晩冬の思い出

「観自在菩薩行深般若波羅……」

遠くから木魚を叩く音とお経の声が聞こえてくる。本当にこんな物が死者の手向けになるのだろうか。


__彼女は死んだ。

星空を見ることなく俺の背中で眠るように息を引き取った。


あの大地震が原因だ。コールドスリープの装置は、通常ならば地震程度で問題は発生しない。だがタイミングが悪かった。解凍作業中に大きな衝撃を検知すると緊急事態としていくつかのステップを飛ばして目覚めさせる仕組みだったようだ。

アイツの体は元々ギリギリだった。そんな状態で無理矢理に起こされると……


俺たちが姿を確認した頃にはもう手遅れだった。


「お前はよく頑張った」事情を知る人達からそんな事を言われる。


反吐が出そうだ。そしてその言葉を慰めにしようとする自分の心の弱さにもムカついた。


今は善意の言葉が何よりも辛い。

1人になりたくて葬式場の外へ出た。


冷たい空気が肌を撫でる、霧のような雨が街を薄い灰色に染め上げていた。


俺を追いかけるようにオッサンも外に出てくる。


「まだ終わっていない」

オッサンはそう呟いた。


「まだチャンスはある。娘は絶対に守る」

俺は何も言い返せなかった。オッサンがたとえ妄想に逃げたとしても俺はそれを否定する事は出来ない。俺もその気持ちが分かるからだ。


「全て私が悪いのだ。私が愛を知らなかったから。だがもういい。もう私は理解した。これが愛なのだ。愛は制御できないものなのだ。ならばこそ不可能も無いはずだ。そうだろうボウズ」


「どうでもいい」


そう、全てがどうでもいい。

俺の人生はなんの価値も生み出さなかった。


現実逃避を続けるオッサンの相手をするのも辛い。

俺はそのまま雨に打たれながら家に帰る事にした。




~~~~~~~~~~~~~~~~~~




後日。もう全てがどうでもいい。

何もせずに自分の部屋でぼーっとしていると、オッサンから連絡が届いた。


「今すぐ家にこい」


俺は乗り気でない体を無理やり動かし、シャワーを浴びヒゲを剃りヨレヨレのシャツを身にまとった。


おっさんとの雇用関係は継続中だ。どんなに面倒でも社長命令は聞かなければならない。


俺は前と同じように少女の家へ向かう。



~~



おっさんはいつもの部屋でいつものようにふんぞり返っていた。


「要件はなんだよ?」


そういうとおっさんは黙って机から封筒を取り出した。


「お前、退職しろ」


封筒には解雇通知書と書かれていた。


「……」


わかってはいた。もう働く理由も気力もない。おっさんが言わなきゃ俺から言っていただろう。だけどなんだ、何故だか胸が締め付けられる。

少女が死んで俺の感情も死んでいたと思っていたが、少しは生きていたようだ。


「退職金は盛大に盛ってある。今までご苦労だった」


「……」


「会社をお前に任せようかなと思った。だが考えてみればお前はまだ若すぎる。私のような男に人生を捧げさせるべきではない。もっと学べ、そしてもっと生きろ。私の娘の為にもな」


「…………」


俺は何かを言おうとした。でも何を言おうとしても喉につかっかって言えない。

声に出してしまうとつい泣き出してしまいそうだ。


「……今まですまなかった」


おっさんらしくない心のこもった謝罪。くそ……


「お前はこれから自分の人生を取り戻すがいい。お前は賢い。どこか適当な大学にでも行け。お前ならどんな大学でも学べるだろう」


「そうか……終わり……なのか……」


震える声色でそう呟いた。

あの少女との物語は完全に終わってしまった。

きっと10年もしたら美しい思い出に変わるのだろうか。

俺の人生に少女が関わるものはもう、ない。

ならば俺は今までなんのために。



「何を言っているんだ?お前はこれから私の娘と幸せに生きるんだぞ?むしろこれからが始まりだろ?」


おっさんの目の焦点が俺から外れる。

__ああ、そうか。

まだ現実を見れていなかったのか。


「結婚式は盛大にするといい。きっと誰もが感動するだろう」


「いつか孫が出来たらちゃんと報告しろよ」


「喧嘩は程々にな」


「風邪ひくなよ」


「忙しくても飯は食え」


「幸せにな」


「…………はい」


俺にそう言う以外の選択肢はあったのだろうか。


返事を聞くと、おっさんは柔らかな笑顔を見せた。長い時間一緒にいたがこんな顔は初めて見た。


「約束だぞ」


そして、おっさんは震える手で古ぼけた本を俺に手渡す。


「最後の仕事だ。その本を大切に保管してやってくれ。とてもとても大切な本なんだ」


「そんなに大切ならなんで俺に?」


「いずれわかる」


「……わかった」


おっさんからその古ぼけた本を丁寧に受け取る。そして大事にカバンへ入れた。


「任せたぞ」


「ああ」


「…………じゃあな。大好きだったぜボウズ」




おっさんがそう言うので俺は家を後にすることにした。

最後の柔らかな笑顔、そして震える指がどこまでも脳裏にこびりつく。


森の木々がざわざわと騒めく、空を見上げると鳥が一斉に飛び立った。


どこか遠くで銃声が聞こえた気がする。





おっさんが自殺したと知ったのは翌日のニュースだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る