第47話 一抹の不安

 結局、全然眠れなかった。

 綺麗なウエーブを打ったカーテンの隙間からゾンビをも溶かす日光が注いでくる。

 呻き一つ出さずにいる俺の横で、藤川が全く違う朝日を迎えた。


「ふぁ~……おはよう……って、蒼希……どしたのその顔」


「ああ……お前はいつも爽やかだな、おはようさん」


 俺はベッドの上で体育座りをしたまま、くまだらけの目元で藤川を見つめる。

 因みに、何故だかミッチーは俺の足にへばり付いていた。なんだこいつ。焼くぞ。


 意識がぼんやりしているせいか、昨日の記憶が曖昧だった。あの後一体どうなったのだろう? 俺はミッチーの背中を踏みつぶして、ベッドから立ち上がる。


「あぁっ……い、いいなぁ……これはいいものだ……うっへっへ……お、おお……あッ」


 歪な声を上げるミッチー。かく言う俺はツッコミを入れるテンションでも無かったので、そのままリビングへと向かっていく。


 どういうわけか、テレビ画面は点けっぱなしだった。

 朝っぱらから、裸の男女が取っ組み合いを繰り広げている。

 俺は即座にテレビを消して、パンツ一丁で寝転んでいる健治の尻を蹴る。


「あぁ……そこだわ、もっと……もっとだ……」


「どいつもこいつもMばっかりだなッ!!」


 俺の怒鳴り声で、ミッチーと健治はようやく目を覚ました。


 * * *


「ということで、今日からは中級者コースに行きたいと思いまーす」


「はーい!」


 午後一時、ゲレンデのリフト乗り場付近に集まり、藤川の声に元気よく返事を返した。


「中級者コースねえ~、三井くんってば大丈夫なわけ~?」


 中嶋が、相手を小馬鹿にするような視線で、ミッチーを見る。

 ところがミッチーは得意げな表情で、こう告げた。


「は? 何を言っているのかと思えば、それは俺に言っているのか? だったら、舐めないで欲しいところだ。女のお前等は知らないだろうがな、昨日男メンバーだけで中級コースに下見に行った。実際に現地の雪を踏みしめて……滑ってみた結果、もうカスみたいなもんだったな! アレは。うむ、カスだよカス! そうだ……あれは紛れもなくアレだ! もうね……超カス!」


 ミッチーの語彙力……仕事しろ。

 なんだよ『超カス』って。天かすかよ。


 昨日だってミッチーはビビりまくってたし、わけわからない滑り方を披露してくるし。ウンコマンとか超カスとか迷言(めいげん)ばっかり生み出すし、一回小学校に入学し直したほうがいいんじゃないか……?


 俺はふと藤川酒井ペアを一瞥する。

 二人はやはりあれから特に進展していないようだった。

 決して他人事に思えないような、独特の気まずさオーラが二人の間には立ち上がっていた。


 どうなることやら。少し不安に思いながら、俺たちはリフトの列に並んだ。



 続々と雪山から戻ってきたリフトが到着し、ペア順で乗り込んでいく。

 俺と花の前は藤川酒井ペアだった。二人は気まずそうにリフトに乗り、そして俺たちの番がやって来た。


「ね、行かないの?」


「……ああ、行こう」


 隣でストックを握る花が、顔を傾けて訊ねてくる。


「なんか……今日ぼっーとしてるね」


「……寝不足だからかな」


 作り笑いを浮かべたが、花は不思議そうな表情で俺を見つめてきた。


「無理したら……ダメだよ?」


「ううん。平気だよ、ほら、早く乗ろう」


 もう少し花と話していたいのに、早急に話を片付けてしまう。

 昨日の二人っきりの時間のせいかもしれない。花と二人でいるのが、妙に気恥ずかしかった。


 * * *


「……中級かぁ」


 花はリフトから腕を出して、灰色の空からこんこんと舞い散ってくる雪を、手のひらに乗せた。


「大丈夫だよ、昨日あんなに滑れてたじゃん」


「そうだよね! 実はわたし、ちょっと自信あるもん」


「その意気だよ、一緒に頑張ろう」


 子供のような無邪気なガッツポーズ。少し前の彼女からはこんな表情を隣で見れるだなんて思わなかった。


「……ありがとう」


「え?」


「わたしに……スキー教えてくれて。こんなに面白いなんて思わなかったの」


 ブーツをぶらぶらとさせながら、彼女が言った。

 それを聞いて、ピンと一つ思い浮かぶ。


「スキー、好きになった?」


「ふふっ、なあにそれダジャレなの? ……スキー、好きになったよ。ありがとっ」


 頬の緩みを抑えられない。自分が好きなものを、好きな人が理解してくれたとき。また、一緒に笑ってくれたとき。俺は今この瞬間に幸せを感じた。



 班の皆がリフトから降りると、すぐにペア毎に別れての練習が始まった。


「そうそう! うまいうまい!」


「わっ……わわ! ……とっ――」


 基本姿勢を崩しながらも、花は斜面を滑らかに滑り、俺の足跡をなぞってやって来た。


「……ふぅ。ねえ、出来た!? わたしちゃんと出来てた!?」


 まだブレーキもし終えないうちに嬉々とした声を上げる彼女。

 しかし、ブレーキがやはり甘かった。花が、俺の身体に突っ込んでくる。


「……はうっ!」


「うわっと……ばか、ブレーキしなよ」


「……ご、ごめんね」


 俺は反射的に身体をぐらりとさせた花を支える。するっと脇の下あたりに手を差し込んでしまった。花も、少し照れくさそうに微笑む。


「その……き、気をつけなよ。ブレーキ大事だからさ」


「う、うん……」


 花の視線が自然と俺の手に集まる。どうやら微妙な部分に手が伸びていることを気にしているようだった。


「あ、ごめん……」


「…………どうして?」


「えっと…………身体触っちゃって?」


「なっ……なんでいちいち謝るの? いいよ別に。そんなの……」


「……お、おう。……そうだな」


 咄嗟のことで、変なことを言ってしまった。

 女の子の身体に触ってしまうのは、何故か罪悪感を感じる。花が昔と違って女の子らしい体つきになってしまったからなのかな。


 微妙な沈黙の後、俺が提案。


「……行こう。みんな多分もう一回リフト乗ってるところだよ」


「そうだね……うん、行こ」


 ワンセット滑り終えて、俺たちはもう一度リフトに乗り込んだ。

 降りたとき、藤川と酒井が俺たちに手を振っていた。


「あ、花ちゃん」

「蒼希」


 二人は例の空気を未だ醸し出しているようで、俺と花がそこに加わったことで、微妙な相乗効果を生み出したような気がする。


 な、なんだこの空気……。合コン初対面のメンバーがみんな人見知りみたいな感じだぞ、これ。気まずいでしょうが。


「せっかくだしさ、一緒に滑んない?」


「あ、いいね!」


 最初に口火を切ったのはやはり藤川。俺はそれに続いて答える。


「花ちゃん一緒に滑ろっ」

「うんっ、行こ」


 さっさと滑り出す女子二人組の横で、俺と藤川が並んだ。


「あっ……あんまり離れちゃダメだぞー!」


「酒井も十分滑れてるし、きっと二人でも大丈夫だよ」


「……ん~俺はまだ心配だなぁ、迷子になったりしないかな」


「蒼希ってば心配性なんだね」


 くすくすと笑みを浮かべる藤川。


 ――心配性か。昔は俺が心配されるパターンのほうが多かったような気がしたんだけどな。


「で、普通に喋れてんの? 酒井とは」


「いやー……なんか妙にドキドキしちゃってさ、さっきから空回りばっかりだよ」


 頭をかきながら、困った表情をする藤川。まさかイケメンのこんな姿を目の当たりにするとは。


「はは、それこそ大丈夫だって! よし、藤川、俺と腕比べでもしようか!」


「何その自信~……まったく……他人事だからって~」


 藤川なら大丈夫。

 心配しないでも大丈夫だって気しかしなかったから、俺はそう言っただけだ。

 それもそうだな……花と酒井もきっと平気だ。



 俺たちは二人で今まで磨いてきたテクニックをお互いに見せ合った。


「やっぱ蒼希上手いなー!」


「そんな変わんないだろ~」


 しばらく藤川と一緒に遊んでいると、花と酒井が早くもリフトで雪山の方へ上がっていく。


「二人とも遅ーい!!」


 花がにっこりした表情で手を軽快に振っていた。

 きっと覚え立てで今が一番楽しいんだろう。でも……。


「は、早えーな……」


 やはり心配だった。不安が尽きない。


「二人とも、怪我しないようにね!」


 隣の藤川が、笑顔を浮かべながら空に向かって叫んだ。


「大丈夫、大丈夫~!」


 花がそんなことを言う。転んだときなんかあれだけ泣いていたのに。ご機嫌で楽しそうなのはそりゃいいことだけど……。


 でもそういうときって、一番周りが見えてない時期でもあるから。


「…………藤川ごめん、ちょっと俺先に行くわ」


「え、構わないけど?」


 なんとも言えない嫌な予感がした。

 ただの気のせいであって欲しい。そう願うばかりだった。


 と、いうのも俺も覚えたてときは楽しくてしょうがなくて、よく父さんの言葉を無視して好き勝手しまくったのだ。

 だから、今のはしゃぎたい花の気持ちも少しはわかる。


 だから誰かがそんな彼女をサポートしてあげないといけないんだ。

 父さんが俺にしてくれたみたいに。今度は俺が花を守ってあげなきゃ。


 一人でリフトに乗っている間、ずっと花のことを考えてた。


 改めて考えてみると、俺たちの関係はありきたりに見えて、とても不思議な関係だと思った。

 幼なじみの恋愛なんてフィクションくらいでしか聞かないし、そもそもベタだ。

 自然と疎遠になってしまった関係を少しずつ修復していくこの関係がもどかしくて、実に俺たちらしい。


 俺が唇の端を歪めてにやついていると、――急にリフトが止まる。


 乗り降りの際に誰かが引っかかったのか、そのまま数分間動かない時間が続いた。その間、少しずつ強くなってきた雪が激しさを増していく。

 気付けば、もの凄い猛吹雪だった。ずっと花のこと考えていたせいで気が付かなかった。


 ウェアの上から雪が俺の身体を強く叩いた。

 ゴーグルを着けてなければ、真面に前方の確認も出来ない。

 まるで、あの日……猛吹雪の中で父さんが俺のことを探してくれた日みたいだ。


 嫌な予感が――加速する。


 遠い昔を思い出しながら、俺は花のことを思った。


 ――大丈夫だといいんだけど……。


 こんな吹雪くらいで、大袈裟すぎるよ。そう言う自分と、彼女に忍び寄る自然災害とが、頭の中で混濁する。


 ――いや……それでも、やっぱり心配だよ、花。


 俺の頭の中は、花のことでいっぱいだった。

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