24話 夕日の色



 馬車がルクシアの森に到着し、私たちが森の前に立った時、侵入を防ぐための茨がまるで生き物のようにうごめき、道が開いた。

 どうやら森の王は我が子の帰還を察知したようだ。ただし茨は消え去った訳ではなく、道を開けた程度である。……まだ彼の王の怒りが解けていない証拠だ。



「来い、ということですよね」


『もうちょっとここで待ってればたぶん、我慢できなくて出てくるよ。メルアンは疲れたでしょ? 待っててもいいと思う』


「王に迎えに来させるなど、さすがにそれは不敬のような……」


『……行くぞ、メルアン。王の怒りを少しでもなだめたいからな、待たせるなど言語道断だ』



 馬車の中でもそうだったが、意見の合わない一人と一体である。ウルベルトはゼリスの声が聞こえないはずなのに、私の受け答えである程度の内容を察しているらしい。

 私を挟んでにらみ合うような両者に苦笑しながらも並んで森の中へと進んだ。そうすると、ゼリスの帰還を喜ぶ精霊たちの声があちらこちらから聞こえてくる。どうやら彼は精霊たちからとても愛されているらしい。


 やがて社の間までやってくると、腕を組んで仁王立ちしていた森の王の姿も見えた。王はじっとこちらを、というよりゼリスを見つめている。ゼリスはそんな父親の元に駆け出していった。



『父さま、ただいま!』


『……おかえり。何をされた? 体に異常はないか?』


『大丈夫! 助けてもらったからね』



 親子の再会を静かに見守る。心配していた森の王も、ゼリスの様子を見ているうちに本当に無事だと理解できたのか、少しずつ表情が和らいでいく。

 しかし、その目がこちらを向く時には刃物のように鋭くなった。……やはりまだ怒りは解けていないらしい。背筋が冷たくなる。



『……我が子は無事に戻った。だが、人間が身勝手にこの子を害そうとしたのは事実だ。腹の虫は治まらぬ』


『もう、父さま。そんなこと言わないで許してあげてよ。僕、彼女と友達になったんだ』


『…………友に?』



 驚きと困惑と、その他様々な感情が入り乱れたような、複雑な表情で私を見た森の王は、己の顎を撫でて何か考え込んでいる。そんな父親にゼリスはいかに大事な友か、いかに私のことが大好きかと語っていた。愛されている子供ゆえのアプローチの仕方だ。



『どういう状況だ……?』


「ゼリスが森の王を説得してくれています。人間の友ができて、大好きだからもう怒らないでほしいと……」



 ゼリスの話を聞きながら我が子と私を幾度か見比べて、森の王はようやく表情を和らげた。もしかしたらこのまま怒りを解いてくれるかもしれない。そんな期待に耳を傾けた私は、飛び込んできた言葉に悲鳴を上げそうになった。



『やはり我が子だな。そんなに気に入ったのならあの人間を嫁にすると良い』


「っ……嫁……?」



 何故そうなる。いや、一度人間を嫁に迎えた森の王だからこその思考かもしれない。我が子が気に入ったなら人間でも嫁にしていいという、王なりの親心。しかしこちらの都合も考えてほしい。そしてゼリスも笑っているだけで否定しないので、このままでは聖域への嫁入りが決まってしまいそうだ。



『待て、まさかお前を嫁に迎え入れると言っているのか?』


「はい。そんな話をしています……」


『メルアン、相手が何か返した場合は教えてくれ。……その話、待っていただきたい!』



 ウルベルトが親子の会話に割って入った。彼は森の王が不愉快そうに見下ろしても全くひるまず、紅色の瞳でまっすぐにその目を見返している。私も会話を手伝うために、その隣へと歩みを進めた。



『彼女は私の婚約……私の妻になる人間です。それなのに彼女を嫁にしよう、という話は受け入れられません』


『その言い方、まだ結ばれてはいないのだろう。……その人間を我が子の嫁とするなら許してやるぞ。我が子は人間の話し相手が欲しいようだからな。その人間の寿命分くらいは慰めてやれる』



 ゼリスにとっては私だけが唯一話ができる人間だ。森の王はそんな我が子のために、聞く力を持つ私をあてがいたいと考えているのだろう。まるで、我が子が欲しがる玩具でも買い与えるように。

 森の王の言葉を伝えるとウルベルトは苦々しい顔をして、苦しげな声を絞り出すようにして話し続けた。



『精霊にとっては一時の慰めでしょう。……しかし私にとっては一生の問題です。私の声は、彼女にしか届かない。森の王は以前も聞こえる耳を持つ人間を花嫁とされた。その後も生き続け、新しく聞こえる耳を持つ彼女に出会った。精霊であれば再び出会う時間がある。……しかし私には、彼女しかいないのです。どうか奪わないでいただきたい』



 切実な願いの込められた声だ。今にも泣いてしまいそうなほどの情感が込められたその声に、私の方が泣きたくなってしまう。

 ウルベルトにとって、私がどれほど大事な存在なのか。それは想像するしかないのだけれど、少なくとも彼の声から伝わってくる分だけでも、その想いはとても強いものだ。



『我は人間よりも我が子が大事なのでな。なあ、ゼリスよ』


『うーん……メルアンはどう思う? 母様が居なくなって、僕はずっと寂しかったよ。たった数十年でも僕はまた人間と話ができたら嬉しいし、傍に居てほしい。母様みたいに、毎日寄り添ってたくさん話したい。……でも、人間にとっては彼の願いの方が正しい? 僕の願いは君にとっても価値がないのかな』


「……私は……」


 そう問われて迷った。ゼリスの寂しさはウルベルトの孤独とは比べ物にならないはずだ。しかし人間の母を失ったゼリスにとってもまた、私は特別なのだろう。人間の短い時間でできる限り傍に居るために、嫁という名の家族として手に入れたいのだ。

 精霊の我儘だと簡単に片づけられることではない。私は人間だからウルベルトの気持ちの方が理解できるし、同情してしまう。しかしゼリスの声にもまた悲痛な感情は滲んでいて、その願いに価値がないだなんて言えなかった。


(相手の声は聞こえるのに、自分の声が届かないもどかしさは分かるわ。けれど……)


 私が居なければウルベルトは同族人間とも話せない。筆談を交わすしかないのである。コミュニケーションが取れないわけではないが、不便で――。



「……あの、ゼリス。文字を覚える気はありませんか?」


『文字……?』



 ゼリスは首を傾げ、森の王も不思議そうな顔をして、ウルベルトもよく分からないという表情で私を見ている。しかし、私はこれが名案だと思ったのだ。



「文字とは、言葉を記号で記したものです。それを知っていれば声が聞こえずとも相手が何を言いたいのか伝わりますし、伝えられます。……私の一生は、ゼリスにとっては短い時間でしょう。私が居なくなった後は結局、寂しい思いをします。だから……私が居なくなっても人間と話ができるように、文字を覚えればいいのではないかと思ったのですけれど」



 そうして精霊が文字を読み書きできるようになればやがて、私とウルベルトがいなくても彼らと意思の疎通が図れるようになる。直接話せるよりは不便だろうが、声の届かない隣人が言葉の届く隣人に変わればそれは、世界が変わると言っても過言ではないのではないか。

 そして精霊との行き違いがなくなれば、今回のような事件も起こらなくなるかもしれない。……精霊と人が本当に共存共栄できる未来が、やってくるかもしれない。



『それはつまり、目で見る言葉ってことだね……! わあ、それはいいなぁ!』


『……よく分からないが、我が子はとても喜んでいるようだな』


『父さま、メルアンが文字というのを教えてくれて、彼女がいなくなっても人間と話せるようにしてくれるんだって!』


『ほう……そのような方法があるのか。よし、ではそれでもよいぞ、人間。それならば……この先我が子が寂しい思いをすることはあるまい』



 どうやら丸く収まりそうである。多くの人間と精霊が会話できるようになる、という話は彼らにとっても魅力的に思えたようだ。

 森の王の言葉をウルベルトに伝えると、彼もほっとしたように表情を和らげた。



『……お前を奪われないなら何でもいい。他の要求ならどんなことでも呑もう』



 それから少しばかり話し合い、森の王から怒りを解いて森を元に戻すという言質を取った。

 私がゼリスに文字を教えること。ゼリスを誘拐した犯人をしっかり裁くこと。二度目はない、ということ。私たちはこれらの話を持ち帰り、国王へと報告する必要がある。



『またね、メルアン! ……もしあの人間に愛想が尽きたら、いつでも僕のお嫁さんになっていいからね!』



 とびっきりの笑顔でそんなことを言うゼリスに苦笑しつつも手を振って、別れを告げた。ウルベルトは愛らしい顔立ちの黒鹿をじっとりと睨みながらも森の王へと一礼し、くるりと背を向ける。



『……聞こえないが、とても余計なことを言ったのではないか?』


「ええと……あまり気にされなくてよろしいかと」



 勘の鋭いウルベルトを誤魔化しつつ森を出る。茨も毒の霧も綺麗に消え去って、美しく輝く緑の森がそこにはあった。魔境という印象を受けた場所だったが、確かに聖域と呼べるような神聖な森の姿に戻っている。

 森の前で待っていた馬の精へ王城に向かうよう頼み、馬車に乗り込んだ私は背もたれに体を預けて全身の力を抜いた。……どうにかやり遂げた。本当に、よかった。



『……お前のおかげだ、メルアン。疲れただろう』


「お互い様ですよ、ウルベルト様」



 どちらが欠けても成し得ない仕事だった。やはり、私たちはこれ以上にない相棒なのである。……今後は婚約者にもなるけれど。

 そうして彼が森の王へと語った言葉を思い出し、馬車に差し込む夕日に照らされた端正な顔を眺める。



『……そんなに私を見つめてどうした? 見惚れてくれているなら嬉しいが』


「ウルベルト様はいつもどおりですね」


『当たり前だろう。お前への愛は変わらない。いや、むしろ深まるばかりだな』



 本当に彼はいつも通りだ。この愛の言葉は、誰かの前であっても、二人きりであっても変わらず紡ぐつもりだろう。……だが、それは少し困る。



「ウルベルト様。……もう人前でそのようなことをおっしゃらないでください」


『お前以外には聞こえないのだから変わらないだろう。……ああ、精霊には聞こえるか。それが恥ずかしいのか?』


「そうではなく。私の声は他人に聞こえてしまいます。いつか……私が愛の言葉を返したくなった時、声にできなければ困るではありませんか」



 まるで時が止まったかのように、ウルベルトは瞬き一つ取らずに固まった。そうしていると整った顔立ちも相まって、まるで彫像のようである。人は驚きすぎると本当に動かなくなるのだな、と思いながらしばらく無言で見つめ返した。



『……どういう意味だ?』


「ウルベルト様は私に愛を望まないと言っていましたけれど、それは本音ではないでしょう? ですから……是非、私を貴方への恋に落としてください」



 私から彼へと向ける好意はまだ友愛や信頼が強い。けれど、それは彼に恋をしないという訳ではない。

 初めはこんなに口の悪い相手と結婚するなんて御免だと思っていた。しかし今では婚約も結婚も受け入れるつもりだ。感情は変化するもの。ならばこの好意が恋に変わる日だってくるかもしれない。



「私が貴方に恋した時は、貴方の愛を囁く声に応えたいと思ったんです。……だから、いつでも返事ができるように人前ではもう言わないでくださいね、ウルベルト様」


『…………お前こそ人前で、そうやって煽らないと約束しろ……愛しさが漏れるだろうが……』


「煽ったつもりはありませんが……善処します」



 口元を押さえながらうつむいたウルベルトのつむじと、夕日の色と変わらないくらいに真っ赤な耳を見ながら思う。……この姿を可愛いと感じるのだから、彼に恋をする日はそう遠くないのかもしれないと。



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