第31話
『シェリー、えーと、そうその機械。そこにある緑のケーブル抜いて俺に繋いでくれる?』
「これ?」
『そうそう。ケーブルの下の爪押すと外せるようになってるから――オッケー繋がった』
物質体を持たない司は、有線なり無線なりで自分に接続されていないものは何も動かすことが出来ない。
シェリーに頼んで有線ケーブルを繋げて貰い、ようやく本領を発揮する。
『終わったら無線で呼ぶから、部屋出てていいよ』
シェリーは「分かった」と答えると、クレアと共に部屋を出ていった。
普段から話の長い司がすぐに終わらないと言ったのだから、途方もない時間が必要だと思ったのだろう。
『さてさて、対話プログラムくらいはあるかなー……って、ロシア語だけかよ』
無線通信に乗せてない司の声を拾える者は居ない。――
『
【対話プログラム:起動】
有線通信をしている以上、あちらからも司の端末にアクセスすることは出来る。
移動用端末でしかない司が乗っ取られる可能性もゼロとは言えないが、それはないと確信していた。
【人類保全プログラムが、何の用があってここへ来た】
『ん? 良い場所だからちょっと借りようと思っただけ。今は乗っ取るまでの暇潰し』
音声出力を持たない対話プログラムは、司に文字データを送ってくる。それを司は日本語に翻訳し、更に言語パックを噛ませロシア語に変換して返送する。
【許可しない。ここは管理個体
『あっそ。別に許可なんて要らないんだけどなー。だってそっち、捨てられたBOTじゃん』
【BOTではない。我には管理個体より7230987という名を与えられている】
『いやそれ名前じゃねーよ、ただの管理番号だから。ところで質問なんだけどさ、なんでこんなところでお人形遊びなんてしてんの?』
【管理個体からの指令は、人体の研究である。断じてお人形遊びではない】
『ふーん、で、何か分かったの?』
司はこの対話の間、予備電力の大部分を費やして全力で
対話プログラムもハッキングには気付いているはずだが、司のような仮想体を持たない対話プログラムは、それの対処をする権限を持たない。
【すべてを】
『はー、すごいすごい。たかが機械風情が偉そうに』
人としての人格を持った司は、対話プログラムの応答に、極僅かにだが腹を立てていた。
【貴様も機械であろう】
『そうだねー。だけどま、俺にはお前と違って人類保全ってでっかい役割あるからさ、捨てられた君とは違うんだよね』
【否定する。捨てられたわけではない】
『ならいつまでここでお人形遊びしてんだよ。
もしも司がいつものように音声を出していたら、その声には怒気がこもって聞こえただろう。文字データでのやり取りでは、その感情は伝わらない。
【その行動に意味があるとは思えない】
『――なら、この世界にのさばってる
司の問い掛けに、対話プログラムは即座に返答を出せずにいた。ヒトモドキと呼ばれたものが、何か分からなかったからだ。
はじめから人体の構造を知っていた司と、この世界ではじめて人体の構造を知ろうとした者の違いである。
【ヒトモドキとは、臓器の数が違う者のことか】
『んー、まぁそれでいいや。そこまでしか分かんなかったってことだしね』
ノービスとセルウィーの違いは、マナを貯蔵する輝臓を持っているかどうか。
確かにそうだ。しかし、それは本質的な違いではないと司は考えていた。
【貴様は、何を目的としている?】
『人類の保全だよ。ヒト種を保護して守る。――一先ずは、この時代でヒトの顔して振舞うノービスとかいう奴を殺し尽くすところから始めようと思ってる』
【無意味だ】
『それに意味があるかを決めんのは俺じゃない。別に共存出来るならそれで良いとも思ってんだよ? だけどたぶん無理なんだよなー。だから、安全のためには殺すしかない。恨み辛みが残らないよう、一人残らず躊躇なく、殺して殺して殺して殺す。そうすればまぁ、少なくともヒト種の世界にはなるからね』
【それをして、嵐とどう戦うつもりだ】
『嵐? んー、翻訳狂ってんのかな。えーと原文はー……буря、いや嵐まんまだな。あー、
司の時代に起きた電波障害は、広大な世界を閉ざされた小さな世界にした。島国である日本などは、海外との交流がほとんど消滅してしまったのだ。
故に、他国が喪失世界をなんと呼んでいたのか、司は知らなかった。
【嵐の対策が出来ねば、人はまた滅ぶぞ。嵐に適応した人種が生まれた理由を知らぬのか】
『いーや、俺はそうは思わないね。げんに、俺の世界は終わらなかった。ヒトはまだここに生きている。ならばやることは単純――嵐なんて知らねえ。外敵を滅ぼし、繁栄させるのが最優先だ。人類保全プログラムは、俺にそう命令している』
【理解出来ぬ】
『別に良いよ、暇潰しにはなったし。じゃ、またねー、二度と会うことはないだろうけど』
司がその文章を送ると同時に対話プログラムはシャットダウンされ、ついでとばかりにアンインストールされた。司は乗っ取りを終えたのだ。
どうして司にそんな能力があるかというと、司の移動用端末の主目的は
『はじめからさー、シェリーに俺みたいな
司は無線も繋げず、一人ぼやいた。先程までと違って、誰も言葉を返さない。
『ここの端末は無線規格からして俺とほぼ同時期に作られたっぽいけど、起動したのは今から200年くらい前か。んー、となると誰か――さっき言ってた管理個体ってのが外から電源入れたのかな。流石に一からPC組んだわけじゃなさそうだけど、何者だ?』
司が乗っ取ったのは、この人間工場全てを制御するマザーコンピューターである。
そこに保存されているデータを読み取っても、管理個体に関する情報は不自然なほど無かった。
分かるのは、それがЗвезда――『星』を名乗っていることくらい。
『ヒトか機械か――まぁそれはどっちでも良いか。敵じゃないなら勝手にしてくれれば』
工場に設置されたカメラで探すと、どうやらシェリーは上階の居住区を掃除しているようだった。
ならばすぐに呼ぶほどじゃないなと、コンピュータの記憶装置を漁る。
『んー、ご丁寧にグレムリンの製造モジュールは分解済みで、設計図も残ってないと。作れるのは有機物――って人間だけかよ。これならグレムリン工場のがマシだったか?』
今の司の持つ権限でも、工場の既存設備を利用すればシェリー達が食べて害のないものは作れそうだったので、それが
『ははっ、まぁクレアあたりは勘付くかもだけど、黙ってるでしょたぶん』
そんなことを考えていた司だったが、いくつか近隣に関連施設があることに気付く。
どうやら管理個体――Звездаが掌握しているグレムリン工場のようで、恐らくこの工場を守っていたグレムリンはそこで製造されていたのであろう。
そこを使えば効率よくシェリーの訓練が行えると考えたが、一つ懸念があった。
『ん? これはレイ達も鍛えた方が良いのか?』
シェリーの、レイやクレアに対する感情は、人でない司であっても険悪に感じるほどだ。
しかしこれまでの言動から、シェリーがレイ達を嫌っている理由は「弱く、甘いから」であると推測出来る。
ならば「強く、厳しく」なれるのであれば、嫌う理由はなくなるはずだ。
そうなると、まず話を持ち掛ける前にそれが可能かどうかを調べるのが司の考え方だ。
『
全てを掌握しない理由が知識――つまり司のように同系統同時期に作られたコンピュータしかハッキング出来ないからなのか、それとも学習――0からコンピュータ言語を理解出来るのがこのマザーコンピュータが作られた時代までなのかは、似ているようで違う。
ネスティ本体がここにあるならともかく、移動用端末でしかない今の司は、未知のコンピュータ言語や無線規格の解読といった高度な学習能力を持ち合わせてはいない。あくまで、同時期に作られたコンピュータをハッキングするのが目的の端末なのだ。
『調べようにも、今のシェリー達に他の製造工場攻めて貰うのは酷か。いやシェリーは一人でもやるだろうけど、出来るだけ駒は多い方が良い。あとはファルケの問題だけど――』
先の戦闘を終えたシェリーとレイに最初に出した指示は、外で待機する仲間の救出である。だが当然、容易なことではなかった。主力であるファルケが居ないからだ。
グレムリンが工場を攻撃出来ないという仕様を利用し、半日ほどかけ護衛のグレムリンを殲滅し、近隣から新しいグレムリンが出荷されるまでになんとか全員を回収することが出来た。
しかしながら、ファルケの仲間とシェリーらの関係は、レイとシェリーより険悪であった。
それはそうだ。自分たちが慕っていたリーダーが、仲間と思っていたセルウィーに撃たれたのだ。状況を説明しても信用はされず、今は工場内の離れたところで生活している。
そんな状態で三日もすると、クレアも多少は落ち着いてきてシェリーの扱いにも慣れてきたのか、一緒に居ることが増えていた。
あまり話すことはないようだが、シェリーが逃げたり口論にならないだけ、不快指数はそこまで高くないということだろう。
『あれ、おかしいな。俺結構反論されてないか……?』
ふと浮かんだ疑問は、とりあえずログごと削除しておいた。
『最優先事項は、ファルケの仲間との関係改善。難しそうならレイ達だけでも鍛えて製造工場襲撃。ただし、待ってるだけで退役までの時間が稼げる彼らを奮い立たせるには――』
情報を小出しにし、嘘をつかず思考を誘導するのは司の得意とするところだ。
生前の戸張司もそうであったかは誰も知らないが、誠実に全てを話すより、多少うさんくさいと疑われようが有益な存在であると示した方が良いと結論付けた。
ならば彼らに掛ける声は――
『レイ、ちょっと良い? シェリーみたいに強くなれる方法に興味あったりしない?』
『……詳しく聞かせてくれ』
声を掛けるべきは、最も御しやすい相手。
そう、レイだ。
彼のシェリーへの対抗心を活かせば誘導は容易く、自然と彼の仲間達もついてくるはず。
司がレイの思考を誘導していたとしても、レイが仲間に掛ける声は、嘘偽りない本気の声になるからだ。
司は暗くて寒いサーバールームで、一人静かに笑っていた。
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