第29話

『シェリー、まずいことになった。たぶん今入ってきたの、ファルケの妹だ』


 口調から個別通信に切り替えたことを察したシェリーは、そちらに意識を向けていることを気付かれないよう、近くの銃を見ている振りをしながら信号で疑問を返す。


『ケイリー、そう呼んだ。もしかしたらただの仲間かもしれないけど、動悸がおかしいし呼吸も浅くなってる。妹じゃないにせよ、相当仲の良い相手だったのは間違いない』


 シェリーは最悪の状況を想定し、小さく溜息を吐いた。


『シェリーには三つの選択肢がある。今すぐケイリーって呼ばれたグレムリンの頭を撃ち抜くか、ファルケが何か言ってきてから考えるか、


 信号で返そうとしたシェリーの手が止まった。

 司が選択肢によってシェリーの思考を誘導していることには当然気付いている。だが、三つ目の選択肢が最善のものであると、シェリーは確信していた。

 面倒なことになる前に殺す。それは、生き残るために最も必要な行動である。


「ファルケ、違う。――それはグレムリン」

『あー、まぁシェリーはそうするよね』


 シェリーは、銃口を向けて静かに言った。

 ――銃口の先は、ケイリーと呼ばれたグレムリンに向かっている。


「ち、違うの! この子は、ケイリー・ノアは私の妹で、グレムリンじゃないのよ! シェリー! やめて違うの撃たないで!!」


 ファルケは慌てている。シェリーがこういう時躊躇わずに撃つことに気付いたからだ。


 グレムリン・ケイリーは、シェリーとファルケの方には目も向けず、自分の銃や装備を棚から取ろうとしている。

 そんなケイリーを挟み、二人は弾でなく声を撃ち合った。


「違う。グレムリン。ファルケも上にあった工場見たでしょ」

「見た! 見たけど違う! この子はグレムリンなんかじゃ――」

「じゃあどうしてそいつは、ファルケを見ても何も言わないの?」


 シェリーは銃口を向けたまま、司の指示通りに位置取りを変えていく。

 ファルケの持つ銃と比べると連射性で劣る電磁投射砲で、棚を挟んで撃ち合う状況は避けたかったからだ。


「そ、それは……っ!」


 ファルケの言葉に詰まった隙に、シェリーは部屋唯一の扉の前まで辿り着いた。

 これでケイリーは出られない。だが代わりに、ケイリーを盾に出来る位置を失ったとも言える。


「そう、きっと洗脳されてるのよ! ケイリーはグレムリンなんかじゃ――」

「……ねぇ、もうこの会話続けるの面倒なんだけど」


 シェリーは溜息交じりにそう言うと、右手に握った電磁投射砲の銃口をケイリーからファルケに移し、左手には棚から取ってきた短機関銃を握りケイリーに向ける。

 両手で別の銃を撃つのに慣れていないシェリーだが、この距離なら外すことはないと確信していた。

 シェリーは、ファルケが言葉を発すごとに、彼女が信用出来る対象ではなくなっていくのを感じていた。、そう感じるくらいの余裕はあって、愛着もあった。けれど――


「私が殺したいわけじゃないから、ファルケが撃っても良い」

「撃てるわけないでしょう!?」

「ならどうするの? このまま放っておいたら、上で戦って死ぬだけでしょ。次はグレムリンとノービスじゃなくて、レイを恨んで生きていくっていうの?」


 反論しようと立ち上がったファルケは、言葉を失った。

 非情なまでに客観的で、冷たすぎるシェリーの言葉を聞いて、ようやく自分が何をしようとしているか分かったのだろうか。

 ――だが、理解出来ることを納得出来るかといえば、それはまた別の話である。


「それにどうせ、まだ同じ顔をしたグレムリンが居る。見てなかった?」

「み、見てたわよ!」

「じゃあ分かってるでしょ。それはグレムリン。ファルケの妹なんかじゃない」


 シェリーに何度も断言されたファルケは、言葉を発さず唇を噛み、俯いた。

 そうしてしばらく俯いたままだったファルケが次に顔を上げた時には、表情は変わっていた。


『シェリー、撃て!!』


 司からの指示とほぼ同時に、シェリーは引き金を引いていた。利き手で握っていた使い慣れた電磁投射砲と、左手で握る短機関銃は、同時に弾丸を射出し目標に突き刺さる――


 ――ファルケは、避けた。


 当然、音速をゆうに超える初速を誇る電磁投射砲の弾丸を、見てから回避出来るはずもない。しかしいくら弾丸初速が速かろうが、シェリーが引き金を引く速度はそれほど速いわけではない。ファルケはそれを見て回避したのだ。

 そして避けるだけでなく、反撃までしてみせる。

 シェリーが使い慣れた電磁投射砲より僅かに引き金を引くのが遅れた短機関銃の銃身を、回転式拳銃のクイックドローで撃ち抜いたのだ。

 側面から大口径のマグナム弾を喰らった短機関銃は、弾丸を吐き出す寸前に粉々になった。シェリーの射撃技術も異常だが、ファルケの戦闘能力は、およそ人間業ではない。


「――ッ!!」


 腕には被弾しなかったが、握っていた短機関銃に、装甲の厚いグレムリンを一撃で殺すほどの威力の弾を受けたのだ。破砕の衝撃でシェリーの左手は痺れ、一瞬だけ使い物にならなくなる。

 だが、そんな程度で動きを止める二人ではない。シェリーはケイリーを盾に出来る角度を取ろうと足を動かすが、それを読んでいたファルケはシェリーの足元を狙って突撃銃を連射する。

 一瞬動きを止めたシェリーに飛んでくるのは、回転式拳銃から放たれる、一発掠っただけで人体を殺しえるマグナム弾。


『逃げて! 場数が違い過ぎる!』


 1秒にも満たない攻防で、司はそう判断した。しかし、部屋の入口から数歩離れてしまったシェリーは、逃げようにも逃げ道を弾丸で塞がれる。

 ――状況は最悪だ。


『あぁもう――』


 司の叫びが途切れた。シェリーが怪訝な表情をした瞬間、こちらに二丁の銃を向けていたファルケが突然「ひゃっ!」と叫ぶと両耳を抑えて蹲った。


『今のうちに逃げて! 二度は通じない!』

「ツカサ何したの!?」

『あっちの耳に音声爆弾ぶち込んでやった! ただもう無線切られてるだろうから使えない!』


 司の奇策に、部屋の入口から飛び出したシェリーは「あは」と笑う。


 シェリーは部屋から出てファルケの射線から逃れた瞬間、廊下からギリギリ見える位置に立っていたケイリーに銃口を向けた。

 ――が、それを読んでいたファルケが自身の突撃銃をぶん投げてケイリーに直撃させ吹き飛ばす方が速かった。ケイリーは横っ腹に衝撃を受けシェリーの視界から消え、倒れる音と銃が転がる音がする。


「逃げるってどこへ!?」

『とりあえず上! あとで指示する!』


 シェリーは階段を一歩で飛び越えた。

 踊り場に着地しようとした瞬間、足元にマグナム弾が直撃するが、ギリギリ察知していたシェリーは空中で反転し天井に足をつける。

 駆動鎧で足指の握力を全開にし、天地を逆にしたまま駆けた。


「あっぶ……!」

『そう簡単に逃がしてもくれないか……! ったくチートすぎんだろッ!!』


 戦闘が始まるまでシミュレーションをしていた司の予想は、半分当たって半分外れていた。

 当たっているのは、ファルケがシェリーより強いということ。

 外れていたのは、ファルケになんとか適応出来ると思っていたシェリーが、実際は逃げるので精一杯だったということだ。


「さっきの、私が悪かったのかなぁ!?」


 天地逆転のまま階段を登っていくことでなんとか射線を切ったシェリーは、涙を堪えてそう叫んだ。

 シェリーは、司に誘導されたのではなく、自分の意思でケイリーを殺す選択をした。だが、実際にはケイリーを殺せず、そしてファルケからも逃げている。


『悪くない!!』


 司は本心でそう答えた。いつもの面倒くさい言い回しを避けた司の様子に、シェリーは緊張がほぐれたのか、泣きそうな顔をやめて「あはは」と笑いながら走る。


『ここ!』

「うん!」


 状況が状況だ。司はこれまで封印していた全てのアシスト機能を全開にしていた。

 移動ルートの指示、視界の補助、ゴーグルの操作――それによってシェリーは追いかけるファルケの射線から逃れたまま、地下一階の廊下に飛び込んだ。

 久方ぶりに地に足がついたことで三半規管が狂い一瞬よろけたシェリーだが、目を閉じても移動ルートは頭にインプットしていた。ふらついたまま指示通り通路を走り、壁を蹴り飛ばすようにして扉を開けた。


「ここって――」


 飛び込んだのは、最初に穴を開けて上から見た、人間工場のエリアだ。グレムリンの製造工場ほど広くはないが、至る所で人体生成用の機械が動き、人のようなものが組み立てられている。


『ここなら一瞬だけ撃つのが遅れるは――』


 はず、その言葉を遮ったのは、突撃銃の連射だった。

 内臓を生み出す培養液を、腕や足を運ぶベルトコンベアを、飛翔した弾丸は次々と砕いていく。シェリーはマズルフラッシュを見てから回避したことで一瞬反応が遅れ、左肩に弾丸を喰らってしまう。


「あっ――!」

『人質お構いなしか!?』


 ファルケは躊躇わなかった。ケイリー以外は敵だと、思考を切り替えたのだ。

 ここに偶然ケイリーと同じ素体があれば盾にも出来たが、人型まで組み立てるのはこの区画ではないようで、司はそれを見つけることが出来なかった。


 工場設備の障害物を使って、突撃銃の連射を回避していくシェリー。

 少しでも障害物が薄いところを通れば回転式拳銃の餌食になる。撃たれても簡単には死なない突撃銃はともかく、回転式拳銃のマグナム弾を喰らえばたとえ肩だろうが一撃で腕は弾け飛び、修復不可能なレベルまで損傷するだろう。

 故に、なんとか回転式拳銃で狙われないようなルートを選択し、シェリーは回避を続ける。

 反撃どころの話ではない。これは、鹿狩りのようなものだ。逃げる獲物と追う狩人――獲物には、反撃のチャンスなど存在しない。


『流石に実力差ありすぎたか……ッ!』

「ねぇどうするのツカサ!? このままじゃ――」

『大丈夫! もう少しだけ耐えて!』


 司の励ましを頼りに、シェリーは間近に迫る死を感じていた。

 しかし無被弾で避け続けるのは容易ではなく、右側の電磁投射砲を庇う左半身には、数えきれないほど弾丸を浴びていた。

 駆動鎧の補助があっても、痛みで動けなくなるのは時間の問題だった。


 しかし、突然射撃が止まった。リロードかとシェリーが身構えると、聞き慣れた声がした。


「エレイン! 何してんだ!?」

「アタシの妹を殺そうとした奴を殺すだけだ! アンタは黙ってろ!」

「今お前が狙ってるのはシェリーだろ!? ここに居る人間は全員グレムリンだって、さっきお前が言ったんじゃないか!」

「黙って! 邪魔するならアンタも殺す!」


 ファルケの銃口が、レイに向く。シェリーはその隙を逃さなかった。

 盾にしていたタンクから飛び出し、唯一動く右手で構えた、電磁投射砲の引き金を引く。

「っ――!!」


 音速を超える弾丸を、ファルケは寸前で回避に成功した。だが、シェリーが狙っていたのは初めからファルケの身体ではない。その手に握られた銃だった。

 左手に握られた回転式拳銃が弾丸を受け、ファルケの手から飛ぶ。

 しかし、ファルケの動きは止まらない。右手の突撃銃を、空中に居るシェリーに向け――


『シェリー!!』


 絶体絶命、いくら宙を走るように動けるシェリーといえど、足場一つない空中でファルケの精密射撃を躱せるはずがない。先の射撃がファルケを殺す最後のチャンスだったのだ。

 シェリーはファルケでなく銃を狙ってしまった。――命運は、そこで分かたれた。


 ――シュンと、風を切る音がした。

 レイのブレードが、ファルケの右腕を切ったのだ。


『ナイス!』


 司の声を聞きながら、シェリーはようやく地に足が着き、再び駆ける。

 ファルケには左腕が残っている。レイが腕でなく首や胴を落としていれば今の攻防で終わったが、しかしレイもを殺すことには抵抗があった。

 ――故に、シェリーは足を止めない。


「ファルケぇええええ!!!」


 普通の人間は、弾丸を喰らえば、腕を切られればすぐには動けなくなる。――だが、ここに居るのは誰も彼も普通の人間ではない。

 ファルケは残った左手を動かし宙に舞う突撃銃をキャッチし、シェリーは右足の全力で跳躍し射線を取り、レイはブレードを引き腰だめに構えた。


 その場に居る全員が、目の前の敵を殺せる状況だ。だが、それは成されなかった。


 ――タタタンと、場違いな三重奏が響き渡る。


「……え?」


 声を漏らしたのは、ファルケだ。彼女は膝から崩れ落ち、血の滲む胸を押さえる。


 シェリーは見た。最後の弾を放ったのは、決着をつけたのは――


「もう、やめてよ……」


 涙を流しながら銃を構える、クレアの姿だった。

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