左目が見えなくなった話【短編】

白武士道

唐突ですが。

 ――左目が見えなくなった。

 それは、仕事を辞めた、すぐ後のことだった。



□■



 令和6年、8月。僕は14年間勤めた仕事場を退職した。


 あの職場そのものに不満はなかったけど、今度やってくる新しい経営者と、その経営方針に思うところがあったからだ。


 とはいえ、僕ももう若くない。四十手前のおっさんだ。しかも、去年、結婚したばかりで、そう遠からず子供だって産まれるかもしれない。果たして、いま辞めることが正解なのか……先々のことを考えてずいぶん悩みもした。


 けれど、もともと僕がブラックじみた働き方をしていたせいか、妻も離職には反対はしなかった。会社の現状を伝えたら「もっと広い世界がある」と背中を押してくれた。きっと、妻の言葉がなかったら僕は、方々ほうぼうから引きめにかかる人々の手を払うことができなかったかもしれない。


 そんな感じで久方ぶりに無職になることが決まった僕であるが、人生を見直すかたわら、8月から開催される小説コンテストに参加しようと思った。


 ……これは退職を決意した時には考えていたことだ。


 去年、カクヨムで開催されたドラゴンノベルスコンテストは結婚の時期と重なって(これも家の都合で唐突に決まったのだ)、あまり集中して参加できたとは言えず、実に心残りだった。


 僕だって一回くらい、コンテスト期間を全力で駆け抜けてみたい。

 欲を言えば、何らかの賞を取って、デビューの足掛かりにしたい。

 どうせ、仕事を探さないといけない身の上のなら、長年の夢である物を書いてお金がもらえるような立場になりたかった。


 貯金もある。退職金もある。失業保険もあるので、生活には当分困らない。現金以外でのちょっとした資産もないことはないので、心置きなくコンテストに打ち込める最後のチャンスかもしれない。


 そう妻に相談すると、三ヵ月だけという約束で自由な時間をもらうことができた。


 善は急げだった。

 面倒くさい退職後の手続きも終え、僕と同じタイミングで身を引くことを決めた上司に、個人的な送別会もした。お世話になった関係各所への挨拶も済んだ。コンテスト用の更新スケジュールも作り、空いた時間でSNSで宣伝のための漫画だって描いた。


 この時の僕はかつてないほど、やる気に満ちていた。


 実際、コンテストが開始して最初の一週間は順調だった。

 PVは、まあ……大したことはなかったけれど、予定通りにスケジュールをこなすことができていた。


 それに、コンテストは二ヵ月ある。継続は力なり。このまま続けていけば、後から巻き返すことだってできるんじゃないか。そう思っていた。


 楽しかった。毎日が充実していた。

 書きたくても書けない日々が何年と続いていたから、朝から晩まで必要な調べ物をして知識を深めたり、表現を試行錯誤に没頭できるのが嬉しかった。筆が乗れば、深夜までパソコンに向かって作品と格闘した。


 そして、二週間目に突入した。スケジュールを確認する。お盆は両家へ挨拶しなくてはならないから、今のうちに書き溜めよう。読者が増えるタイミングだから、朝と夜と二回更新することにしよう。大丈夫。今の調子ならいける。


 そして迎えた、8月13日。


「……あれ。おかしいな」


 ――朝、目が覚めると、目の見え方がおかしいことに気づいた。

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