立冬の思い出

ああ、とうとうこの日がやってきました。

私が長い眠りにつく日です。


私の家の一室を改造し、仰々しい業務的な装置が設置されました。

そうです。コールドスリープのカプセルです。


この前面がガラスになっており中にある色とりどりの造花が見えました。

どちらかというと棺桶のようです。

私はここで眠ることになるのでしょうか?不謹慎ではないでしょうか?



お父様の要望で装置は私の家に設置されることになりました。

我が家で管理運用したいのだそうです。


……私はそれに不安を感じない事も無いです。

ですが、それよりも安堵が勝っています。

もし、遠い未来に起こされる事になっても、見知った土地ならいくらか安心できます。

流石に世界が滅んでいるってことはないでしょうし……



コールドスリープの装置を眺めていると、彼が部屋に入って来ました。


「これで眠るのか……」


「そうみたい」


声が上ずってしまいました。私も緊張しているのでしょう。


「……ぁ」


彼が急に抱きしめました。彼の心臓の音が聞こえます。温もりも感じます。

たったそれだけなのになんでこんなにも安心するのでしょうか。

ずっと、ずっとこのままでいたいです。


「君に渡したいものがあるんだ」

彼がそう言ってネックレスを取り出しました。


「それは?」

「お守り……いや、約束かな」

「約束?どういうこと?」


彼から受け取ったそれをまじまじと眺めます。

ネックレスの先には丸い石がついており、うっすらと青く光っています。


「青く光ってるだろ?それは夜光石っていうんだ」

「夜光石?それって確か、光を蓄えてずっと光り続けるってやつだよね」

「つまりさ、その石が光り続けている間に起こすからさ、心配するなよ。そういう約束」


彼にしては洒落ています。

これは100点満点ですね。



コンコンコンとノックの音が聞こえました。


その音で我に返った私たちは名残惜しむようにゆっくりと離れました。


私が「どうぞー」と言うと、ノックの主が部屋に入って来ます。


「これで会うのは2回目かな?よろしくね。娘さん」


声の主はあの不吉を纏った黒い女の人です。

私はその顔を見て、冷たい手で背筋を触られた様な嫌な気分になりました。

「どうも…」そう答える私はひどく弱々しいものでした。

彼は何かを察したのか私の手を強くにぎりました。「安心しろ」声には出していませんがそう言っているように感じました。


「えっとお邪魔だったかな?」


そんな手を握りあっているのを見て黒い女の人がそう言いました。

「いえ、別にそんなことは……」私は歯切れの悪い返事をします。


「言いにくいけどさ、そろそろ時間なの」


「……」


私は困ってしまい、彼の顔を見ます。彼は黙ったまま何も言いません。

ただしっかりと私の顔を見つめます。

私はコクリとうなずきました。


「そう……よさそうね」


そう言って黒い女の人は、コールドスリープ装置のスイッチを押しました。

すると、ふたが自動的に開き、人が一人分寝転がれそうなスペースが露わになります。


「ここに入ってね」


「……まるで棺桶みたいですね」


まるで、というよりそのものなのかもしれません。

私はこの中に入って二度と目が覚めないのかも。覚悟していたつもりですが、やはり怖くなってきました。


「今更、やっぱりやめます。という選択肢は君には無いんだよ?」


見透かしたかのように黒い女の人が言います。


「君の父親はね?とても、とってーも高いお金を払ってこの設備を用意してるのよ?それに私もかなーり苦労してこの装置を用意したんだ。だからさ、怖いとか怖くないとか関係ないの。君はもう入るしかないの」


「わかってます……」


自分に言い聞かせるように呟きました。そもそもそれは分かっていた事です。私は眠ると決めたのだから今更逃げたりなんかはしません。


私はゆっくりと装置の中に寝転がりました。するとゆっくりと蓋が閉じていきます。そして「カシュ」という何かガスが吹き出すような音が聞こえた気が____



~~



「__もう眠ったんですか?」


俺は業者と思わしき、黒い服装の女性に話しかける。


「そう。特殊なガスで一瞬で気絶させるの。次に起きた時にはもう未来。本人からするとまるで魔法のように感じるだろうね」


「そうですか……」


寒さでガラスが徐々に曇って、最後には見えなくなった。


それを見てふつふつと実感が湧いてくる。


少女はもう眠ってしまった。少女とはもう会えない。

少女と過ごした日々を思い出す。

毎日が楽しかった。

世界に彩りがあった。

幸せがあった。


でもそれは失われてしまった。


今更ながら俺は目の前の現実の意味を知った。

俺は酔っていたのだ。少女を救うというヒロイックな目的に。


「よく見えないけど、もしかして泣いてる?」


「え?」


慌てて目に手をやると指先に水滴がくっついた。


「……分かっていたつもりなんですけどね」


「人間なんてそんなものよ。酔いが冷めてからようやくその意味に気がつく」


「そう……かも知れません……」


「それにしても君__」


黒い服装の女性がゆっくりと顔を近づける。少しでも動いたらキスしてしまいそうな距離で彼女の目は、俺の瞳をしっかりと捉えていた。


「とても、とても、美しい瞳をしているね。凄く羨ましい」


「はぁどうも……」


「それ大事にしなよ。じゃあ私は先に失礼するね、あの大馬鹿に一言言って帰る」

「大馬鹿?」


「あの子のお父さん」


ああ、確かに大馬鹿だ。こんな大事な瞬間にすら立ち会わないのだから。俺は静かに納得をした。

俺が苦笑して頷くと、彼女は少し演技っぽい所作で部屋から出ていった。


そして俺は部屋に1人取り残された。

名残惜しく少女が眠る装置を見つめる。無機質な機械はなんの反応も示さない。備え付けのモニターを見てみても意味のわからない略語と数字が並んでいるだけだった。


そうか……俺は……1人になったのか。


今までの普通が決定的に変わってしまった。卒業式が終わった後のような虚無感。何をするでもなく俺はモニターの数字の変動を眺めていたのだった。




しばらくすると部屋の扉が開いた。今頃になって少女の父親さんが登場したのだ。


「……そこにいるのか?」


__気になるのならば何故見届けなかったんだ?


心を描き毟られるような不快感を押し殺し「そうだよ」とだけ答えた。


するとこのおっさんは「そうか……」と煮え切らない返事をした。


この人の一挙手一投足全てに苛立ちを感じる。何故だか無性にイライラしてきた。言語化が出来ない本能に似た感情が胸にくすぶっている。


「……お前はいつまでこの部屋にいるつもりだ?」


恐らく純粋な質問だったのだろう。そうは分かっているが、素直に受け取ることが出来なかった。


「あんたよりは長くいるつもりだよ」

その声色には苛立ちの感情が一切隠されていない。いや、むしろ苛立ちを伝えたかったのかもしれない。


その意図を察したのかおっさんは「……好きにしろ」とだけ呟いた。


俺は何も言葉を返せないので睨みつけることで応える。


おっさんはそんな俺を無視し装置に近づく。モニターの数値を軽く確認するとそのまま部屋から立ち去ろうとした。


本当にこのおっさんは父親なのか?そこに愛はあるのか?そのわざとらしく興味を持とうとしない態度に無性に腹が立つ。


「おっさん。前から気になってた事があるんだ」

なんとか引き留めようとしたかったのだろう。

俺の口から言うつもりがなかった質問が飛び出す。


「なんだ?」


「コールドスリープは維持費も高いと聞いた。お金は大丈夫なのか?」


「お前には関係ないことだ」


「関係ない……?関係……あるに……決まってるだろうがっ!」


自分の中で何かが弾けた。黒く濁った感情が口から吐き出されていく。


それに呼応するようにおっさんの顔がみるみる赤くなっていく。怒りの色だ。


「お前にそんな事を教える義理はない!これは家庭の問題だ!」


「家庭じゃねぇ、アイツの問題だ!勝手に俺を除け者にするんじゃねぇ!」


「お前に何が出来る!金も知識も足りないタダのガキが思いつきで首を突っ込むな」


「……やっぱり、金に問題があるんだな?」


「だからどうした!?ほかに選択肢はあったか!?金なんてこれから増やせばいい!!今は赤字でもいつか黒字になるだろう!それが金だ!」


「もしそうならなかったらどうする!?」


「その仮定に意味があるのか?そうなれば死ぬだけだ!」


「……ってっめぇー!やっぱり何も考えずに問題を先延ばしにしただけなんだな!?お前は死ぬのを見たくないがためにアイツの青春を奪って、緩やかな絶望に巻き込んだんだ!」


「お前に何が分かる!?」


「知らねぇよてめぇの考えてる事なんか!」


「ガキは大人に完璧を求めたがるな!お前は何もしていない、私はキチンと出来ることをやった。そこに文句を言われる筋合いはない!」


「……要は金が足りていないんだな?」


「……まぁ、足りないな。だから?どうかしたか?お前がくれるというのか?」


「そうだ」


「笑わせるな!お年玉を未だに貰っているようなガキにどれだけの金が用意出来ると言うんだ!?」


「50万だ」

そう言って俺はポケットから紙切れを取り出した。


「は?」

おっさんは鳩が豆鉄砲食らったような目で俺を見つめる。


__少女には言えなかったが俺は前から維持費が足りないであろうと予想していた。もしそうなっても良いように最初から援助するつもりだったのだ。だから俺は自分の才能を金儲けに利用することにした。


おっさんが俺の手のひらから紙切れを奪い取る。


「なんだこれ?馬券か?」


「ああ、有り金を全て賭けた」


俺の才能は本当に神からのギフトなのだろう。馬を直接見るだけでどの馬が調子が良くてどの馬が弱いのか分かった。後は自分を信じるだけだ。それプラス運も良かったのかもしれない。俺の僅かな金が一瞬で万馬券に変わったのだ。


おっさんは携帯を取り出し、本当に当選しているかどうか確認する。数字を見比べ俺が嘘を言っていないことを理解した。


「お前に馬券は買えんだろう」そんな的外れなことを尋ねるので、「そんなことどうとでもなるだろ」とぶっきらぼうに答えた。

答えはシンプルで医者のおじさんが代わりに買ってくれたのだ。


「俺には才能がある。なんなら次も当ててやろうか?」


「才能……?」


おっさんが疑問に思ったので、美術館で少女に教えたように色の共感覚の力を説明し、そして証明した。


「驚いた。まるでエスパーだな。そして色、か……」


「……これでも俺は役に立たない?」


「…………ああ」


「なんで!?」


「お前は確かに凄い。だが、頑張ってもたったの50万ぽっちだ。全然足りない」


「……え?」

間抜けな声が口から漏れ出た。見返してやったという子供じみた喜びは一瞬で消え、変わりに羞恥心が生まれつつあった。

必要とする金は俺の全てを賭けてもまるで届かない額だというのか?

物事のスケールを勘違いしていた。俺ならば救えるというのはただの傲慢だったのだろうか。今になってようやくお金という問題の奥深さを理解した。


こんなのどうしようもないじゃないか。


「だが私がいれば話は別だ」


「……は?」


「ボウズ、お前は娘の為ならなんでもする覚悟はあるか?」


「何を分かりきった事を」


「口に出してはっきりと言え」


「__アイツを救うためならなんでもする。覚悟はある。当然だ」


「よし!良く言った!お前は私の道具になれ!お前に本当の金の稼ぎ方を教えてやる!」


俺は初めておっさんの笑顔を見た。

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