3-2
観劇の約束当日。
ドレスコードとして、ある程度
(勝負の赤。このドレスなら勝てるだろ)
いつも通り
馬車が私の前で止まると、中から公爵様が降りてきた。
「お久しぶりです、レリオーズ
「ご
(なるほど、
公爵様の装いも華やかなもので、ここはいい勝負だった。
「では行きましょうか」
「はい、よろしくお願いします」
馬車に乗る際に、公爵様は手を差し出してくれた。
(これ、本で読んだぞ! 馬車に乗る時の男性側のエスコートだよな)
確かあれは『観劇用のエスコート』という本だった気がする。題名に〝観劇〞が入る本は
公爵様の手にそっと自分の手を乗せて、馬車に乗り込んだ。その後公爵様も着席したところで、馬車は劇場に向かって出発した。
「レリオーズ嬢は、赤いドレスがよく似合いますね」
「ありがとうございます。公爵様も今日の礼装、とても
他愛のない会話を終えると、私はこの一週間公爵様が何をしていたのか聞くことにした。これも彼に対する情報収集だった。
「公爵様。この一週間はどのように過ごされていたんですか」
「そう、ですね……特別なことは何もしてないです。アーヴィング公爵領の領地経営を行ったり、
どうやら
(領地経営ができるのはすげぇな……普通にそこは尊敬だ)
本と向き合うだけでも頭が痛くなっていた私にはできそうにないことだった。しかし
「騎士団の訓練は何をされたんですか」
「全てに参加したわけではないのですが、
「剣術は始められて長いんですか?」
「もう十年以上は続けていますね。アーヴィング公爵家に直属の騎士団があるので、幼い
(それはカッコいいな。……剣術の対戦か。間近で見たら
私も剣術に興味を持ったことはある。この世界では
それなら私も剣術を学ぼうと思ったのだが、なにせこのか細い
いつかは剣術ができるようにと
「幼い頃から続けられているのは
「ありがとうございます」
強くなろうと努力し続けることは、
「レリオーズ嬢。私からも、一つ気になることを聞いてもよろしいでしょうか」
「……もちろんです」
(私ばかり情報を引き出すのは、フェアじゃないよな)
噓を
「レリオーズ嬢は、私の目が怖くはありませんか?」
「……え?」
予想の
「その……私は目付きが悪いので。普通にしていても圧が凄いのか、怖がられることが多くて。睨んでいなくても睨まれたと思われてしまうこともあるので、ご不快な思いをさせていないか心配で」
(…………睨んでいなくても、睨まれたと思われる?)
公爵様の発言に、私は思考が停止してしまった。
彼が自分の容姿に関して語る間、改めて顔を観察した。確かに、今も普通に話しているだけなのに睨んでいるようにも見える。
私は嫌な予感がして、
「公爵様。もしかして王家
「そ、そうです……! 誰かと目が合うことは滅多になかったので、レリオーズ嬢が怖がることなく視線を返してくれたのが凄く印象に残っていて」
とてもガンをつけた人間の言葉には思えなかった。
(もしかして、公爵様は私のこと睨んでなかったんじゃないか……?)
「私も一つ
「もちろんです」
「その、いい度胸してますねというのはどのような意味ですか?」
「私と目が合う人は滅多にいませんし、合ってもすぐに
「な、なるほど。そう、だったんですね……あはは」
(そういうことかよ!)
思いもよらない意味合いだったことに突っ込みたくなったが、どうにか作り
公爵様の行動原理が
(ま、待てよ。そうなると、どうして果たし状が送られてきたんだ?)
新たな疑問が浮かんだ
「レリオーズ嬢? やはり怖がらせてしまったでしょうか」
これはまずい。会話に集中していなかったことが伝われば、相手に失礼だ。
「いえ。怖いと思ったことは一度もありません」
「えっ」
(公爵様が気にされてるのって、絶対最終日に逃げたあの件だよな)
なにせ目が合った瞬間、
今はとにかくその誤解を解くために、私は
「社交シーズン最終日……あの時会場を後にして走ったのは、私が何かご不快な思いをさせてしまったかと勘違いしたからでして。決して公爵様の目を
公爵様の目を見ながら弁明のように長々と話していたら、思わず心の声まで出てしまった。私が話し過ぎたのか、公爵様は驚いたように固まっている。
(ま、まずい。変なこと口走ったか?)
今までなんとかボロを出さないようにしてきたが、動揺と
「……嬉しいです。目について褒められたことはなかったので」
「えっ、本当ですか?」
「本当です。
「それは……周囲の見る目がないだけじゃ」
再び公爵様が目を見開いた。今度こそやらかしてしまったかと
(……あっ。素で反応しちゃった)
自分の発言を振り返る。令嬢らしさなどない、屋敷での素の自分が出てしまったことに気が付いた。
「ははっ」
(わ、笑った……! 普通に良い笑顔だな)
初めて見る公爵様の笑みは、いつも見る
「ありがとうございます、レリオーズ嬢」
感謝されるようなことを言ったつもりはないのだが、失言をしなかったことに
「……あれ? ということは、公爵様は目を怖がらなかった私が気になって手紙を送ってくれたということですか? 私に腹を立てたとかではなく……?」
「腹を立てるだなんてとんでもない。どうしても、レリオーズ嬢とこうしてお話がしたかったのです。思っていたよりもっと素敵な女性で、勇気を出して良かったです」
「あ、ありがとうございます。公爵様もとても素敵な方かと」
(なんだ、公爵様はいい
評価されたことが素直に嬉しかったのだが、公爵様の話を聞いていると、とても彼が冷酷な人のようには見えなかった。
(……
広まってしまった話とは全く異なる公爵様を前にして、くだらない噂が流れる社交界はやはり好きになれないと感じた。
(まぁ、とにかく。果たし状は私の勘違いだってわかったし、お誘いは本当に
気持ちを
「公爵様は、
「はい。他の人を不快にさせるので……」
コンプレックスを感じるものは
(前世でも公爵様みたいに眼光の
彼らと公爵様とは何が違うのだろうと
「……あくまで私の感想なのですが」
「はい」
「目を隠すために前髪を下ろしたままだと、余計に怖がられるのではないかと思いまて」
「そう、なのでしょうか?」
「はい。前髪があると、余計に圧を感じるのかなと思って。
「眉毛……? 考えたこともなかったのですが、眉毛で変わるものでしょうか」
いまいちピンときていないような
「眉毛はとても大切ですよ。人相に関わるので」
「人相」
私は深く頷くと、両手の人差し指で眉毛を隠してみせた。
「ほら、眉毛があるとないとでは、結構印象が変わりませんか?」
「確かに……レリオーズ嬢は眉毛がある方が
「あっ……ありがとうございます」
予想外の言葉に動揺してしまったが、すぐに立て直した。
「ということなので、眉毛を見せることは大切かと」
「なるほど」
「髪をかき上げてセットし、前髪を取っ
「印象が……」
私が前髪をかき上げたヤンキーを見すぎたこともあって、その方が印象が良いと
「……レリオーズ嬢は、前髪を上げた方がお好きですか?」
「そうですね。より
「なるほど……貴重なご意見ありがとうございます」
「いえ、思ったことをそのまま口に出しただけなので」
「あの……ここまで言いましたが、本日の公爵様のお姿も十分素敵です。決して否定しているわけではなくて」
「光栄です。もちろん伝わっています。レリオーズ嬢が親身に考えてくださったのが」
「……それならよかったです」
ほっと安堵しながら、小さく笑みを
(前髪ありも似合っているけど、やっぱりあの瞳と眼光を
せっかくガタイもいいのだ。かき上げが似合わないはずがない。いつか公爵様のかき上げスタイルを見れるといいな、と
話に区切りがついたところで、ちょうど劇場に
馬車から降りると、想像以上に立派な劇場が目に入る。
(ここが劇場……本に書いてあった通り、かなり大きいな)
入り口付近は多くの人で
「ではレリオーズ嬢。行きましょう」
「はい、お願いします」
公爵様のエスコートで、劇場の二階へと向かう。そこには、貴族らしき人が多く見られた。どうやら二階席は貴族専用の席で、個室のような形になっているらしい。
公爵様が用意してくれた席に向かう中、やけに視線を感じた。
「見て、アーヴィング公爵よ」
「お
「見ない顔だな」
公爵様は目立つようで、話題の中心に上がっているようだった。
(貴族って本当に
ひそひそと話す姿にあきれたが、視線を集めていた公爵様は
「すみません、レリオーズ嬢。私のせいで」
「どうして謝るんですか。公爵様は何も悪いことしてませんよ」
「いえ。注目を浴びているのは私が原因なので」
「だとしても気にしないでください。誰にどう見られようと、私は気にしません」
(……平民になるかもしれないしな。ならなかったとしても、気にしないけど)
公爵様を見上げると、真剣な
「むしろ見てくる方が悪いくらいの気持ちでいましょう」
ふっと笑いながら言えば、公爵様は目を丸くした。
(本当はこっち見てんじゃねぇよ精神を伝えたかったけど、さすがに品がなさすぎるしな)
社交界の嫌な部分を実感しているところだが、こういう時は気にしないのが一番だとクリスタ姉様に教わった。それを自分なりに
「いいですね、そういう考え方も」
「はい。私達は何も悪いことをしていないので、堂々としていましょう」
「そうしましょう」
頷き合うと、背筋を
公爵様に案内されたのは、劇場の真ん中に位置する席だった。
(凄い。よく見える)
視界が良好で、
「こんなに良い席を用意していただき、ありがとうございます」
「今回の演目は、この席で見ていただくとより楽しめると思いまして」
「なるほど」
(あ、これも勉強したところだ。当たり前だけど座席によって見え方が大きく異なるんだよな)
一階席、二階の
「レリオーズ嬢、何か飲まれますか?」
「そうですね。あるとありがたいです」
映画はポップコーンとジュースを持って見る派なので、観劇でもあると嬉しかった。
「係の者に準備が伝達できていなかったようなので、声をかけてきますね」
「それなら私も――」
「いえ。私の
公爵様はそう告げると、
一人になった私は、きょろきょろと辺りを見回し始めた。
(もうほとんど席が
かなりの大人数で賑わっている一階に比べて、二階はゆったりとした空間だった。
(それにしても、公爵様が私を観劇に誘った意図が気になるな)
果たし合いという誤解が解け、厚意だという理由がわかっても腑に落ちない部分があった。ほとんど面識がない人間を、会話もせずに食事に誘うのには何か厚意とは別の理由がある気がしたのだ。
(厚意じゃないとして……私のことが気になってるって言ってたな)
気になる相手を誘う理由は限られてくる。
思い返してみれば、前回の食事の時、公爵様は緊張している瞬間もあった気がする。
(気になっている相手で、緊張してしまう。次の約束もしたい相手か。…………あっ!)
(わかったぞ! 公爵様は、私と友達になりてぇんだ!)
ようやく疑問が解けると、スッキリした気持ちになった。
(友達ならいくらでもなるさ。……あぁよかった。喧嘩でも果たし合いでもないなら、クリスタ姉様に
心の底から安堵すると、
結論が出たところで、公爵様が戻ってきた。するとすぐに係の者によって、飲み物が準備された。
「種類は豊富だと思いますので、ご自由に飲んでください」
「ありがとうございます」
問題が解決し、ようやく二人
「レリオーズ嬢は今回の演目、ご覧になったことはありますか?」
「『ヴィオラの
「そうだったんですね。実は今回の劇、私が個人的に好きな劇団の公演で。演技が上手な方が多いので、
「それは楽しみです」
公爵様お
(これは期待できそうだな。楽しみだ)
わずかに
劇の内容は、身分差の
主人公のヴィオラには幼い頃から決まっている
しかし、最終的にヴィオラは家のために生きると言って
(ヴィオラ……! お前凄いよ……!!)
自分の気持ちを優先すれば、駆け落ちする
(幼い頃からの約束を守った。……ヴィオラは筋を通したんだな。最高じゃねぇか)
私は一人、ヴィオラの選択に感動して胸を打たれていた。
(さすが公爵様のお墨付きだな。凄く面白かった)
幕が下がり始めると、
「何だか拍手が小さいですね」
私は
「内容に納得がいかなかったり、つまらないと感じたりした方は必要以上に拍手をしないんです。今回だと、結末に不満がある方が多いのかもしれません」
「結末?」
(なんでだ。どう考えても、
駆け落ちを好む人がいるのは想像がつくが、そこまで大きく不満を抱くほどでもないはずだ。
「演目には悲劇を題材にしたものが多いのですが、どれも
(それってヴィオラに不幸になってほしいってことか? それこそつまらないだろ)
公爵様
「それは
「盛り上げることが重要なので、より刺激的な演出や内容で、見る側の心を
クライマックスが最大の見せ場というのは理解できた。その上で今日の演目を振り返ると、盛り上がりには欠ける気がした。刺激がないと言われれば、その通りだろう。
「……その、レリオーズ嬢はいかがだったでしょうか?」
公爵様は目を
「
「そう、ですか……?」
公爵様が私の言葉に反応するように目線を上げると、バッチリと目が合う。瞳が
「はい。もしかしたら駆け落ちを選んだ方が、内容として好まれるのかもしれませんが……私は最初から最後まで自分の考えを
ヴィオラの政略
(いいよなぁ、初志貫徹。カッコいい生き方だ。……家のために生きる、か。私とは真逆だな)
自由を目指して平民になろうとする私は、ヴィオラとは正反対の人間だった。ヴィオラの生き様は見上げたものだが、だからといって私にとっての初志貫徹が何かはわからなかった。自分のために生きると決めて、平民になるのなら、生き様としては似ているのかもしれない。
演目と自分の
「レリオーズ嬢にそう言っていただけて、本当に嬉しいです」
私の感想を聞けて公爵様は安堵している様子だった。
(確かに、自分が連れて来た観劇が
公爵様の気持ちは十分に理解できたので、私はできるだけ良かったという
「初めて見る演目だったのですが、凄くわかりやすい内容で楽しめました。劇団の方の演技も、本当に引き込まれるほど上手だったので、見ていてあっという間でした」
私の感想を受けて、公爵様の表情から少しずつ硬さが消えていった。
「……女性は大団円が好きだという話を聞いていたので、今回の結末を見て実は不安になってしまって。ですが、レリオーズ嬢に楽しんでいただけたようで安心しました」
「本当に楽しかったですよ。大団円……今回のお話も面白かったですが、確かに後味がいいお話も好きなので、今度は大団円の演目も見に行きましょう」
(友達なら、何度でも一緒に観劇するよな。公爵様とは好みが似てるっぽいから、また一緒に行ったら楽しいだろうな)
観劇経験がないので、
(これが生き様だ! とか決闘! みたいな内容があると、もっと面白そうだよな)
一人でそういう演目がないかと考えていると、公爵様が少し間を空けてわずかに口元を
「……
「よろしくお願いします」
小さな会釈に同じくらいの会釈を返した。
「レリオーズ嬢……まだお時間がよろしければ、お食事もいかがでしょうか」
「是非。一緒に食べましょう」
以前、公爵様が連れて行ってくれたレストランは本当に美味しかった。それに加えて今日の演劇も申し分ない面白さだったので、公爵様はかなりセンスがあると思う。
「では行きましょう」
どんな時でも公爵様はエスコートしてくれる。これが当たり前なのかはわからないが、ただ隣を歩くよりも一緒に時間を過ごしている感じがして気分が良かった。
「劇場の隣に、良いお店があるんです。少し歩くのですが、
「はい、問題ないです」
ハイヒールで歩く練習は、クリスタ姉様によって嫌というほどやらされた。それに、パーティー会場で何度も歩いてきた上に全速力で走ったこともあるので、かなり慣れてきている。
「公爵様はどのような演目を見ることが多いんですか?」
「基本的には今日のような悲劇が多いですね。より刺激のある内容が好まれやすい
「喜劇……いいですね。いつか喜劇も見に行きましょう」
「……喜んで」
公爵様の口角が、また上がった気がした。先程に続き二回目の笑みは、とても貴重に思えたので、その理由を一人で考察した。関連性を考えると、すぐに答えが出た。
(わかったぞ……公爵様も大団円と喜劇が好きなんだな)
好みが合っていると確信できることは、友人として最高だった。よい収穫があったと、私も公爵様のようにそっと
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