結婚を約束していた幼馴染、男のようでやっぱり女

衣太

第1話

 孤独は死に至る病とか言われているのを見たことある。

 まぁ実際のところ、死ぬほどではない。

 げんに俺はここしばらく孤独に生きているが、死んでいない。友人なんて一人も居ないし、話し相手だって居ないというのに、俺はまだ生きている。


 そもそも孤独で死ぬとかなんだよウサギかよ。今時ネットの世界に行けば何かしら話し相手だって居るものだし、それでも孤独を感じる奴が居たら、そいつはただの寂しがり屋だ。

 現実の話し相手だって、たぶん金払えば出来るだろ。俺高校生だからそういうの知らねえけど。


「水変えて」

「はい」


 一日の会話、大体これだけ。

 この学校で俺に唯一話しかけてくる生徒――生物部部長、近藤日次ひなみ。変わった漢字の読み方をするので初めて会った時は驚いたが、検索してみたら今から1000年ほど前に使われていた言葉らしい。意味は忘れた。


「うへへへへ」


 首くらい太い巨大蛇に巻き付かれながら気色悪い声で一人笑っている部長を横目に、ヘビゲージの中の水替えをしている俺の名は、柳田(やないだ)壮馬(そうま)。

 「やなぎだ」じゃない、「やないだ」だ。物心ついた時から訂正し続けたが、訂正しなくなってもう5年くらい経った。今では俺のことをちゃんと「やないだ」と呼ぶ奴のが少ない。まぁほとんど誰にも話しかけられないわけだが。


 部屋には、至る所にケージが置かれている。その土台はほとんどが、もう使われていない机たち。地震対策で机の足をすべてコンクリートブロックに差し込んでいるので、既に結構床は沈んでる。

 この無駄に広い部室は、元は視聴覚室だったようだ。10年ほど前に学校が増築され、本館と旧館に別れた際、新しい視聴覚室が本館に作られることを知った当時の生物部部長が奪い取った部屋らしい。

 運動部は本館脇の部活棟に、授業で使われるのもほとんどが本館内にある設備なので、旧館の部屋を部室として使っている部活はごく僅か。たいてい部員の少ないマイナー文化部だ。


「終わりました」

「…………」


 無言。

 そう、基本的に部長と会話は成立しない。言いたいことを言うが、話したくない時は誰から何を言われようが無視する。相手が顧問の先生でもそうなので、割と厄介だ。

 とはいえ、聞いていないわけではなく返事しないだけなので、慣れれば普通にコミュニケーションが成立する。駄目なことをした時は怒られるし、人を見てないわけじゃないんだ。


「またねぇ……」


 部長がケージにしまって手を振った巨大蛇――部長より長い、たしか品種名はブラッドパイソン。体長は俺よりデカい2メートル、体重も20キロだか25キロだか――人を余裕で殺せそうなサイズの蛇。

 特徴といえば、蛇とは思えないくらい太いことだろうか。俺の太ももと同じくらいある。あんなん身体に巻き付けてイチャイチャすんの怖すぎるだろ。現地では普通に人を絞め殺すこともあるらしい。あと俺は嫌われてるようで近づくとクッソ威嚇されるので、水替えやケージの掃除は大抵二人がかりだ。


「ふぅ……」


 とりあえず日課の掃除を終わらせ、椅子に座る。

 目の前にある水槽には、黒い魚が泳いでいる。ふよふよ、ふよふよと不思議な動きで泳ぎ、なにより変なのはバックで進むところ。魚なのにバック走が得意なのだ。

 この魚の名前は、ブラックゴースト。一番のお気に入り。部長はほとんど魚に興味がない奇虫や爬虫類(レプタイルズ)専門なので、部室に居る魚は全部数年前からこの部室に居る個体たち。

 全部合わせて100ほど居る爬虫類や熱帯魚は、過去に所属していた部員が財布からお金を出し合って購入したもので、部費はすべてが餌代に当てられている。

 というかそれでも足りてないので部長がよく実費で買ってきてるし、何かしらの備品が壊れてもまた部長が自分で買ってきてる。部長が卒業したらどうすりゃいいのか、さっぱり分からん。特に爬虫類とか、扱いが分からんので引き取ってもらった方が良いと思う。

 部長は頭がおかしいほどの爬虫類好きだが家が厳しく、自分の家では何も飼えないため、ここはパラダイスのようだ。いつも外が暗くなるまでこの部室から出ていない。


 がらら、と古い扉が開かれる。俺と部長がそちらに顔を向けると、――真面目そうな女生徒がこちらを見た。


「……いつ入っても暑いわね、この部屋」


 その女生徒がそう呟くと、興味を失った部長が蛇ケージに視線を戻した。

 女生徒に言われた通り、生物部の部室は異常に暑い。常に真夏みたいな温度と湿度だ。

 隙間という隙間は段ボールとガムテープで目張りされているし、窓ガラスにはアルミの断熱シート。エアコンを全力で稼働させ、かつ大量の加湿器を用いて湿度を上げることで熱帯生物の適温に近づけているためだ。

 ここまで多いとケージごとに温度や湿度を高めるより、部屋全体で調整した方が楽――、というのは、まぁ分からないでもない。

 こんな部室に真夏でも丸一日いられる部長は狂ってる。俺は1時間も居ると呼吸が辛くなる。


「柳田くん」

「何」

「まだ帰らないなら、荷物運ぶの手伝ってくれない? 明日の件よ」

「あぁ……」


 椅子から立ち上がり、名残惜しくもう一度後ろを振り返り、何考えてるのか分からない魚たちを見る。あぁ、魚になりたいなぁ。人間関係とかもうすべてがめんどくせえよ。


 女生徒の後を歩く。名前は朽木(くつき)――下の名前は忘れた。興味なくて。

 俺の所属している1年4組のクラス委員長で、俺が副委員長。なので必然的に雑用を教師に押し付けられることがあった。

 ちなみに読み方は「くちき」じゃなくて「くつき」だ。ただ俺とは違って元の名字からしてマイナーなこともあって、間違って呼ばれることは滅多にない。俺とは違って。


 銀縁眼鏡に黒髪の朽木は、これまたまさに委員長の鏡――、といった性格で、どうして自堕落極まりない俺が副委員長なんてやってるかと言うと――寝てたからだ。

 委員会決めの時、爆睡してた。前日徹夜でゲームしてたからマジで一瞬すら起きず、起きた時には副委員長になってた。あとで聞いたところによると、誰も挙手しなかったから消去法で俺になったんだとか。


 ――しかし、今のこの状況を見たら、クラスの誰もがその選択は間違いだったと思うだろう。


「おい柳田のやつまた来てるよ」「なんで学校辞めねえんだろうな」「人殺しが」「死ね」


 ――新校舎に入ると、部活か何かでまだ校内に残っていた生徒達――運動部であろう男子生徒が、俺の顔を見ると口々にそんなことを呟いた。

 あえて聞こえるように、大きな声で。

 そんな声が聞こえる度、朽木はそちらをキッと睨むが、男子達は何も気にしない。

 ――まぁ、そうだろう。朽木がいくら真面目な生徒であろうと、そいつと一緒に歩いている俺は別に真面目な生徒ではない。それに、その言葉はあながち荒唐無稽な悪口というわけでもないのだから、俺だって否定するつもりはない。

 そんなことを続けていたら、こんな立ち位置になったわけだが――


「……柳田くん」

「何」

「何か、言い返さないの。これだけ言われて」

「別に」

「…………」


 振り返った朽木は、口を開いて何かを言おうとし、――閉じた。

 「何も知らない自分に何が言えるのだろう」とか、そんなことを考えてる顔だ。


 ――あぁ、お前はきっといい奴なんだろうな。

 でもさ、俺は違うんだ。


「事実だからな、

「ち、違います! 私はちゃんと聞きました! 柳田くんは、」

「お前が何を知ってんだよ」

「――ッ!!」

「何も知らない。ただ、全て終わってから他人に聞いただけだ。違うか」

「ちがっ、……違いません」

「だろ。だから、俺には構うなよ」

「…………」


 冷たい言葉を投げかけると、泣きそうな顔をした朽木はまた前を向き、歩き出した。

 先程よりも、ずっと速足で。俺を置いて行こうとするかのように。


 ――あぁ、めんどくせえ。

 こいつと話すと、いつもこうだ。

 このやり取り、何度繰り返したんだろ。飽きねえなあ。

 噂話をされるようになってから、ずっとそうだ。とっとと更生なんて諦めれば良いものを。

 あいつが死んだのは、俺のせいだ。――だから悪いのは、きっと俺なんだ。


「ん、柳田に朽木、お前らまだ残ってたのか」

「部活です。柳田くんも」

「そうか、悪いな。じゃあこれ頼む」

「はい」


 職員室で担任から受け取ったのは、大量の教科書。多いとはいえ一人で運べない量ではないが、どうして朽木は俺を呼んだのだろう。

 とりあえず雑に半分ずつ分け、教室に向かう。施錠された教室の鍵を開け中に入り、ロッカーに教科書を突っ込んだ。ミッションコンプリート。


「それにしても、どうしてこんな時期に転校してくるのかしら」


 机を拭く朽木がぼそっと呟いた声が聞こえた。話しかけたつもりなのか、それとも独り言なのか微妙なライン――と思っていると、朽木はこちらを見ていた。返事待ちって顔だ。

 高校1年の1月。冬休みが終わって、しばらく。確かに転校してくるには妙な時期だ。せめて4月まで待てばキリよく編入出来るのに――、まぁ、気持ちは分かる。


「ブラジルは12月が年度末だからな。あっちの中学卒業してすぐ日本の高校入ろうとすると、どうしても1月になる。まぁ4月まで待って一個下と同級生になるって選択肢もあったが」

「そうなの? よく知ってるわね」


 ――馬鹿にされたように感じてしまう。こんなこと、もう知ってて話題作りのために聞いてきたんじゃないかと邪推してしまう。きっと、そんなつもりじゃないのに。


「でもそれだと、9か月分の単位が足りないことにならない? それで卒業出来るの?」

「いや、高校卒業するのに必要なのが74単位。1年の4月から入学した俺らが一つも落とさなかったら105単位だったかな。実際はかなり余裕があるから、1月からの入学でも卒業まではギリギリ足りるらしい」

「へぇ……柳田くんはどうしてそんなこと知ってるの?」

「本人に聞いた」

「え?」

「……もう良いだろ。俺は部室戻るぞ」

「ちょ、ちょっと――」


 これ以上話す気になれなかったので、朽木を置いて部室へ向かった。

 律儀に教室の鍵を閉めてから小走りで俺を追いかけてくる朽木だったが、話しかけてはこなかった。ただ一緒に歩いて、俺は生物部へ、朽木は斜め向かいにある美術部の部室へ向かった。

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