第1話 慶次郎が記憶喪失になったら?
「慶次郎さん!」
血相を変えたケモ耳達からの一報を受け、あたしは、『珈琲処みかど』へと走った。
「うわぁん葉月! 来てくれたぁ!」
「葉月、こっちです!」
「早く早く!」
引き戸を開けた瞬間、びっくり箱のように飛び出してきたのは、耳の生えたもふもふ毛玉×3。千年ぶりに現れたとかいう安倍晴明レベルの陰陽師こと、
「慶次郎さんが大変なことになってるってどういうこと?」
どたどたと店内を突っ切って、裏口から外に出る。天まで伸びているのかと思うほどに長い長い石段を見上げてうんざりするけど、これを上らなければならないのだ。
「大変なんだ! 年末が来る前にプチ大掃除しようってことになって!」
「開かずの戸棚を開けたら上からいろんなものが降って来たのです!」
「それが全部うまいこと頭に直撃したんだよなぁ」
「開かずの戸棚を何で開けたのよ!」
これは正当なツッコミだろう。
うぐぅ、と声を詰まらせたケモ耳達に代わって「それがさぁ」と答えたのは慶次郎さんの兄である歓太郎さん(わいせつ神主)だ。
「出たなわいせつ野郎」
よいせよいせと階段を上りながらぎろりと睨む。
「えー、ひどーい、はっちゃん」
けれど、そんなものはどこ吹く風だ。
「いや、聞いて? 俺は止めたんだよ? 何も焦って掃除することないじゃん、って。だってさ、これまでもずーっと開けてなかったわけじゃん? だったら別に寝た子を起こさなくてもさ、って」
「そりゃ、そう、でしょっ」
イカン、息が上がって来た。
「でもさ、慶次郎が言うわけよ。たまには風通ししてやらないと、って。それに、不要なものが入ってるんだとしたら、これを機に整理しないとでしょ、って」
「ま、まぁ、一理、あるんじゃない? 知らんけど」
でも確かに、ウチの母親もそうやって定期的に開かずの戸棚とか開かずの引き出しとか開けてたもんなぁ。そんでやっぱり数年開けてないだけあって、いらないものしか詰まってなかったりして。
「ちなみに、何が降って来たの?」
一体どの部屋にある開かずの戸棚なのかはわからないが、みかどにしても社務所の方にしても、それからもちろん彼らの居住スペースにしても、そんなに無駄なものが置かれているイメージはないんだけど。いつもさっぱり整頓されてるしなぁ。
「えーとね、父さんと母さんが山形旅行で買って来たでっかい王将とー」
「あれが頭に直撃!? ていうか、『と』って何?! 『と』って! まだあるの?」
あれだけでも結構な衝撃だよ?!
「父さんと母さんが北海道旅行で買って来た木彫りの熊」
「木工品ダブルアタック――――!」
しかもどっちもご両親のお土産!
それなりに重さのあるやつが直撃したわけ?! 無事なの?!
「まぁそれの衝撃もそうなんだけどさ」
「まだあるの?!」
「いや、そのショックで踏み台から落ちて頭を打った」
「トドメ!」
ちょっともう、呑気に話聞いてる場合じゃないわ! 急げあたし!
肺が破れるかと思ったけど、何とか階段を上り切ったあたしは、ゼイゼイと肩で息をしながら社務所のドアを開けた。お医者様に診てもらい、レントゲンやらCTやらも撮って、異常なしの太鼓判を押された彼は、それでも大事を取ってしばらく仕事を休むこととなり、安静にしているらしい。
といっても、寝込んでいるとかそういうことでもなく、普通に日常生活を送っているのだが、ケモ耳達(と歓太郎さん)はふとおかしなことに気が付いた。
「記憶喪失?」
廊下をペタペタ歩きつつ、あたしの肩の上でぴょこぴょこと跳ね回る重さ0の式神達が口々に言う。
「自分のことはもちろんわかってるし、歓太郎のこととか、ぼく達のこともちゃんとわかってるんだけど」
「そうなの? じゃあ特に支障なくない?」
「アリアリですよ! 大アリです!」
「えっ?! な、何?! 何で?!」
「そうだぞ葉月! 大アリに決まってんだろ!」
「そうなの?! 何が? あっわかった! 陰陽師の仕事を全部忘れたとか、コーヒーの淹れ方がすぽーんと抜けちゃったとか?」
そりゃあ一大事だね、と笑ったけど、ケモ耳達は声を揃えて否定する。
「葉月のことを忘れてるんだよ!」
「え?」
「葉月の、というか、ここ数年の記憶がないんです!」
「え、ええ?」
「だからオレらとか、仕事のことは覚えてるんだ。でも葉月と知り合ったのってここ数年だろ? その辺の記憶がないんだよ!」
「え、ええ? えええ?」
あたし?!
あたしの記憶だけ?!
そりゃあないぜ!
そりゃあないぜ慶次郎さぁんっ!
「慶次郎さんっ!」
バァン、と勢いよく二階のドアを開ける。
そこにいたのは、例のクソダサTを着た、残念イケメンである。が、やっぱりなんかおかしい。あたしの知ってる慶次郎さんじゃない、気がする。
「ど、どちら様ですか」
ぎくりと身体を震わせたかと思うと、蚊の鳴くような声でそう尋ね、きゅっと身を縮こませた。いや、まぁ、ある意味、あたしの知ってる慶次郎さんではあるんだけど、あたしに対してあんな目を向けたことなんてない。初対面の時ですら、彼の視線はもっと柔らかかった。なのにいまは完全に不審者を見る目つきである。
「忘れちゃったんだ、本当に……」
あたしのこと、忘れちゃったんだ。
好きとはまだ言われてないけど、それでもあんなに好き好きオーラ出してた癖に。そんな簡単に忘れちゃうんだ?! 安倍晴明レベルの、令和最強の陰陽師の癖に!
「慶次郎さんの馬鹿ぁっ!」
「ひえっ?! きゅ、急に何ですか?」
「馬鹿! ヘタレ! 根性なし! 腑抜けぇ!」
「ええっ!?」
葉月、それはさすがに言い過ぎだよ!
葉月、いまの慶次郎にそれはあんまりです!
葉月、慶次郎、もう立ち直れないかもしれねぇぞ?!
ケモ耳達がぴょこぴょこと跳ね回って抗議するけど、知るもんか。乙女の純情を踏みにじりやがって、こンのどヘタレ陰陽師がよぉ! フツー、ラブ的なパワーで大事な人のことは覚えてるもんやろがい!
怒りに任せて、スパァン、と(一応加減はして)肩に一発くれてやる。ケモ耳達が口々に「葉月、暴力は良くないよ!」「葉月、それは歓太郎の役目では?!」「葉月が歓太郎以外を殴るとは!」と言いながらアワアワしている。いや、別に歓太郎さんは殴られる役目ってわけじゃないと思うけどね?
あたしからの一撃に不意を突かれたらしい慶次郎さんが、よろけて尻もちをつく。ほわぁ、と呆けたような顔をしてあたしを見上げる慶次郎さんの姿を見れば、急に罪悪感が襲って来た。そりゃそうだよな。慶次郎さんにしてみれば、突然見知らぬ女が支離滅裂なことを言って殴って来たのだ。いや、決して支離滅裂ではないんだけどね?! 事実しか言ってないし。でも、どう考えても警察案件である。
「……ごめんなさい」
そう詫びて、手を差し伸べる。
と、その手をぎゅっと掴まれた。
「お、お名前は」
「は?」
「あの、お名前は」
「葉月、だけど」
あたしの手を両手で包むようにして握り、それを額に当てる様は、まるで神に祈りを捧げるポーズのようだ。
「葉月……。はっちゃんとお呼びしても?」
「え? あ、え――……っと、ご自由に、ドウゾ?」
「はっちゃん。はっちゃん……」
「え、あ、はい。何でしょうか」
「はっちゃん。初めてお会いしたはずなのに、何だかそんな感じがしません」
「……そ?」
えっと、まぁ、初めてお会いしたわけじゃないしね?
「あの、初対面の方にこんなことを言うのはおかしいとわかってるんですけど」
あたしの手を握ったまま、すっくと立ち上がり、距離を縮める。そういえば慶次郎さんは実は高身長なのである。いつもオドオド背中を丸めてるから何となく小さく見えるけれども、実際はすらっと背が高いのだ。0距離とまではいかないけれど、かなりの至近距離で見下ろされ、ドキリとする。
「僕、はっちゃんと仲良くなりたいです」
「へあ」
お前!
お前そういうこと言えんのかい!
「もしよろしければ」
「は、はい」
「ウチでご飯食べていきませんか?」
ご飯――――!
ご飯から――!
さすがは慶次郎さん、なんかもう全然健全なやつ!
それでもこれまでの慶次郎さんから考えたら、かなりのイレギュラー対応だったのだろう。ケモ耳達がワッと湧く。
「すごい、慶次郎が葉月のことナンパしてる!」
「慶次郎、成長しましたね……!」
「こりゃあもうアレだろ? 飯を食わせて、ついでもお前も食わせろ的なやつだろ?」
「なー、これもうお泊まりまでコマ進めて良いやつじゃない? はっちゃーん、お泊まりセットある? ないなら俺の着替え貸すけど?」
「黙れェ外野ァ! そして触んなァ!」
慶次郎さんの手を振りほどき、馴れ馴れしくもあたしの肩を抱いて来た歓太郎さんに重めの一撃を食らわせる。
「ごふっ……! 慶次郎の時と違って手加減なしか、はっちゃん……!」
「ったりめーだわ、このわいせつ神主!」
……などとぎゃいぎゃい騒いでいたところ、それを見ていた慶次郎さんが「なんかこの一連のやりとりものすごく既視感が……うっ、頭が」とか言い出してうずくまり、あたしのことをするっと思い出して一気に解決した。
この騒動の後、歓太郎さんが「つまり慶次郎ははっちゃんのことを忘れても、どっちにしろまた好きになっちゃうってわけかぁ」とうんと悪い顔をして来たので、とりあえず照れ隠しにもう一発殴っておいた。
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