第4章 聖なる騎士と魔族の王

第16話 アイリス、大失敗をする

 ハイデンの屋敷にその手紙が来たのは、アイリスがすっかり全快して半月ほど経った頃のことだった。


 皿を割る頻度も相似の指摘を受ける回数も減ってきたアイリスは、ルタスとアンの側を離れ今では一人で使用人の仕事を任せてもらっていた。仮にも聖女、そして伯爵に嫁いできた貴族であるのだからと二人の使用人には言われていたが、アイリスは重たいドレスよりも汚れて良い軽くて質素な服を好んで着たがった。


(だって、屋敷の中でのんびりするのって、結構退屈なんだもの)


 今日も美しく薔薇が咲き誇る庭の掃き掃除に勤しみながら、アイリスは思う。発熱のために療養をしていた時でさえ、何もすることがなくて逆に参ってしまったくらいなのだ。

 本当の貴族の妻であれば夫を支えるべく励むものなのだが、都で有名な〝貴公子ハイデン〟は魔族であることを隠すための偽りの姿なのだ。もちろん彼にも伯爵の仕事は与えられているが、その補佐は主にルタスが行っており、アイリスは優雅に小鳥の囀りに耳を傾けながら紅茶を楽しむしかないのである。聖女として毎日を忙しくて過ごしてきたアイリスからしてみれば、自由という贅沢はむしろ苦行なのだった。


 長く艶やかな金髪は自分で一つに高く結い上げ、本来は部屋着として与えられている深緑のワンピースドレスを身に纏い、アイリスはせっせと箒を動かし続ける。アンに繕ってもらった聖女然とした動きやすいあのドレスは、亡国の大樹を癒しに行く時など、もっぱら外出時に着させてもらっている。膝をついて拭き掃除をしたりしていると、ドレスの白がすぐ煤で汚れてしまうからだ。


「──よし。こんなところかしら」


 あたたかな暖色のレンガ道を振り返って、アイリスは満足げに一つ頷いた。この仕上がりであれば、きっとアンからも許しが得られるだろう。

 次は昼食の支度の手伝いに行かねばならない。箒を片付けルタスが居る厨房に向かって歩き始めたアイリスは、遠く、庭の向こうから車輪が走るがらがらという音が近づいてくることに気づいて足を止めた。


(今日は来客の予定はないって聞いてたけど……?)


 疑問に思いながら、アイリスは庭を横切り屋敷の正門へと小走りに向かった。事前に何の連絡もなしに訪問されてしまっては、ハイデン達が魔族であることがバレてしまう。ここは、アイリスが確かめに行くべきであろう。


 アイリスが正門に辿り着いたのと、小さな黒塗りの馬車が彼女の目前に停まったのは殆ど同時だった。貴族が乗るにしては小さな馬車だと不審がっていたアイリスは、馬車の側面に描かれた紋章を見てあっと声を上げた。


 聖なる星と、歌う女神の横顔を描いた紋章──教会のシンボルである。


「突然の訪問、申し訳ございません。教会から参りました、レイルと申します。いつもアイリス様がお世話になっております。本日は司祭様より封書を預かってきておりまして」


 真っ白な神子服に身を包んだ赤髪の少年が、馬車から降りるなり深々とお辞儀をする。遣いに慣れているのであろう彼は、恭しく頭を垂れたまま、つらつらと定型のセリフを流れるようにそらんじた。


「こちらの封書を、どうかハイデン様にお渡しいただきたく参りました。失礼ですが念のために貴女様のお名前……を………………」


 ようやく顔を上げた、まだ幼さの残るその神子は、アイリスの顔を見るなりピシィッと音が聞こえてきそうなほど見事にその笑みを凍らせた。


「…………えっと。お久しぶりね、レイル」

「あ、あ、あ…………アイリス様ぁッ!?」


 苦笑と共に手を振るアイリスの前。神子レイルは、貴族の邸宅前だと言うことも忘れて彼女を指差し大きな声を出したのだった。






「それにしても、レイル──」


 しばしの後。叫ぶだけ叫んだレイルがようやく口を開け閉めするばかりで静かになったのを見計らって、アイリスは受け取った封書を眺めすがめつつしながら声をかけた。


「話す時はちゃんと相手の顔を見た方がいいわよ。モリアスにおつかいを頼まれること、初めてじゃないでしょう?」

「だって、まさか伯爵様に嫁いだアイリス様が、そんなカッコで来客対応するだなんて、思わないじゃないですかっ!?」


 まだ混乱しているらしいらレイルは、〝そんなカッコ〟と言いながらアイリスの服を指差した。確かに貴族が着る服でないことは一目瞭然だし、掃除をしていたせいで少し汚れもついている。


「ま、まさかアイリス様…………屋敷で何か酷い虐げを受けているのでは…………」

「え? ああ、違うわよ、これは──」

「やっぱりモリアス様の言う通りだったんですね…………」


 アイリスの声を遮り、ぶつぶつとレイルは口元に手を当て深刻そうな顔で一人呟き始めた。


「モリアス様、仰っていたんです。きっとアイリス様はこの屋敷で大変な目に遭っているに違いないって。アイリス様を助けなければって。それで僕、今日は封書を預かってきたんです」

「ちょ、ちょっと待ってよ!」


 早口で捲し立てるレイルの言葉を、アイリスは少しだけ声を張って遮った。


「何がどうして、私が大変な目に遭ってるだなんて話が生まれたのよ。私はこの通り元気にやっているわ。何かの勘違いよ」


 胸に手を当て、アイリスはきっぱりと言い切った。しかしレイルは胡乱げな目で彼女の煤汚れた質素な服を見るばかりで、首を縦に振ることはしなかった。


「じゃあ、なんだってアイリス様が僕みたいな遣いの者の対応に来るんです。普通は屋敷のメイドが来るでしょう。それに、なんだかお召し物も汚れていますし……」

「それは──えっと。たまたま近くにいたから来ただけで、もちろん最初はメイドが来ようとしていたのよ? 私がそれを控えさせたの。あと、服はちょっと転んで汚れてしまっただけよ」


 アイリスの必死の言い訳に、レイルは余計に半眼になって、重たいため息を吐いた。


「アイリス様。僕ら神子は、歳は違えど生まれた時から同じ教会で共に育った身。僕は、アイリス様が嘘をついている時の顔を、幼い頃からよく知っていますよ」

「う………………」


 まだまだ世話を焼いてやらねばならない弟とばかり思っていたレイルからそのように言われ、今度はアイリスが硬直する番だった。

 内心では冷や汗をだらだらと流しながら、アイリスはどうすれば彼の疑いを晴らせるかと必死に頭を悩ませた。しかし、結局良い言い訳は思いつかず、諦めて口を閉ざすしかないのだった。

 そんなアイリスにレイルはもう一つ吐息を吐くと、彼女の手に収まる封書に視線を向けて、先ほどの彼女の問いに答えた。


「手紙です」

「……え?」

「ハイデン様の元に嫁いだ後、アイリス様はまだ一度もその近況を直筆でお知らせくださっていませんよね? 確かにこの屋敷から便りは来ていましたが……アイリス様自身が筆を取れない事情があるのではと、モリアス様は大層心配されていたんです」


 アイリスはあっと声を上げて、口元に手を当てがった。

 そういえば、随分前にハイデンから教会へ手紙を送るようにと言われていたのだった。あの頃は毎日が情報過多で落ち着きがなく、ちょうど気落ちもしていたし、体調を崩したこともあってすっかり失念をしていたのだった。


「忘れてた…………ごめんなさい、本当に忘れていただけなのよ」


 慌てて縋るように弁明を始めるアイリスを、レイルは苦笑混じりにやんわりと手で制した。


「その言葉に嘘がなさそうなのは、僕にもわかります。でも、僕の今日の役目は、モリアス様から預かった封書をハイデン様に届けることなので」


 自分に言われてもどうしようもない。

 困ったような笑みを浮かべるそばかす顔が、そう語っている。今この場でどれだけ取り繕っても、もう起こってしまったことは覆せないのだ。

 アイリスは愕然とした表情で、自分の家族であり幼馴染でもあるモリアスからの封書に目を落とした。この封書をハイデンに渡したら、きっと雷が落ちるだろう──そんなことをうっすらと想像しながら。






「お前は、馬鹿なのか?」


 案の定。封書を受け取り事の次第を聞いたハイデンは、アイリスが想像していた通りの苛立った声音でピシャリとそう言い放った。

 ハイデンの自室、彼の執務机の前。落ち込んで肩を落とすばかりのアイリスに、ハイデンはどっかと靴を履いたままの足をテーブルに乗せ、ちくちく、くどくどと文句を続けた。


「だから言ったよな? 俺がなぜわさわざお前に手紙を書くよう助言をしたと思う? こうなることがわかりきっていたからだ。そして俺はお前に、そうなるとこちらが迷惑することは伝えていたはずだよな?」

「本当にその通りです、ごめんなさい…………」

「屋敷の仕事をするより前に、自分がやるべきことをやれ。お前しかできない仕事だったんだぞ、お前の筆跡でお前の健康を教会に知らせるということは」

「──ハイデン様。どうか、お叱りはその程度に」


 止まらない叱責に、部屋の入口に控えていたルタスが進言した。アイリスを案じて一緒に部屋までついて来てくれたのだ。ルタスの背後から、珍しく落ち着かない様子のアンが、控えがちにこくこくと首を縦に振っている。


「アイリス様に仕事を頼んだのは私とアンです。私共も手紙の事を確認しておりませんでした。責めは、どうぞ我らにも等しくお与えください」

「私からもお願いします…………それに、アイリス様は病み上がりで本調子ではありませんでした。意図的に手紙を書かなかったものではないことは、このアンが保証します」

「……二人共…………」


 アイリスのために、ルタスとアンが最愛の主人であるはずのハイデンに向かって頭を下げてくれている。この一月経たずでここまでアイリス達の関係は変わったのだ。アイリスは申し訳なさと嬉しさに、少しだけ瞳を潤ませた。


「美談にされても困るんだがな…………」


 はぁ、と一際大きなため息を吐いて、ハイデンは足を机から下ろし椅子から立ち上がった。しかしそのため息は呆れと疲れの色が大半で、そこにはもう怒りの感情はないようだった。


「確かに、起こってしまったものは仕方がない。この馬鹿聖女に手紙を書いたかどうか確認しなかったのは、俺もまた同じだからな」


 最後に一つ鋭い嫌味を言い放って、ハイデンは封書の中身を卓上に放り投げた。


「モリアスは、なんて…………?」

「近日中にこの屋敷に来るそうだ。聖女の健康をこの目で直接確かめたい、と」


 ハイデンの言葉に、ルタスとアンに緊張が走ったのがアイリスにもわかった。この魔族の屋敷に、教会の司祭たるモリアスが直々にやってくる──


「モリアスは私の次に神聖力が強い神子よ。…………もし魔族であることがバレてしまったら……」

「ああ。タダでは済まないな。それどころか魔素が少ない今、教会に目をつけられたら魔族側に勝ち目はない。──だが」


 紫黒の髪を掻き上げて、ハイデンは血紅色の瞳を強く輝かせた。


「タダでやられてやるつもりはない。司祭モリアス──聖女マートルを信仰する無知な羊。この勝負、何が何でも勝たせてもらうぞ」


 そう言って。にやりと悪い笑みを浮かべ、魔王ハイデンは教会からの神聖な手紙をぐしゃりと手の中で握りつぶしたのだった。

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