24.5話 夕日よりも輝く色



「ウルベルト、好きな女性ひとには花を贈るといい。花は毎年咲くから、それを見る度に思い出してくれるだろう」



 昔、兄からそう言われた。だからウルベルトはメルアンに花を贈った。自分の声を聞く特別な女性を、好きだと思ったから。……しかしそれは恋ではなかった。

 彼女に恋をしてからも花を贈った。しかし、恋する以前に贈った花のせいで、その真意を汲み取ってもらえなくなってしまった。


 それを相談した兄から仕方なさそうに「紋章の花」の助言をもらい、そしてようやく己の気持ちをメルアンに理解してもらうことができたのである。その後、婚約の準備を進めている際に起きたのが「森の王の子共が誘拐される」という、前代未聞の事件だった。


(メルアンのおかげでどうにか丸く収まったが……問題はそのあとか)


 ――結局、その犯人はウルベルトや現王ヴァルトの祖母にあたる、太王太后たいおうたいごうのロザリアだった。

 それを伝えた後、ヴァルトは「頭が痛いよ」と、酷く悲し気に呟いた。痛いのは頭ではなく、胸だったのではないだろうか。


(私たちにとっては祖母だ。……父が消えたことで精霊を忌む気持ちは、分からなくもない)


 ウルベルトの記憶に父のことはほとんど残っていない。忙しい国王は、声を持たない息子を気に掛ける暇はなかった。

 しかしロザリアにとっては大事な我が子だ。彼女は息子が精霊に隠されたまま帰ってこないことを恨み、その恨みはやがて「精霊に頼るべきではない」という思想へと変わっていく。精霊と協力するのではなく、その力を搾取する方法。精霊の隷属化を研究し始めた。資料室から発禁の資料を持ち出した犯人も彼女だった。……王族であれば記録を残さずに資料室へと入れるのも当然だろう。



「精霊は災いだ。こんなものと共に生きるなど、不可能だ。相手は言葉の通じぬ異形だ、怪物だ。ああ……わたくしの息子を返して……どうしてわたくしの子を奪ったの、許せない、許さない……怪物どもめ……」



 久々に見たロザリアは、威厳と誇りある王族であった面影も消え、乱れた白髪の隙間から血走った目が覗く鬼と化していた。精霊への呪詛を吐き続ける彼女はすでに壊れてしまっている。

 罪を犯した王族は生涯を終えるまでを罪人の塔に監禁されることとなる。しかしロザリアの体は病に侵され、もう長くはもたない。それが思想や行動を狂わせる一つの要因だったのではないかと診断された。

 塔へ収容される間、いや収容されても彼女は呪詛を吐き続けた。その声はウルベルトの心をも蝕みそうなほどの怨嗟にあふれ、耳を塞ぎたくなるほどだった。


 彼女に付き従い、森の王を攫った実行犯の二人は死刑が決まった。長くロザリアと共にあった侍従だ。暗い目のまま素直に犯行を自供し、処刑も拒絶することなく受け入れた。彼らもまた、疲れ果てていたのだろう。


(……私も疲れたな)


 これは表沙汰にできない事件だ。そもそも先王の誘拐事件から国民には隠してきたもので、そこから始まっている今回の件も公表できるはずがない。精霊との関係や王族の不祥事は、国を揺るがしかねない情報である。こういう後ろ暗い出来事をもみ消し、何事もなかったかのように平穏な国を築くのもまた王侯貴族の仕事だ。

 当事者は少ない方が良いため、事後処理に当たったウルベルトは疲弊していた。王城の自室に戻ったというのに、まだ耳の奥に祖母のどろりと暗い声が残っているような気がしてならない。



「坊ちゃま、お疲れでしょう。少しくつろがれてくださいませ」


『……ああ』



 その呼び名に反応する力もないほど疲れているウルベルトに、執事のバトーがいつもの紅茶を淹れてくれたようだ。贔屓にしている菓子店のチョコレート菓子も添えられている。

 それらを口にすることで少しだけ気分を宥められたところで、バトーは別の話を切り出した。



「ところで坊ちゃま。……お待ちの品が届いておりますよ」


『! そうか、出来たか。それと坊ちゃまはよせ』


「……ああ、よかった。お元気が出たようですね。晴れやかなお顔をしていらっしゃる。さあ、こちらです。先方にもお届けしたとの連絡もございましたよ」



 差し出された物を確認する。それは紋章入りで作らせたペンダントで婚約式に使うものだ。これがなければ婚約はできない。

 婚約の準備で一番時間のかかる物が紋章入りの装飾品である。大事な相手に贈るのだからデザインや材質にもこだわった。問題ない仕上がりに自然と頬が緩む。


(メルアンの方も出来上がったようだからな。……あとは日取りを決めるだけだ)


 婚約式は結婚式のように客を招待したり、会場や料理を用意したりする必要はない。どちらかの家で、立会人のもと婚約の書類にサインをし、紋章入りの装飾品を交換する。今回はディオット家を訪れる予定だ。婚約の装飾品が出来上がったのなら、日程さえ合えばいつでも執り行える。



「それでは坊ちゃま、御用があればベルでお呼びください」


『ああ』



 テーブルの上に婚約の装飾品を残し、バトーは退室した。明かりに照らされて輝くそのペンダントに目を細めていたウルベルトは、照明の明かりを灯していた精霊が近づいてきたため慌てて箱の中にしまい隠す。



『これはだめだ。触るな。絶対にやらん』



 精霊は何か言っているが、メルアンが居なければそれを知ることはできない。渡す気がないことは宣言したので、勝手に何か願いを叶えて盗っていくことはしないだろう。……しかしそれでも心配で、ウルベルトはその装飾品が入った箱を肌身離さず持っておくことにした。


(そうだ、手紙を書かなくては。婚約式の日取りを決めなくてはならないからな)


 そうして機嫌よくペンを取ったウルベルトは、いつものようにメルアンへと手紙を書き始めた。挨拶や要件を書き終えた後、どう愛の言葉を表現しようかと考えたところで手が止まる。


(…………文字でない方がいいのではないか?)


 先日、森の王の元へその子供を返した後。馬車の中で彼女は言った。「私が貴方に恋した時は、貴方の愛を囁く声に応えたい」と。

 あの瞬間、よく彼女を抱きしめるのを堪えられたものだと思う。夕日に照らされ、それよりも強く輝く金の瞳がとても美しかった。

 思い出しただけで胸の中が熱くなり、彼女の芯の強さを感じられる声を愛おしく感じる。……気づけば耳の奥に残っていた怨嗟の声も、かき消されていた。


(全く……本当に、特別な人だ)


 ウルベルトにとって自分の声に応えてくれる人がいる、というのは特別な現象だった。声に応えて愛を伝えたいと言われたことが、何よりも嬉しい告白であると彼女は気付いているだろうか。いや、きっと気づいていないだろう。何せウルベルトは無自覚に煽ってくるメルアンのせいで、心を乱され続けている。

 一応まだ婚約者になっていないのでそれなりの距離を保とうと努めているのに、堪えさせないつもりなのだろうか。……一度抱き上げはしたが、あれは足腰が立たなくなった彼女を運ぶためなので不可抗力だ。


(……婚約者になったら抱きしめるくらいは許されるはずだ)


 貴族の結婚は基本的に一年の婚約期間を置く。恋人として噂されていたならなおさら、婚約期間は必要だ。であったことを証明するため、メルアンの名誉を考えても結婚まではそれだけの時間を置くべきである。

 しかしその期間、おそらくウルベルトはメルアンに無自覚なまま口説かれ続けるのだ。一年という時間は途方もないものに思えてきた。


(ちゃんと私に口説かれる気があるのか疑問だな)


 次に会った時はどんな言葉を贈ろうか。そう考えながら、手紙には「私の気持ちは会って直接伝える」とだけ書いた。

 

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