これは悪しき勇者を討ち倒す魔王の物語〜百年後に転生した魔王は「罪滅ぼし」の旅に出る〜

アキ・スマイリー

第1話 悪しき勇者

 


「そんなに怖がらなくても大丈夫ですよ。私は勇者です。『爆裂』の勇者ラムザ。魔物を退治する、正義の味方ですよ。勇者はみんなの憧れ。そうですよね?」


 勇者を名乗る青年の、おぞましい笑顔。その時、僕には何が起きているのか理解できなかった。ただ、これが夢なら覚めて欲しいと願った。目の前で起こっている惨劇は、とても信じがたいものだった。


 前世の罪に匹敵するぐらいに。


 僕の前世は魔王ヴァルザール。今は優しい両親に育てられている、人間の子供だ。前世の悪行を償う為、一日百善を目標に頑張っている。


 僕の家はパン屋をやっていて、両親は家屋の一部である店舗の方で忙しく働いていた。


「ファル、ちょっと手伝って!」


「うん! 今行く!」


 家のリビングと店舗の間の廊下を掃除していた僕は、急いで店舗へと駆け込んだ。


「お待たせ!」


 そう母さんに声をかかけた瞬間、目の前の光景が変わって見えた。


 僕が大好きなパン屋の店舗。それ自体は変わらないのだが、何故か出入り口のドアが壊れていて、さっきまで買い物を楽しんでいたはずのお客さん達も消えてしまった。


 それに今声をかけた筈の母さんの姿も見えない。パッと消えてしまったみたいに。どう考えても異常だ。


「きゃあああッ!」


 右手の方から叫び声が聞こえて、そちらを見る。母さんの声だ!だが僕が目を向けた瞬間、大きな爆発が起こった。店舗の屋根や壁が吹き飛ぶ。そして母さんの体は、壊れた人形のようにバラバラに飛び散った。


「!?」


 僕は驚きのあまり、声が出なかった。感情が渋滞している。


 爆発が起こった場所には青年が立っていた。


「ふふふ。だから、どいて下さいと言ったではありませんか。全く鈍い女だ。まぁ、魔物は仕留めたので問題ありませんが」


 青年は真っ赤に染まった床の上を歩き、そこに転がっている血まみれの魔石を拾い上げた。周囲には母さんの体の他に、おぞましい魔物の肉片も散らばっている。


「ほう……雑魚魔物の体内にあった割にはいい魔石だ。かなりの魔力がこもっている。魔法省に高く売れそうです」


 青年はニンマリと笑った。


「あ、ああ......」


 右奥の方から父さんが出て来た。店の裏でパンを焼いていたのだ。


「これは一体......ミレイユは......ああ!」


 父さんは吹き飛ばされた母さんの頭部を発見し、それを胸に抱いて大声で泣いた。


「あああああ! ミレイユ! ああああーッ!」


「やれやれ。耳障りな声を出さないでいただきたい。もう死んでいいですよ」


 青年が父さんに向かって手のひらを向けると、再び大きな爆発が起こる。


 大きくて優しくて、頼りがいのあった父さんの体も、バラバラの肉片に変わった。


「はぐ、あぐ、ひっ、ひっ......!」


 声がうまく出せない。息が苦しい。心臓が握られているような感覚。


 怒り、悲しみ。それを覆い尽くす程の圧倒的な恐怖。


「おや。もう一匹家族がいたのですね。良かった、おもちゃが残っていて。ついつい一撃で殺してしまうんですよね。それじゃあ楽しめないのに」


 青年は不気味な笑みを浮かべたまま、僕に向かって歩いてくる。今度は手のひらではなく、指先を僕に向けている。


「そんなに怖がらなくても大丈夫ですよ。私は勇者です。『爆裂』の勇者ラムザ。魔物を退治する、正義の味方ですよ。勇者はみんなの憧れ。そうですよね?」


 僕の体は震えていた。この青年に対する恐怖、だけではない。かつて自分の犯した罪の深さに、心底震えていた。


 思い出したのだ。自分がかつて、魔王として人間を虐殺した具体的な記憶を。


 今までぼんやりとしていた記憶。だが、この勇者ラムザの非道な行いがきっかけとなり、記憶の蓋が外れてしまった。


「ふふふ。さぁ、遊びましょう。どれくらい長く生きていられるか。それを競うゲームです」


 青年が僕の左腕に指先を向ける。すると肘関節の辺りが破裂し、そこから下が吹き飛んだ。


「ぎゃあああッ!」


 痛いぃぃ......!


「あ、やりすぎてしまいました。右手は爪の辺りからゆっくり壊していきましょう。その方が、長く生きられるでしょうしね」


 うわずった声でそう話す勇者ラムザ。楽しくて仕方がない、と言った様子だ。


「ゆ、勇者がこんな事して、いいの? 魔法憲兵に、捕まる、よ」


 僕は震える声で、ようやくそう言った。


「ああー、その事ならご心配なく。勇者はね、魔物退治という大義名分さえあれば、どんな罪にも問われないんです。何しろ魔物を倒せるのは生まれながらに神からの『恩寵ギフト』を授かっている勇者だけですから。それに勇者は皆、王族ですしね。権力って、偉大ですよね」


 ボンッ。今度は右手の親指の爪の辺りが、風船が割れるみたいに吹き飛んだ。左腕からも、右手の親指からも、沢山血が出ている。


「うぎぃ......ッ!」


 痛みで気が狂いそうだ。だけど、意識がぼんやりして来た。血が少なくなって来たんだ。


 そうか。もう直ぐ死ねるんだ。良かった。父さんと、母さんに、会える。


「おやおや、まだ死んじゃダメですって。ああ、そうか。子供だから血が少ないんですね。仕方ない。残念ですけどちょっと急ぎましょう。死ぬ前にいっぱい楽しみたいので」


 ラムザはそう言って、僕の足の爪先から順番に爆破させて行った。


「うわぁぁーッ!」


「ちょっ、どうしたの、ファル!」


 目の前に、母さんが居た。いつのまにか、景色が戻っていた。いつもの店の風景だ。母さんも、バラバラになってない。


「母さん! 母さん! うわぁぁん!」


 僕は母さんに抱きついて泣きじゃくった。


 夢だったんだ。僕は立ったまま、夢を見たんだ。そうに違いない。


 良かった。本当に。夢で良かった......。


 母さんも父さんも僕の様子が只事ではないと思ったらしく、店を一旦お休みしてくれた。


 そして未だ震えが止まらない僕がベッドで横になった後も、しばらく見守ってくれた。


 僕はいつに間にか眠っていたようだった。目覚めのまどろみの中、二人の話し声が聞こえた。


「本当にどうしたのかしら。ファルがあんな大声出したの、初めてよ。お医者様は、ストレスかも知れないって言ってたけど」


「まだ十三歳の子供だ。怖い夢でも見たんだろう。最近、魔物が街の周辺でも目撃されている。そろそろ町長に勇者様を呼んで貰わないとな。防壁を破られる可能性もある。ファルは大人達がそう話しているのを聞いて、不安になったのかも知れない」


 勇者……。魔物を退治するのは街を守る番兵や、治安を維持する魔法憲兵では出来ないらしい。町長が大金を払って、勇者を街へ召喚するのだ。


 夢の中では、勇者ラムザが魔物を倒すついでに、僕ら家族を皆殺しにした。


 だけどあれは、本当にただの夢なのだろうか。妙に生々しかった。


 夢ならいい。だけどもし、これから本当に起こる事なのだとしたら。


 胸騒ぎがした。直感だけど、あれは近い未来、必ず現実になる。その気持ちは徐々に確信へと変わった。


 あの勇者は倒さなくてはならない。彼の瞳は、まるで前世の僕のように狂気に満ちた瞳だった。


 前世の僕の大罪。百年前、魔人達の王、魔王ヴァルザールとして魔人の軍を率い、人間の約半数を虐殺した罪。


 人間に奴隷にされていた魔人達。僕はその代表として立ち、魔王を名乗った。僕は人間に反旗を翻したんだ。


 だけど、やりすぎた。罪のない人々まで殺めてしまった。混沌の邪神ケイオスに怒りの感情を利用され、僕は洗脳された。狂っていた。決して許されない事をした。


 だからせめて。僕はその罪滅ぼしをしなければならない。生き残った人々やその子孫達を守り、助けなくてはならない。勇者ラムザが魔王の転生者である僕だけを殺すと言うなら、それは甘んじて受け入れよう。だけど、違う。


 彼は人殺しを楽しんでいる。それは絶対に止めなければならない。前世の僕は勇者オルラスに殺してもらう事が出来た。止めてもらえた。だから今度は僕が、ラムザを殺さなくてはならない。


 全身の血が沸き立つような感覚。眠気は既に吹き飛んだ。父さんと母さんが部屋を出たら、ラムザを倒す方法を考えて実行に移そう。


 普通の人間である僕に魔力は無い。だけど、魔王の時に培った魔術の知識がある。


 魔術は魔法と違って魔力が必要ない。そのかわり、儀式が必要になる。現代には一切語り継がれていないみたいだけど、僕の頭には無数の魔術知識がある。


 父さんと母さんは僕の寝顔を見て安心したのか、お店の営業を再開する事にしたようだ。二人が部屋を出て行って少し経った後、僕は起き上がってベッドを降りた。


 窓の外は明るい。壁にかかった「魔法時計」を見ると、まだお昼だ。


 僕が倒れたのが朝方。それほど時間は経っていない。今からラムザを倒す為の魔術を選んで、パン屋の店舗に設置する。


 ラムザがここにやって来るのはいつだろう。あの予知夢のような幻の中では、角度的に時計もカレンダーも見えなかった。


「勇者を倒す算段がついたか。魔王ヴァルザールよ」


 僕はドキリとして、声のした方を見る。いつの間にか部屋の窓が少し開いていて、そこに青い小鳥が止まっていた。


「私は神の使いチルミ。朝方、お前に勇者ラムザの悪行を見せたのは私だ。あれは今から三時間後、現実に起こるぞ」


 小鳥は首をかしげながらそう言った。喋る鳥は初めて見たけど、まぁ、神の使いなら喋れても不思議はないかもね。ちなみに鳥が首をかしげるのは、利き目でしっかりと対象を見ているのだとか。


「三時間後に実際に起こるんだね。成功するかはわからないけど、僕はラムザを倒すつもりだよ。それと君は、僕の前世が魔王だった事を知ってるんだね、チルミ」


 するとチルミは羽ばたいて、僕の肩に止まった。


「ああ、そうだ。光の神ルクスはお前を代行者である『神の使徒』に選んだ。今この世界で勇者に対抗出来るのはお前だけだ。お前だけが、勇者に警戒される事なく近づき、そして倒せる」


「僕だけが...」


「ああ、そうだ。両手のひらを上に向けて出せ」


 チルミの言葉に従い、僕は両手を広げて並べ、前に出した。すると僕の手のひらに、鞘に納められた一本の短剣が出現した。


「それは審判の短剣。突き刺した対象の罪を滅ぼす事が出来る」


 罪を滅ぼす?


「それってどう言う意味?」


「文字通りの意味さ。対象者の犯した罪、そのものを滅ぼす。例えば殺人を犯していた場合、その殺人の事実そのものが消滅し、殺されたものは死ななかった事になる。そして神の使いである私と、神の第一使徒であるお前以外は、それに合わせて記憶も改変される」


 !?とんでもない能力だ。って事は...。


「僕の前世の罪も、消せるのかな?」


 僕が魔王として行った虐殺。亡くなった人たちが、生きていた事になれば...。歴史は大幅に改変される事になる。


「残念ながらそれは不可能だ。滅ぼせる罪は五十年前まで。お前の前世での罪は百年以上前だからな」


「そっか...」


 やはり、償いは続けなくてはならない。


「その短剣を使って、勇者の罪を滅ぼすのだ。そうすれば、犠牲者達は救われる。お前の両親もな」


 朝方見た、勇者ラムザの虐殺の事だろう。


「あのさチルミ。例えばだけど...三時間後に事件が起こるのなら、その前にここから避難したらどうなるの?運命は変わるの?」


 素朴な疑問だった。


「いいや、変わらない。あれは確定した未来だ。必ず起こる。それを覆したいのなら、あの光景を見た上で、ラムザをその短剣で突き刺さなくてはならない。成功すれば、ラムザの罪は消えてお前の両親や、奴の犠牲者達は助かる」


 まじか...じゃあ僕の両親も、僕の肘や手の指も、足のつま先も吹っ飛ばされるの確定なのか...。やだなぁ。










 

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