店だ。食べ物がある。急激におなかがすいた。そういえば、夕飯を食べていない。


慌てて財布の中身を確認する。


「……1500円かぁ。」


これくらいなら、何か一品くらいは買えるだろう。とりあえず腹に何か入れられればいい。


財布を少々乱暴に上着のポケットに突っ込み、フードを被った。

階段を上ろうと、右足を一歩前に出したその時、


「そこのお嬢さん。」


不意に誰かから声をかけられた。こんな夜中に誰だと警戒していたが、不思議と聞き飽きない声だったので、私はいつの間にか声の主を探していた。しかし、それらしき人はいない。


「……………ここですよ。」


今度は上の方から聞こえたので、上を見てみると、いた。

石階段の周りにある、岩の上の灯籠にもたれかかるように座っていた。


「あ、ようやく気づきましたか。」


その時の私は、きっとこの声の主を警戒して、怖い顔で睨んでいたのだろう。


「確かに、こんな夜中に未成年者に声を掛ける私は怪しい人物かもしれません。しかしあなた、この祭りに参加されるのでしょう。」


「そうだけど……それが何?」


「そうですか、なら……」


その者は、岩から飛び降り、小さな露店の明かりをつけた。


「この祭りに参加されるのなら、御面をつけていったほうがよいでしょう。」








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朱い夜の祭 ゐ己巳木 @kotobukisushi

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