晩秋の思い出

ちゅんちゅんちゅん。

鳥の声が聞こえたのでカーテンを開けた。目に入る朝日。

もうこんな時間になっていたのか。


さっきまで使っていた勉強の道具を片付けて、朝食をとる。

すると電話が鳴った。


いつも通り少女からだろう。

顔を二回叩いて眠気を追い出す。

そして、軽くハハッと笑ってみる。よし、今日も笑えている。大丈夫だ。


いつも通り、楽しそうな声で、その電話をとる。



「____美術館?」


「うん。今日はそこに行こう?」


どうやら今日のデートプランは決まったらしい。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~



電車に乗って1時間半。

発展しているともしていないとも言えない微妙な町である展示会が開かれています。

タイトルは『色のない世界』


初めて見たとき、ありきたりなテーマだと思いました。

それに私は芸術にもさして興味ありません。

でもそれでよかったのです。

正直に言いますとイベントがある。というだけで十分なのです。

いくら興味がないとしても隣に彼がいるのならば、それだけで楽しいのです。



「すまん待ったか?」

「ちょっと~5分の遅刻だよー」


私は彼の前で敬語を使うことをやめました。

ずっと敬語で話していたので気恥ずかしいですが、やっぱり彼は特別なのです。

少しでも身近になりたいのです。

……使い慣れない言葉使いなので下手だったり戻ったりしちゃう時がありますが。



「あ〜すまん!!」


「私って寿命短いんだから、しっかりして」


「そのネタを使うのは卑怯だろ!」


「これが私の個性だよ?」


「いやだな〜〜その個性ーーー!!!」


私もそう思います。


「すみません、館内ではお静かに……」


「あ、すみません」


「ほら、怒られちゃいました」


「はは……」


彼は密かに笑う。うーん、懲りてなさそう。


「ほら、回るよーー」


「うい~」


この美術館にあるのは、どれも色の抜けたものばかりですね。

白黒に塗られた壁と床、スタッフの皆さんの恰好まで白黒で統一されています。

当然、飾られている芸術品も同じでした。


作品の一つ一つが芸術というのではなく、この場の空間全てを合わせて芸術になっているのですね。

そんなことを彼に言ってみると、彼は「うーーん?」と頭にはてなを浮かべていました。

わたし、そんな理解に苦しむようなことを言ったのでしょうか?


ここを歩いていると色んな作品に出会えます。

例えば白黒の写真。様々な人たちが笑っています。

一見すると遺影にも見えてしまいそうなそれらを見て、私は何となく「いいな」と思いました。

なんでしょうか。色がないだけなのに、私は一体何に感動してしまっているのでしょうか?

作品の解説文にはこう書かれていました「色が消えてしまっても美しく思えるもの。それが最も大切」

私はそれで分かったような、分からなかったような気がしました。


「要は、人の笑顔は色のない世界でも変わらず美しいから、それが一番大切なんだよ。ってことなのかな?」


「さぁ?」


彼は感受性が死んでいるみたいです。


他にも真っ白な絵が飾られているところもありました。

えーとなになに、タイトルは『彩り鮮やかな我が人生』?

白しかないこの絵に”彩り鮮やか”というタイトルを付けるだけで芸術と呼ぶのなら、私も芸術家になれそうです。


「なんだ……このカラフルな絵……自画像?」


えっと、どういうことでしょうか……?だけど、彼の声はさも当たり前のことを言っているみたいで、私が何かを見逃しているような気さえしてしまいます。


「この真っ白な絵がですか……?」


「え?真っ白……?…………あ、確かに真っ白だな……うん、確かに……」


「……?あ、ここに解説がありますね。えーと『白にも無数の種類がある。真珠色。純白。卯の花色。乳白色等。私の長い画家人生において一つ一つの白に思い出がある。私はその思いを筆に乗せこの絵を描き切った。これはわが人生の縮図とも言える作品だ』フーム?」


「だから……こんなにも沢山の色が……」


「……本当にわかって言ってる?」


「うん……まあ……あ~~~そうだな~~」


彼は歯切れが悪そうに、また別のことを考えながら、「その通りだよ」と肯定しました。


「君に伝えたいことがあるんだ」


「えっとなんでしょう」


柄にもなく前置きをするではありませんか。こういうのって妙に緊張してしまいます。


「俺が実は色のない世界が分からないって言ったらどう思う?」


「やっぱり貴方には難しかったかー感受性が鈍そうだしー」


「まって、違う違う、えーとこの場所のことじゃなくて!」


「うーーん?どういう方向性の話?」


「俺の病気というか、特徴というか?個性の話?」


「ふむ、聞いてやりましょう」


「まぁ、実は俺ってなんていうか共感覚というものがあるらしいのよ。なんていうか色と雰囲気の共感覚ってやつ」


「まぁ、そんな物が……」


「それだからさ、なんていうのかな、俺の世界に色がないものがないんだよ」


「うむむ……?それは……なんというか、反応しづらいというか、想像しづらいね……」


「まぁ、そうだよなー。だからこの絵が物凄いカラフルに見えたわけよ」


「はぁ、なるほど……」


「あと、一応このことは秘密にしておいてくれ」


「別に人に言うつもりはないけども、一体なんで?」


「えっと……この俺にはこの共感覚のせいで、人の感情が色で読めるのよ。隠している感情とかも。それが嫌な人とかもいるだろ?」


「……感情が読める?」


「君が俺に初めて告白された時に内心物凄く喜んでいたの、実は丸わかりだったんだぜ?」


「……」


思いっきりケリを入れてやりました。彼は「いてぇ」と呻いております。ざまぁ見ろです。


「まぁまぁ、この共感覚結構凄くてさ、いろんなところに役に立つんだよ」


「はぁ……」


「例えばさ、このコインを俺の見えないところで右手か左手に握ってよ」


装威って彼は財布から100円玉を取り出して私に渡します。私は言われたとおりに、彼に見えないように右手で握りました。


「はい、これでいい?」


「コインは右手にもっている。正解?」


「……なるほど。もう一度やりましょう」


それから彼には絶対に見えないように何度も何度も試してみました。

しかし彼は、確実にどちらの手に持っているのか見抜いてしまいます。


「驚いた、まるでエスパーみたい」


「まぁ、そうだよな。自分でもそう思う」


そう言った彼の顔はとても晴れやかでした。

そんな事が出来るのなら、もっと早く教えてくれたらいいのに……


「俺の目には、君が怒ってるしていることもわかるんだぜ」


「なら反省してよ」


「ごめんなさい」


「他に隠していることもある……よね?」


「…………実は今、医者になるために勉強をしている。だってさ、この目があれば患者の悪いところなんて直ぐにわかるかもしれないし」


「それに、君の病気も治せるかもしれないだろ?」


嘘偽りのない真っ直ぐな瞳。

彼は本気で私を助けられると思っているんですね。


「……」


そんなの間に合うわけないじゃないですか。


そう口を動かしたが声は出なかった。


私は知っているからだ。彼が物凄く頑張っていることを。

彼がそのためにずっと無理をしていることを。その目の隈は努力の跡なんだと。


そんな夢を捨てて一緒に楽しく過ごしましょう。無理しないでください。

私が生きている間は私のことだけを考えて。

私は何度そう伝えようとしたのか。でも言えるわけがない。


私が死んだ後も彼の人生は続くのです。その人生においてその勉強はきっと役に立つでしょう。

だから、私は言えないのです。わがままを。


「……」


「……絶対に間に合わせる」


だからそれは出来ないです。

私には……分かるんです……だって私の体ですから……



~~~~~~~~~~~~~~~~~~



はぁ、今日のデートも楽しかったな……

それにやっとこの共感覚の話もすることが出来た。


心は晴れやかだ。


よし、今日も勉強頑張るか。


僕はラジオのスイッチをONにする。


このラジオが終わるまで勉強して、仮眠を3時間入れて……

起きた後も勉強。

そのうち彼女から電話がくるから、また新しいデートをするんだ。


うん、大丈夫。このペースで間に合うはずだ……

間に合わせないと駄目なんだ……


だから必死に勉強しろ。そして彼女の傍にいるんだ。

俺はそうする必要がある。



薄暗い部屋にカリカリというシャーペンの音と、無駄に明るいラジオの音が流れ続ける。


『私~コールドスリープっていうのやってみたくて~、お風呂に氷をたくさん入れて見たんですけど~~全然駄目でした~~~アッハッハッハ』



~~~~~~~~~~~~~~~~~~



彼と別れて私が家に帰ると、家にはお父様と知らない女の人が居ました。

何やら言い争いをしていたようですが、私が帰ってきたのに気が付くとぴたりとやめてしまったようです。


「では、私はこれで……」


女の人がそう言うと、玄関へ歩いてきます。玄関の方向、つまり私の方向へ。


白い肌に長く艶やかな黒髪。それに上から下まで黒いスーツ。

混じりっ気のない黒。それが私がその人に対する最初の印象でした。

その女の人と目が合いました。彼女がうっすらと微笑むと、私は背筋がゾクリとしました。

なぜならば、微笑んだ彼女はなによりも美人で、そしてそれ以上に危険な雰囲気を醸し出していたからです。


「こんばんは。君からするとはじめましてかな?どうかよろしくね?」


私が何も返事出来ずにいると、彼女は軽く笑って立ち去っていきました。


私は、生まれて初めて人間に対して本能的恐怖を感じました。

いえ、アレは本当に私と同じ世界に住む人なんでしょうか?

帰りゆく後ろ姿にさえ、言いようのない不安を覚えます。


「お父様、ついさっきの人は一体誰なんですか?」


「……相談役みたいなものだ」


そう答えるお父様は、視点が定まっておらず疲れた顔をしておりました。

このように憔悴しきったお父様は生まれて初めて見ました。

ただ事ではありません。一体何があったのでしょうか?


「えっと……何かあったのですか……?」


「いや……ああ……そうだな。あった」


お父様がはき捨てたその言葉から、ある種の自暴自棄のような物が感じ取れました。


「なにがあったのでしょうか?」


「お前が死ななくても良くなる方法だ」


「は?」


寝耳に水です。まさか私のことでした。それに私が死ななくても良くなる方法ですって?

そんなものはあるはずがないというのに。

明らかに騙されている。そんなことを思ってしまいました。


「コールドスリープって知っているか?」


「概要は……」


コールドスリープ、SFの世界で聞いたことのある言葉。確か人の体を低温にすることによって、どんなに長い間でも保存できるようになるとかそういう感じの物だったと思います。お父様が言わんとすることがなんとなく見えてきました。


「それが完全に実用化されたらしい。だから……」


「なるほど……つまり、私の病気が治る目途が出来るまでずっと寝てろってわけですね」


「……………………頼む」


「少し考える時間をください」


コールドスリープですかぁ……なるほど……なるほどですね……

あまりに非現実的な要素が急に現実と地続きになってしまい、常識に囚われている自分の頭がエラーを起こした感覚がします。


「ああ……分かった。じっくりと考えるといい……でも時間は、有限だからな……」


「分かってます」


本当にどうしましょうか?こんな時だけ私に選択権を渡されても困ります。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「大切な話がありますって呼び出し方さ、心臓に悪いからさ別の方法を考えるべきだと思うんだよね」


「うーん、じゃあなんて呼び出せば良かった?」


「べ、別にアンタの顔が見たい訳じゃないんだからねッ!とか?」


「無し」


「だよねー」


いつも通りの少女からのデートのお誘いの電話、いつもと違うのは重々しい誘い方。否応なく嫌な予感がよぎる。


彼女は何を思って俺を呼び出したんだろうか?


本題が気になるが聞きたくはない。彼女も同じようで、中々本題を切り出せずにいるみたいだった。


牽制球しか投げない会話のキャッチボール。それは現実逃避味があってぬるま湯のような心地良さがあった。でもそれでは駄目だとと思ったのか、少女はストレート球を投げた。


「コールドスリープ?」


「はい、お父様の紹介でそうしようかなって」


「えっと、すまない。どういう事だ?」


「私の体が治る目処が立つまで、グッスリお休みしたいという訳です」


コールドスリープ……考えていなかった事も無い。

だがその選択肢は余りにもリスクが大きすぎる。

実績なんて殆どない、現時点では人体実験みたいな技術なんだぞ?


……そんな事を思いつつも、安堵している自分も確かに存在した。

これで、勉強できる時間ができた。少女を自分の手で救うことが出来る可能性ができた。

_____無理して勉強する必要がなくなる……


心が弱いな。俺は……こんな時に自分のことなんて……


「いつ眠るんだ?」


「一週間後」


「一週間後!?」


「善は急げと言うし、待っていると恐怖が……いえ、なんでもないで……なんでもないよ」

「なんでもないってことはないだろ。やっぱり、怖いのか……?」


「……怖い……調べれば調べるほど怖いことだらけ」


「だよな……」


「寝たらそのまま死んでしまうかもしれない。長い眠りに体が耐えられないかもしれない。遠い未来に起きてしまうかもしれない。…………貴方に忘れ去れているかもしれない」


「それはないだろ」


「未来のことなんて誰にも分からない。どうせ貴方なんてが私のことを忘れて、素敵なお嫁さんを見つけて、幸せな家庭を築いて、孫に看取られて幸せの中で死ぬんだ」


「そんなことしねぇよ」


「もし私が帰ってくるのが遅くなるなら、私を忘れて幸せに生きて欲しいよ。私もそうしてくれたほうが幸せだし」


「任せろ。絶対に、絶対に絶対に君のことを忘れないからな!」


「カッコいいなぁ……」


「まぁ、かっこつけるタイミングだからな」


「そうそう私が眠るまでの一週間。いろんな楽しいことをしよう!」


「そう……そうだな!笑って寝て笑って起きような!」


「はい!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る